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星の瞬き

 そのカーテンはものすごくたっぷりと布を使っていた。これまで窓に下げていたものはエースが破れたシーツの端切れや何かをザクザクと縫い合わせたものだったから、四角くてちょうど窓ぴったりのサイズだった。そのカーテンを破いてしまったのはルフィとサクヤで、一緒に力を合わせて直そうと思ったのだが針に糸を通すことすら難しく、やっと通ったと思ったのにちっとも糸は破れた布を繋いではくれない。
 ダメだ。
 きっとエースや大人たちは糸に言うことをきかせる呪文を知っているんだ。
 2人でいろいろな呪文を考えて頭を振り絞っていた時、マキノが戸口から顔を覗かせたのだった。時々昼食を差し入れに来てくれるマキノは今日もエースが出かけていることを知っていておいしそうな香りがする蓋つきの皿を持ってきてくれたのだが、飛びついてきたルフィに驚き、涙を落とさないようにこっそり唇を噛んでいたサクヤを見て目を丸くした。
 大丈夫、うちに余ってるカーテンがあるから。
 マキノはにっこり笑ってカーテンを取りに行った。ニコニコしながらルフィが後を追って行った。
 けれど。
サクヤはそっと幼い手で破れ目を撫ぜた。


 波打つ布地は色も手触りもしっとりとしていた。マキノが一緒にくれた結び紐はまるで小花のネックレスのようでとても可愛らしいかった。早速窓にかけると風をうけて柔らかく揺れる。まるで安心していいよ、と囁くように。
「エース、びっくりするだろうな~」
 サクヤとルフィは窓辺で2つの頭を並べてエースの帰りを待っていた。ルフィは時々嬉しそうにカーテンに触って自分の手で揺らしたりした。けれど、サクヤはなるべく目を向けないようにしていた。
 夕暮れの赤みを帯びた黄金色が段々明るさを落としていく。道の向こうに手を振るエースの姿が見えたとき、2人は裸足のまま窓から外に飛び出した。
 エース。エース。
 待っていた時間の分、それ以上に嬉しさでいっぱいになる。笑いながら抱きついたルフィと一緒に草の上をゴロゴロと転がったエースはルフィの頬を軽くつねってから立ち上がった。
「ただいま」
 差し出された手を見て躊躇ったサクヤにエースは首を傾げた。そっと頭に手を置くとサクヤは小さく笑った。
「腹減ったろ?風呂も沸かさねぇとな」
 風呂となれば水汲みだ。笑顔を交わして走り出した2つの小さな後姿を追い越してしまわないようにエースはのんびりと微笑しながら追った。


 食べて笑って風呂に入って。ルフィは風呂から飛び出したところをエースに捕まえられて頭をタオルでごしごしやられているうちに眠ってしまった。
「ったく、こいつは」
 パンツひとつでも風邪はひくまい。エースは弛緩しきった身体を抱えて行ってベッドに放り込むとやれやれ、と呟いた。
「髪、乾いたか?サクヤ
 先に一人で風呂に入ったサクヤの姿を求めてぐるりと部屋の中を見回すと、窓に背を向けて座っている姿を見つけた。相変わらず…少女の表情に浮かぶものを見て取ったエースは灯りを持って歩いて行き、静かに隣に腰を下ろした。
「気に入らないのか?これ。お前にしては珍しいくらい意地張ってるな。…どした?」
 ルフィがマキノがカーテンをくれたことを張り切って話している間も、食事の間も、その後も、サクヤはなぜかカーテンを見ようとしなかった。真面目な顔に頑なな表情を浮かべている様子にエースはずっと首を傾げていたのだが。そう言えば彼が帰って来たときからサクヤはずっと何か変だった。
 その時、エースは膝を抱えている少女の膝と身体の間にあるものに気がついた。きっちりと畳まれた布…それは替えたばかりの破れたカーテンだった。
サクヤ…お前」
 名前を呼ぶと大粒の涙がひとつ、転がり落ちた。慌てて大きく首を振るサクヤにエースは笑わずにはいられなかった。
「そんなことしたら余計、涙、落ちるって。そのカーテンはさ、ほら、最初から縫い目ザクザクの下手糞だからよ、破けちまったのも無理ねぇって。気にすんな」
 ひとつ、ふたつ。続けて涙を落としながらサクヤはカーテンを握りしめた。
「…ごめんなさい…エースが一生懸命に作ったのに…わたしとルフィじゃ全然直せなかった…」
 ぽつりぽつりと途切れる声の震えを聞いた時、エースの顔から笑いが消えた。
「…バカ」
 抱きしめるとサクヤの身体の細さが全部エースの腕の中にすっぽりと入った。いつもは幼いルフィに比べて年齢以上の理解力と落ち着きを見せる少女の心が傷ついている。そしてその原因はエース自身だ。痛みと一緒にほのかな甘さがエースを満たした。
サクヤが泣いてくれたんだからそのカーテンもこれまで頑張った甲斐があったさ。俺だって縫って良かったな~って思うし。だからさ、それ、サクヤが持っててくれよ。雑巾にしちまおうと思ったけど、やめた」
 彼を見上げる泣き顔を見下ろしながらエースはふと、予感を覚えた。これ以上ないくらい愛しい妹という彼の心の中でのサクヤの位置は、いつか変わる。もっと大切で誰にも譲れないものになる。そしてそれは彼だけの秘密になる。
「泣くなよ、サクヤ。ほら、もう大丈夫だろ?ちゃんと窓を見てみろよ」
 エースは自分と一緒にサクヤの身体をぐるりと回した。
「こんな絵本、お前、持ってるだろ?」
 開いたカーテンの奥に見える細い月。その光に負けないように空に広がる星たちの輝き。
 エースは手を伸ばして灯りを消した。
 窓から差し込む冴えた光が筋になって床に届いた。
「綺麗」
 囁いた小さな声にエースは微笑した。石鹸の香りが漂っている頭にそっと唇をあてた。その行為が持つ意味を考えた時、エースは自分がたった今、以前の自分とは変わったのだと思った。もっと早く強く、大きくなりたい。一瞬の狂おしい渇望が彼の中を駆け抜けた。
「エース?」
 幼い声にエースは微笑を深くした。
「じ~っと見ててみな、サクヤ。星が揺れて合図してくれる」
 すぐに熱心な視線を向けた少女の横顔に惹かれた。
「ほんとだ…チカチカしてる。すごいね、エース。」
 向けられた笑顔を守りたいと思った。
 どうか、守ることができますように。神を信じない少年は、一筋の星に祈った。


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