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あの夏の追憶

 この街の空は遠い。春も夏も秋も冬も。それでも違いを感じる時はあって、今、何となく先週までとは違う気がしてベランダから空を見上げていた。季節が変わったと感じたのはわたしだけじゃなくて、ルフィも今朝は牛乳を温めてから飲んで学校へと飛び出して行った。
 エースは昨日、帰ってこなかった。でも、ちゃんと『帰れないから先に寝てろ』メールが来た。読みながら文字を打つエースの指先を想像した。そうしたらちょっと落ち着いた。
 今年の夏は思ったよりも沢山エースと一緒にいられた。
 選んでもらった浴衣を3回、着せてもらった。
 海に星を探しに行ったし、大きなボウルいっぱいのカキ氷を一緒に作った。
 出かけても楽しかったけど、のんびり家にいる時間もよかった。暑い、暑いと言いながら暑い夏だから思いつけることを話したり試したりした。カキ氷もそうだし、ルーフバルコニーに長いホースを引っ張り出して虹を沢山作った。水撒きを堪能した後はデッキブラシで掃除をし、一汗かいた頃にサンジ君がバーベキューを始めてくれた。
 いい夏だった。
 季節が変わるのは嫌じゃない。村にいた頃は慣れ親しんだ季節と別れるのは寂しかったけど、その分自分がまた大きくなれるのだと思うと嬉しかった。早く大きくなりたかった。
 でも、今は。
 大きくなることは時々季節との別れのように寂しくて、それからもう少し時々怖く感じる。エースのあったかさにくるまっているとき、時間が止まればいいと、そのままずっと心と身体を丸めていたいと思う。一人前と呼ばれることは自分の力でいろいろなものを背負うこと。だからこその眩しさがいっぱいなのだと少しずつわかってきた。
 わたしも自分なりの輝き方をしてみたいけれど。
 でも。
「…サクヤ?こんにちは、サクヤ
 背後から響いた優しい声に飛び上がった。慌てて振り向くと、ちょっとだけ目を丸くした懐かしい笑顔があった。
「マキノさん!」
 ああ、そうだ。村を出てくるときにはわたしはもうマキノさんの背をほんの少し超えていたんだった。視線の高さがほとんど同じわたしの顔をなぜか見上げるようにして、マキノさんは立っていた。
「ごめんね、驚かせちゃった?でもね、わたしも驚いたわ。こういうの、初めてじゃないかしら。あなたはいつも声をかける前に振り向いてるみたいな子どもだったから」
 うん、そうだった。わたしは後ろの気配にとても敏感な子どもだった。かなり離れていても誰かが自分の後ろにいると首の傷がピリピリと反応する。だから、こんな風に脅かされることはエースやルフィが相手のときしかなかった。
「…よかった。それだけこの場所で安心してるってことだものね。向こうの部屋にボディガードさんらしい2人がいたから、心配になってたんだけど」
 ゾロとサンジ君。
 そう言えばマキノさんは2人に会ったのは初めてなのだろうか。シャンクスと一緒にいるところを見かけたことはないのかな。シャンクスはあれから…村を何度くらい訪れているのだろう。
「マキノさん…シャンクスに会いに来たの?ごめんなさい、あのね…」
 久しぶりの再会に、もっと別の言葉があるだろうとは思った。まるで昔に戻ってしまったみたいだ。わたしはどうしてもマキノさんに素直には甘えることができない子どもだった。気持ちはいっぱいあるのにそれをどうやって伝えればいいのか分からない。だから、ぶっきらぼうに言葉が直球で飛び出してしまう。
 その時彼女の顔に浮かんだ深い微笑を言葉で表現するのは難しい。大人の眩しさと美しさ、そしてそれ以上の何かが溢れていた。
「誰に、ということではないのよ。あなた、ルフィ、エース、そしてシャンクスさん…みんなの中の誰かに、何人かに会えればそれでいいと思って来たの。自分勝手にただ来てしまったから、あなたに会えてすごくホッとしてるわ。とても綺麗になったあなたにね」
 マキノさんがそっと手を伸ばした。
 大人の大きな手に頭を撫ぜられるのが苦手な子どもだった。
 でも、なぜだろう。自分が大きくなった今、マキノさんの手はちょっと小さくてとてもあたたかく感じられた。料理上手で縫い物も得意、お客さんに向ける笑顔がいつも優しくてエプロンがとても似合っていたマキノさん。幼い頃、わたしはずっとこっそりとこの人に憧れていたのだけど。
 なぜだろう。エレガントなワンピースに身体を包んだマキノさんは、こんなに近くにいるわたしに、その手でそっとそっと髪を撫ぜてくれているわたしに、まるで遠くを見つめるような視線を向けた。
「結婚…しようと思うの。ただそれだけ、なんだけど」
 …結婚。
 …誰と?
 きっとわたしが知らない誰かと。何年ぶりかで会ったわたしなんかが知るはずもない人と。
 でも、どうしてそのことを。
 マキノさんの視線からすぅっと心に沁みてきたものをどうしていいかわからなくて。
 でもその時、サンジ君がいい香りを漂わせながらトレー満載のお茶道具と焼き菓子を運んできてくれた。
「今日のベランダならホットがいいよね?」
 相変わらず悪目立ちしない鮮やかな動きでサーブしてくれるサンジ君の手。
 マキノさんとわたしは丸いテーブルを挟んで向かい合って座り、黙ってサンジ君の手を眺めた。
 速くなっていた鼓動が、ゆっくり、ゆっくり落ち着いた。


「フーシャ村のみんなと風や自然との付き合い方とか植物の分布…みたいなものを調査に来た人でね、がっしりと体格がよくて、最初に姿を見たときの印象は熊!そのものだったのよ」
 語り出したマキノさんの声は静かで、表情にはわたしが探していた『熱さ』はなかった。見つかると思っていた熱、見つかるのが怖いと思った熱。わたしがエースの声や温度を感じた時に鏡を見たら多分見つけてしまう愚かさいっぱいの表情。
 マキノさんの声も顔もただ、優しくて。
 何だか悲しくなってしまった。
 わたしは何も知らない。村にいる時はほんの小さな子どもだったし、こうして向かい合っている今も、やっぱり子どもだ。
 でも。
 でも、見つかるはずの熱さがない。幼い私がほんの時たまマキノさんの肌から感じていたあの熱さが。シャンクスに向けた笑顔の終わりにほんのりと帯びていたあの色が。
サクヤ…?」
 言わなければいけない言葉はわかる。『おめでとう』だ。それから、相手の人について好奇心いっぱいの質問責めにしなくちゃ。きっとそれが普通だ。
 でも。
 思わずうつむいてしまいそうになった。そんなわたしを助けてくれたのは、メールの着信音だった。
 メール。エースからのメール。

 マキノ、いるんだって?夕食にはどうやってでも帰るから、それまで頼むな。心ゆくまでおしゃべりして、な。

 読みながらエースの声が聞こえた気がした。そうしたら、顔を上げることができた。我ながら…と思った。
「晩御飯を一緒にって。それまで帰らないでね」
「エース、だったのね?」
 マキノさんは微笑し、それからそれを優しく深めた。
「変わってないね、サクヤ。嬉しいんだけど、でも…」
 まただ。そっとわたしを見上げるようなマキノさんの目。
「あのね…、『卒業』したいと思ったことはない?できたらもっと楽に、簡単になれるって思ったこと」
 わたしを気遣うマキノさんの気配。そして、真っ直ぐな言葉。いつの間にか、幼い頃に戻っていた気持ちが消えていた。
「『卒業』とは少し違うけど『兄離れ』しようと思ったことはあるの。…いや、そうじゃなくて…100%兄なんだと思って、それだけで余るくらい幸福だと分かろうと思ったというか…」
 マキノさんは深く頷いた。
「…それで?」
 言葉を探しながら紅茶を一口飲んだ。
 きっとマキノさんはわたしがエースに抱いている気持ちを全部わかっている。でも、わたしはこの気持ちを誰かに言葉で話したことは一度もない。どんな風に言ってもわかってもらえるのだろうと思う。だけど、難しい。
「うん…思ったことは思ったんだけど、何と言うか、一大決心って思ったのに次の瞬間にはもうエースがその気持ちを壊してくれちゃって。でも、あの時エースがいなくてもきっと自分でそんな決心なんて壊しちゃったんじゃないかと思う。…わたしの中にはエースがいっぱいで、そんな丸ごと全部がわたしだから。気持ちを消そうとするのは自分を消そうとするのと、多分、同じだから」
 言ったのがまるでマキノさんだったみたいに、マキノさんは長く細く息を吐いた。それから一度目を伏せ、またわたしを見上げた。
「こんな話をあなたとできるようになったんだものね。結構いい歳になったなぁなんて感じても不思議じゃないのよね。あのね、その熊みたいなわたしの求婚者はね、心の隅に誰がいてもいいと言ってくれる人で、結婚したらきっととても大事にしてくれる人で、わたしもその人のために料理や家の中のことを頑張って幸せで、でもふと海鳴りを聞いたときにわたしの中にぽっかりと浮かび上がる面影があって、そのことはきっとその人に伝わってしまう…そんなのはやっぱり 無理なのよね。優しく触れてくれる手に身体を預けることができたって、きっといつかわたしは喜びの中に遠い面影を探そうとしてしまうんだわ」
 囁くように始まった声と静かな眼差しは、震える声と零れ落ちた涙で終わった。
「…シャンクスでいっぱい?」
 指で素早く涙を拭ってマキノさんは頷いた。
「いっぱいもいっぱい。あなたよりも経験時間長いのよね、片思い」
 微笑んだ姿が愛しくて、でも抱きしめることはできなくて。
「ねえ、こんなわたしにも心の中でずっと自慢に思えることがあるの。ルフィを助けて彼は片腕を失くしたけれど、最後にあの両腕で抱きしめた相手はきっとわたし。ああ、そんなに顔を真っ赤にしないで。そういう素敵な意味のある場面じゃなくて、店の中で踏み台から足を滑らせたところを受け止めてもらっただけなの。あの日の午後、彼は腕を失くした。ショックだったわたしは…、多分、ほんの一瞬、ルフィを憎んでしまったと思うわ。助かってよかったと心から思ったし、助けたシャンクスのことも誇らしく思った、それなのに。彼は村であなたたち3人という家族を見つけ、強く大きく守りはじめた。いつかあなたたちを連れて村を去ってしまう予感に、毎晩震えたわ」
 本当は言いたかった。いつかシャンクスがちゃんと血の繋がった赤ちゃんを腕に抱くときが来るなら、母親はきっとマキノさんだろうと思っていたこと。マキノさんの回りにいつもあるあの明るくて穏やかな空気がとても羨ましかったこと。
「シャンクスとは…」
 どう尋ねてもダメな気がして口を閉じたわたしの頭を、マキノさんの手が撫ぜた。
「生身の彼と会ったのはね、あなたたちが村を離れてから1度だけ。夏。1年くらいたった頃だったかな、フラリと現れていつも通りビールを飲んで昼寝して、目を覚ましたら食事をして。それから、突然わたしを海に誘ったの。貝殻を探すあなたに彼が何時間もつきあっていたあの浜辺。砂の上に座って波を眺めながら冷たいビールを飲んだわ。その時、彼は義手はずっとつけないって言った。彼のありのままのその姿を全部受け入れてくれる人たちが少なくても10人はいるからって笑ってた。その中にわたしが入れているのかどうか、怖くて聞けなかった。彼はいつも笑顔をくれたけど、きっと色々なものを見て取ってしまう人だから」
 マキノさんは紅茶を飲み干し、静かにカップを置いた。
「彼から時々、突然のメールが来るわ。あと、1年に1度くらいのビジュホン。気まぐれで理由なんてわからないけど、まだ繋がりは切れてないの。言葉の大半があなたたちを恋しがってるいつもの泣き言でも、やっぱりわたし、とても喜んでしまうの」
 シャンクスの泣き言。
 大きな画面いっぱいに広がるあの顔を思い出して、マキノさんと声を重ねて笑った。
 子どもみたいにクシャクシャになるシャンクスの顔。
 でも、真剣になると一気に空気の色が変わる。
 この両方がシャンクスで、一度それに魅せられた人は心を離すことができなくなる。
「心の底から好きだと思えても、時々、弱気になるね」
 うん、そうだね。素直に頷けた。
「今度村に帰るね、みんなで」
 言うとマキノさんは頬を染め、それがとても可愛かった。
 すごいね。マキノさんの中にはわたしがエースと出会う前からシャンクスがいたんだ。年に何度か村を訪れるシャンクスと静かに時間を重ねていたんだ。それがマキノさんからは『片思い』の積み重ねに見えていても、きっとシャンクスの中にも別の形の何かはあるんだと思う。その形が何なのかはわからないけれど、 大切に思ってることは間違いない。
 そばにいなくても、時々のメールと年に1度の声と表情のやりとりがマキノさんを満たす。あの村の人はみんなが家族みたいだから、きっと恋人や結婚のどちらの気配もないマキノさんを心配してたりしたんだろう。それでもきっと、村の人は時々マキノさんにブツブツ言いながら、気持ちはずっと尊重してきただろう。
「プロポーズを受けようと決めたらどうしても最初にあなたたちの誰かに話したくなったの。でも、シャンクスにメールを、とは思えなかった。頭に浮かんだのはエースの顔だったかな。子どものころから一人前な顔をしてたあの子に、気持ちを見透かして欲しかったのかもしれないね。でも、代わりにいつの間にかこんなに大きくなってたあなたがいてくれた。ありがとう、サクヤ。女同士の内緒話、できてよかった」
 女同士の内緒話。不思議だけど嬉しい響きが心をくすぐった。
 マキノさんは空を見上げ、それから地上を見下ろした。
「こんなに大きな街で、寂しくない?」
「ここがシャンクスが作ってくれた家だし、エースが帰ってくる場所だから…今はまだ」
 マキノさんは微笑んだ。
「そっか。そうよね。エースはシャンクスの親バカに勝っちゃうたった1人の人間だものね。そばにいると幸せな分余計な心配もあるんだろうけれど、でも、わたしはとにかくあなたが羨ましいわ、サクヤ。一緒にいられる時間って他の何より大事だもの」
 うん。
 反射的に強く頷いたわたしにマキノさんは目を細めた。
 この人の心からの笑顔を見たい。自分がまだまだ幼いことを、また少し意識した。


 マキノさんはサンジ君と交代して台所に立ち、とても楽しそうに料理を作ってくれた。
 サンジ君とゾロは一応『帰った』。でも多分、どこか近くからこの部屋の様子を見張ってくれているのだろう。
 テーブルに並んだ懐かしい皿のひとつひとつ。エースがきっとお手本にしていた料理たち。
 ルフィはマキノさんの顔を見ると目をまん丸くして、顔いっぱい、大歓迎の笑顔になった。でも、意外なことに抱きついたりはしなかった。ああ、そうだった。あの頃のルフィはマキノさんのことが大好きだったけど、自分は『男』でマキノさんは『女』だと胸を張り始めていた。ルフィだもの、それは決して性的な意味合いを含んだものではなく、シャンクスがマキノさんに対して見せる表情、かける言葉、相手を尊重する態度を自分なりに解釈して身につけようとしていたのだと思う。
 マキノさんの隣に立ちながら会えなかった時間の空白なんてなかったみたいに学校での出来事を報告するルフィは幼い頃のままで、マキノさんはルフィの言葉を涙を飛ばすくらい笑って聞いていた。
「ただいま」
 後ろから耳元に囁いた声。いつものコロンの香り。
 帰ってきた。今日はエースに会えた。
 わたしが振り向く前にエースはマキノさんの方に歩いて行き、小脇に抱えていたボトルを差し出した。
「久しぶりだな、マキノ。ワイン、俺からじゃ値打ち半分だろうけど、いつもシャンクスが土産に持ってってたヤツ。当たり年のがまだ何本か寝かせてあったから」
 マキノさんは少し驚いたような顔をした。それから一つ頷いて、溜息をついた。
「やっぱりとっくに大人になっちゃってたのね、エース。普通の人とは違う空気の色とか匂いがシャンクスに似てきたわ。あんまりドキドキさせないで」
「マキノの前ではいつだって胸張ってたいからさ。こいつらに過保護するのは俺の特権だ!って。今までずっと、これからもずっと」
「はいはい。今までもこれからもずっとあなたの勝ちよ。少しは得意になって笑いなさい」
「じゃ、遠慮なく」
 笑顔になったエースはシャツの袖を巻くってマキノさんの横に立った。
「さて、今朝は作れなかったか分、張り切って作るか。ルフィ、お前、つまみ食い禁止。シャワー浴びてさっぱりしてこい」
 その時わたしの顔を見たエースが小さく頷いた気がした。そのまま椅子に座ってていいってことだろうか。わたしは2人の後姿を黙って眺めた。
「ずっと元気だったんだよな?マキノ」
「毎日平和に暮らしてるわよ。ちょっと弱気になってグラグラしそうになったけど、サクヤとおしゃべりしたらいろいろ思い出して大丈夫になったわ」
「あんたらしくて安心した。貫けば本物なんだ。それに関しては大先輩だからな、料理と同じ」
 エースの声には普段あまり聞かない真剣さがあった。
 マキノさんの肩が小さく震えた。
「…貫けるかしら、最後まで」
 エースはマキノさんの額に小さく口づけた。
「大丈夫だろ。たまにこんな時間があれば、きっと余計に楽だ」
 マキノさんは笑った。でも、声が震えてた。
「いよいよ生意気になっちゃって。わかってる?自分の魅力」
「誰のためでもねェさ」
 2人は互いをよく分かり合ってる。きっとマキノさんとわたしの『女同士の内緒話』とは違うやり方で。エースがそっとマキノさんを守ろうとしているのがわ った。あったかくて綺麗だった口づけの光景に胸の奥が熱くなった。
 ああ、エースが好きだ。
 こみ上げる思いを堪え、2人のどちらかが振り向いたときに備えて、ちょっと不自然かもしれない笑顔を作った。


 泊まっていくことにしてくれたマキノさんはシャンクスの部屋に寝てもらった。ここしばらく主の帰りを待ち続けているあの部屋で、何を思っているだろう。考えると眠る気分になれず、居間からバルコニーに出た。そしたら、エースがいた。
「夜は結構寒いな」
 ベンチを半分空けてくれたエースは、羽織っていたシャツを脱いでわたしの肩から掛けてくれた。その事一つでおかしなくらい胸がいっぱいになってしまう。そばにいることを許されて、安心して、あったかくて。
 ねえ、エース、いつからマキノさんの気持ちを知ってたの?
 マキノさんが貫こうとしているのがシャンクスへの気持ちなら、エースは…何を貫こうと思っているの?
 訊いてみたかった。でも、やめた。簡単に質問していいことじゃないだろうし、エースが困ってしまうかもしれないから。
 エースの指がゆっくりとわたしの髪を梳いた。
「まだ少し濡れてる。風邪、ひくぞ?」
「うん…もう少しだけ」
 言葉を続けそうになり、急いで口を閉じた。
 もう少しだけ一緒にいたい、というのは妹から兄への言葉としてはおかしいだろうか。おかしくてもエースならきっと笑って受け止めてくれるだろう。でも、やっぱり言えない。
 貫けば本物。エースの言葉があれからずっと頭にあった。もしもその言葉をわたしのこの気持ちにも当てはめることができるなら。
「ものすごく真剣な顔、してるな」
 わたしの顔を覗いたエースが小さく笑った。
「みんなでフーシャ村に行きたいね。きっとそろそろ秋の花が咲いて風に揺れてる」
 青くて高い空の下、大きくてゆっくり回る風車の周りで。
「木の上で昼寝、したいしな~」
 振り仰いだエースの頭上、一瞬青い空が見えた気がした。
「多分、今夜のうちにシャンクス、メール送るぞ、マキノに」
 驚いたわたしの頭を大きな手の平がポンと叩いた。
「お節介もいいところだから、あんまり胸は張れないけどな。突然のお客が来てることだけ教えたから、さっき」
 エース。
 言葉が出なくてただ見上げたわたしに、エースは頭を掻いた。
「んな顔で見るな。勿体無い」
 照れたらしいエースにぐっと肩を抱かれ、心が窒息しかけた。
「…シャンクスも帰りたくなるかな、フーシャ村」
「なるだろ、村の夏を思い出せば」
 顔の下にエースの鼓動を感じた。
 まだ照れているのか、それはわたしのものと同じくらい速かった。


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