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いたずら

 村があるのは暖かな気候の地域だったから、滅多に雪が降ることはなかった。
 だから、子供たちは憧れた。
 真っ白な雪の中で大きな雪ダルマを作ってみたい。何日も降り注ぐ日差しに勝って立ちつづけるくらい大きな。
「さむいのにな~」
 窓ガラスにはりつくようにして、暗くなり始めた外を眺めているルフィは裸足。さっきエースが抱えてきた大きな薪を暖炉に放り込んだばかりなので、部屋の中が心地良い。暖炉1つで全体が暖まる小さな部屋は子供3人にちょうどいいのだ。
「エ~ス~、雪、降らしてくれよ~」
「お前なぁ。俺が願えばかなうことばかりなら、今頃は俺たち3人、世界を股にかけてるぜ」
 朝からほとんどの時間を台所で過ごしているエースの返事が響いてきた。なんだか甘い匂いがする。
「なんだ、エースでも無理かぁ」
 ルフィのこういう発言は実は本気なことが多い。
 そして、エースが真剣に「台所には入るな」と命を下せば素直にきく。普段は忍び込んで色々つまみ食いさせてもらうのだけど。
「雪ダルさん、作りたいよな~、サクヤ
「うん」
 大好きなルフィをがっかりさせたくないからにっこりしてうなずいてみる。でも、本当は。
 わたしの記憶の中にはなぜか雪の冷たさがしっかり刻み込まれている。全身を包み込む冷たさとしみてくる水、段々と失われていく感覚。
 冬は苦手だった。雪も嫌いだった。
 だから、クリスマスも自分には関係ないものだった。
 エースとルフィの中にはクリスマスの思い出がいくつもつまっているらしい。小さくてちょっと古びたツリーを物置から引っ張り出してきて仲良く一緒に飾り付ける姿は、ものすごく幸せそうだった。
 わたしは手を出さないで2人をずっと眺めていた。ルフィが何度か一緒にやろうと誘ってくれたけど、断っているとそのうちエースがルフィの気をそらしてくれるようになった。
 眺めているのが一番嬉しい。そしてそのことをわかってもらえたのが。
 これで2度目の3人一緒のクリスマス。
 お互いにプレゼントは準備しない。一緒に過ごせるだけで十分…と思っているのはわたしだけかもしれないけれど。
 マキノさんがお店に呼んでくれたけれど、行かないことにした。クリスマスというのはやっぱり家族のものなのだと思う。マキノさんのところに集まる大人たちは、みな、優しくてちょっといろいろある人が多い。特に、クリスマスには。
「俺たちは家でやるよ」
 エースがマキノさんに答える言葉を聞いた時、わたしの顔には何があっただろう。あまり嬉しさが出てなければいいけど。もしかしたらマキノさんががっかりしたかもしれない。
 ツリーを飾ってしまうと(そして見学が終わってしまうと)、ルフィと私にはもうすることがなくなった。掃除はいつも以上に完璧にしてあったし、なぜか朝からお風呂にも入った。
 だからずっと、ルフィと2人並んで、ずっと窓の外を眺めていたのだ。
 風のうなる音が聞こえた。
 空は灰色だった。
 白いものがちらちらと落ちてきても不思議じゃない…そんな感じがしていた。
「なあサクヤ、サンタさんっているんだよなぁ」
 思わず覗き込むとルフィの目はまん丸で、澄んでいた。
「でもさぁ、サンタさんが来る家と来ない家ってあるんだよな~。うちにはずっと来ないし。サクヤ、会ったことあるか?俺、会ったことないんだよな~。前に来てくれたときはまだチビだったし」
 恐らくルフィとわたしは今も大人から見れば「チビ」だ。
 わたしは自分に関係ないながらもサンタクロースの正体は知っていた。大人たちが自分の子供を喜ばせようといろいろな計画を囁きあう声が、黙っていても耳に入ってきた。守って、与えて、その代償には笑顔しか望まない。この季節にはそんな声が似合う。
「サンタは世界で1人なんだぞ。一度でも来てくれたらそれでいいんだ」
 台所から出てきたエースが腰に巻いていたエプロンを脱いだ。そのエプロンからも、髪や体、エースの全身から甘い匂いがした。
「エ~ス~!できたのか?うまいのか?」
 エースは顔一面が笑顔になった。
「ちゃんと手ぇ、洗って来いよ!」
 ルフィは走っていった。
 ああ、そうか。ルフィはこの笑顔に守られてきたんだ。そして、全身で甘えるルフィがいることがエースの…
「お前も早くしな。で、お茶淹れてくれよな」
 エースがわたしの頭をポンッと叩いた。
 こうやってエースはさり気なくわたしに居場所をくれる。
 ルフィと入れ替わりに手を洗い、踏み台にのっかって熱い紅茶を淹れた。
 エースが作ってくれたケーキは大きくて真っ白なクリームがたっぷりだった。
 フォークで端を切り取ってそっと口に入れると甘い。この甘さをはじめて知ったのはやはり最初の年のエースのケーキだった。それまでは大人が差し出してくれるお菓子は絶対に受け取らなかった。
 エースは最初は食べないで、食べているルフィとわたしの様子を見ている。嬉しそうに。
 エースが嬉しそうなのでわたしたちも嬉しくて安心する。
「いいこと考えた!」
 ルフィがクリームだらけの顔で立ち上がった。
「サンタさんが全部の家に来ないんなら、俺たちがサンタになろう!」
 エースとわたしは目を合わせた。
「なんかさ、サンタが来たぞ~!っていう印をさ、どこかにさ…」
「村の全部の家に印を残すってか?」
 エースの声は半分呆れて、半分笑っていた。
「そしたらさ、みんなが嬉しくなるだろ?」
 村でサンタが来ないのは、この小さな家とあとほんの何軒かだろう。でも、ルフィはそうは思ってない。
 一生懸命で、楽しそうで。
 だから、壊したくない。
「で?」
 エースが尋ねるとルフィはしばらく腕組みをしてうなっていた。部屋の中をぐるりと見回して、ふと、視線を止めてニカーッと笑った。
「窓だ!ほら、ハーッとして絵を描けるだろ?そんでサンタの顔を描くんだ!」
 ついさっきまで冷たい窓ガラスに息を吹きかけて絵を描いていたわたしたち。それを思い出したらしいルフィがものすごくわくわくしているのがわかった。
 サンタは果たして窓にいたずら描きをするか。
 そんなことは気にならないほど、ルフィの気持ちがいっぱい伝わってきた。
「普通は、止めるんだよな、これって」
 囁いて笑うエースの声にも同じ気持ちがあるみたいだった。
 こうなったルフィは止められない、止めたくない。
「じゃ、ま、食べたら準備して、行くか!」
 エースの一声がわたしたちの起爆剤。
 その日の夕食も兼ねたケーキを大切に、でもちょっと急いで口に入れては飲み込んで。お茶のポットをすっかり空にした後、わたしたちはしっかりと着込んだ。外から忍び込む空気がどんどん冷えていたからだ。いつもどおり手袋の片方が見つからないルフィはエースのを借りた。何も言わないわたしの首に、エースはマフラーを巻きつけてくれた。
「うちじゃ、お前しか風邪ひかねぇからな」
 あったかい。
 外はすっかり夜になっていて、星がたくさん見えた。透明な空気が耳や鼻に冷たく張り付いてくるような感じ。
 ランプを持ったエースを先頭に、わたしたちは必要以上にそっと、息を殺して進んだ。時々、嬉しさのあまり笑い出すルフィの口を押さえながら。
 はじめてみると、どこの家ももう、部屋の中のカーテンを引いていたから、歩いているところを見つかりさえしなければ、そっと「任務」を果たすことが出来た。
 1軒ずつ交代で、窓のひとつにフ~ッと息を吹きかけてサンタの顔を描いた。外から描いたこの絵って、あとでまた浮かび上がってくるものだろうか。わからなかったけど、わたしたちは夢中だった。
 クリスマスは関係ないはずのわたしも、エースのケーキとこの「任務」のおかげで気分はすっかりサンタの助手だった。
 小さな村だけど、子供の足で1軒ずつ回ると結構時間がかかったと思う。ようやく全部描き終わって帰り道の途中の野原に出た時は、エースもルフィも鼻の頭が真っ赤だった。
「サンタって偉いな~。こんなさむいのに」
 ルフィが空を見上げた時、頬に冷たくて小さなものが触れた。
「あれ…?」
 わたしも空を見上げると、よく見えないけれど鼻の頭がまた一瞬冷たさを感じた。
「ほら、ルフィ!」
 エースがランプをわたしたちに向けた。
 セーターや手袋、マフラーの上にいつのまにか散りばめられていた白いものが見えた。
 雪だ。
「すげ~!」
 叫んだルフィがまた空を見て大きく口を開けた。
「なんだ、突然食うのかよ」
 エースが笑った。
 その笑いはすぐにルフィとわたしに伝染して、わたしたちは笑い転げた。嬉しくて、楽しくて、爆発しそうな気分だった。
 手袋についた雪をランプの灯りにかざして、溶ける前の一瞬に形を読み取ろうとした。
 マフラーを振り回して、どれだけたくさん雪をつかまえらえるか試した。
 子供だけっていうのはこういうとき、すごくいい。大人がいたら、きっと許してくれない。
 わたしたちは思う存分、雪を追いかけて走り回った。
 もう、雪は嫌じゃない。クリスマスも平気だ。


 3人とも十分満足した後、家の近くまで歩いてくると、窓から灯りがもれているのが見えた。
「エース、ランプ消さなかった…?」
「いや。消して、残ったひとつを持って出た」
 じゃあ、誰が?
 足を止めたわたしの横をルフィが駆け抜けた。
「シャンクスだ~~~~!!」
 エースが手を繋いでくれて、わたしたちも走った。
 こういうときのルフィの勘はまずはずれない。「なんとなくだ」という最強の呪文なのだ。
「シャンクス~~~~!!」
 ドアにぶつかるようにしてルフィが飛び込んでいった。
 わたしとエースが駆け込んだときには、もう、シャンクスの腕にぶら下がっていた。
「なんか、楽しそうだったな~、お前たち」
 冬なのに麦わら帽子のシャンクスが、覚えているのと全然変わらない笑顔で立っていた。薪を足したばかりらしい暖炉の火が大きく燃え上がって、部屋の中があたたかい。
「なんだ、見てたのか。…今度は長かったな」
 エースが言うと、シャンクスの笑みがくしゃっと崩れた。
「久しぶりだから港からまっすぐ来たんだけどな。お前たちがあんまり楽しそうだったから、仲間に入るかそっとしとくか迷っちまった」
 シャンクスは片手でルフィを持ち上げて、椅子に座らせた。それから、黙っているわたしの前に歩いてきた。
「どうした、サクヤ。そんなに驚かしちまったか?」
 笑っている瞳の中にやわらかな光が見えた。
「髪が伸びたな」
 そっと髪に触れる手が、大きい。
「ケーキ、食うか?まだ残ってるぞ」
 台所へ行こうとしたエースをつかまえて、シャンクスはほんの一瞬、その腕の中にエースを抱いて、すぐに離した。
「あのなぁ、ベンもヤソップもラッキーの奴も、お前たちに会いたがってるんだ。他の連中もな。今頃はもう、マキノさんの店は俺たちの貸切になってるだろうから、一緒に行こうぜ」
「子供を夜中の酒場に誘う大人がどこにいるよ」
 エースがニヤリとし、ルフィがまたシャンクスに飛びついた。
「いいだろ。今日は肉でもなんでも奢ってやるよ」
 シャンクスのあたたかい手がわたしの右手を包み込んだ。
 外に出ると、雪はもう止んでいた。冷たかった空気もちょっと違った感じがした。
 嬉しいとかしあわせってこんなに簡単なことなんだ。
 そう思えた。


 結局、わたしたちがその夜に果たした「任務」に気がついた人は誰もいなかった。雪も積もらないまま終わった。
 それでも。
 あの夜のことは今でも時々夢に見る。
 3人でドキドキしながらいたずら描きした家々。降ってきた雪。走った野原。そしてシャンクス。
 マキノさんの店で盛り上がる男たちに囲まれて、なんだかすぐに眠ってしまったこと。あの時も、エースがすぐ隣りにいてくれた。
 そっと起き上がると、エースはまだ眠っていた。
 エースもあの時のことを夢に見ることはあるのかな。
 このまましばらく、エースの寝顔を眺めていたい。
 あの時みたいに息を殺して、できるだけ静かに膝を抱えた。


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