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探花行

 どこに、あるかな。
 とびっきりの花を探そうと思った。
 明日は新年最初の日。でも、それよりもエースの誕生日であることのほうが、大切。
 夜にはきっとまたみんなでパレードを見に出かけることになるから、昼間のうちに見つけておこう。エースにぴったりの花を。
 今年はどうしてもエースに花をあげたかった。
 お誕生日でもないと、そんな機会はなかなかないから。
 エースが時々気まぐれだよっていう顔をしながらお土産にくれる小さな花束。あれを貰ったときのものすごく嬉しい気持ちを、わたしも贈りたいと思った。
 季節に関係なくいつもいろいろな花が溢れているこの街なら、エースにぴったりのエース自身によく似た花を見つけるのは案外簡単かと思っていた。
 でも、違った。
 香りの甘さがとても強い黄色のフリージア。
 純白の優雅な大輪の花。
 限りなく漆黒に近い大人びた薔薇。
 冬なのに、とさすがに驚いた薄桃色のチューリップ。
 冬の窓辺によく合う感じの水仙。
 可愛らしく首を振るパステルカラーの花たち。
 みんな、とても綺麗だった。
 でも、エースの花じゃなかった。
 真夏を思わせる向日葵を見かけた時、フーシャ村を思い出した。エースとルフィと青い空…そんな光景が頭に浮かび、一瞬手を伸ばしかけた。
 でも、やめた。
 お日様みたいなエースの笑顔が大好きだけど、これじゃない。きっとどこかにもっともっとエースみたいな花がある。その予感を信じて、また歩いた。
 大きな街。
 時々、ここに来たばかりの頃のように上を見上げてみると、ビルたちの尖塔の先がたくさん空に届こうとしているのが見える。これを見ると、ああ、違うんだな、と思う。
 あの懐かしい村では青い空を脅かそうとするものは何もなかった。大きな風車も風の力を借りて強く、そして穏やかに回りながら空と遊んでいた。
 わたしをあの村に連れて行った人間が誰なのかはわからないけれど、命ある今、そのことだけはとても幸運だったのだと思える。今年も1年、村には帰らないままこの街で過ごしたけれど、わたしの一部はいつもあそこにいる。そして、いつもエースを待ってる。
 いつも、わたしはエースを待っている。
 大好きなエース。
 大好きでいられる幸福をぎゅうっと抱きしめたら、何だかちょっと目が回ってしまった。おかしいな、と思ったときにはストンと膝が落ちていた。
「おやおや、大丈夫かのう?お嬢さん」
 軽く頭を振って目を開けると、目の前に差し出された大きな手があった。
 顔を上げると人の顔があって…ええと、人、だよね?特徴的な鼻の形に思わず一瞬童話の世界に入りかけた。大人になったピノキオ。そんな感じがする人が、わたしに笑顔を向けていた。
「ああ、いえ、ごめんなさい…こんなこと、初めてで…」
 言いかけたわたしは、その人の背景に色とりどりの花を見た。街角のこじんまりとした小さなお店。この辺に来たのは初めてだから、当然、このお店も初めてだ。
「…お花屋さん?」
 飛び上がるように立ち上がったせいでまた眩暈を感じた頭を押さえると、その人は身体をかがめて心配そうにわたしの顔を覗きこみ、やがて笑った。
「いかにも、うちは花屋じゃが。もしかしてお嬢さん、花屋を探してたところかのう?」
 頷くと笑顔がぱあっと広がった。
「じゃあ、なおさら遠慮は無用じゃ。店に入ってちょっと休んだ方がいい。休みついでにじっくり花たちを見るとよかろう?」
 また差し出された手を首を振って断った。
「カードが固いしっかりしたお嬢さんじゃ。なおさら、気に入ってしまったわい」
 その人はわたしの前を、ちょうどわたしが安心できるくらいの距離をあけて歩いた。とても勘がいい人なのかもしれない。
「ルッチ、ひょんなことでお客さんを拾ってしまったぞ。赤い髪が印象的な、綺麗な娘さんじゃ」
 ブリキに見える水が入ったバケツに溢れる花々の間をするすると通り抜け、その人は店の中に声をかけた。その頃にはわたしはその人の話し方に鼻の形以上の個性を感じていた。多分、年齢はエースと同じくらいか少しだけ年上なのかもしれないのだが…語尾に特徴がある話し方はもっともっと年上の、というか、おじいさんにこそふさわしいように思えた。
「ほら、中に入ってそこのテーブルで少し休むといい。ルッチがコーヒーを分けてくれるじゃろ」
 ルッチ?
 他人の好意に甘えることに抵抗を感じながら店先からそっと覗くと、奥の小さなテーブルに座っていた男と目が合った。鋭い。一瞬にしてすべてを見て取ってしまうような視線がわたしを読んでいるのを感じた。初めて顔を合わせる他人に向けられるシャンクスのものよりも冷たく、そのくせ醒めた視線。
 …ここは花屋、だよね?
 思わず振り返って明るい色の花たちを確かめた。ルッチという名前らしいその人間はあまり花屋らしくない気がした。もっとも、花屋は愛想のよい人間だけの特権というわけでもないのだろうけれど。
 入り口に立ったまま入ることを躊躇っているわたしを、おじいさんのような話し方をする方の男が迎えに来てくれた。わたしの前に立ち、笑顔で店の中に向かって首を振る。
「入るがよかろう?ルッチは無口なヤツでのう、気にすることはない。お嬢さん、あんた、まだ顔色が悪いぞ」
 確かに、頭の芯がまだふらついていた。貧血だろうか。どうしてこんな時に。確かに朝からずっと花を探していたけれど、昼ご飯を抜いたくらいでこんなになるなんて、まるでルフィみたいだ。そこで時計を見ると、実はもう夕食の時間に近いことに気がついた。
 そうか。
 ここは街の中でも夜がない区画なんだ。
 わたしは噂でだけ知っていたことを確かめるために振り返ってまた空を見た。
 青かった。
 不自然なほど青く、そして、さっき見たはずの雲の位置も形も多分変わっていない。
 不夜の街。
 そこに自分がいることが、なぜか店の中に入ることをさらに躊躇わせた。
「ああ、もしかして、夜のない街に来たのは初めてじゃな?ここは不思議な場所でのう、夜が欲しい人間はシャッターやカーテンやブラインドで自分で夜を作らなくちゃならん。起きて楽しんでいたい人間は、いつまでも楽しんでいていい場所じゃ。もっとも、それも度を越えると人間、少々端っこから狂ってしまうらしいがのう。まあ、わしらはこの場所が身体に合っとる。自分達や花の都合に合わせて夜を作ればいいからのう」
 そうか。わたしの身体はこの街に順応しきれていないんだ。そう思った。わたしは朝が来て昼に太陽が高く上ってやがて柔らかな夕暮れが来る、そんな1日のリズムしか知らない。だから、気がつかないうちにペースが狂ってきているのかもしれない。
 その時、目に飛び込んできた美しい色があった。
「あ…」
 バケツの中で輝いて見えたそれは、真っ赤な薔薇だった。その赤が浅すぎず軽すぎず、そして深い中にもどこか陽気で美しく、燃えるように見える色そのものがエースを強く連想させた。
「あの薔薇…あの薔薇をください」
 力が入りすぎたためかかえって囁くような声で言ったわたしに、目の前にある笑顔が明るさを増した。
「おお?気に入った花が見つかったんじゃな?よかったわい。どれほど、どうしようかの?アレンジがよいかのう?ルッチはちょっと古風で綺麗なアレンジをするぞ?」
 …あの人がアレンジを?
 感じたギャップに一瞬興味をひかれたけれど、やめた。
「いえ、普通の、花束にしてください…ええと、そこのを全部」
「全部とは豪気じゃ。贈る相手がとても大切な人だということじゃな?眩しくて羨ましい話じゃ」
 すでにルッチという人がバケツから花を取り出していた。器用に動く慣れた手は、花の1本1本を大切に扱っているように見えた。
「じゃが、ほんとに顔色が悪いぞ?遠慮はいらんから休んでいったらどうかの?」

 我ながら無意味に頑固かもしれないと思いながら、首を横に振った。感じ始めた冷汗が気持ち悪い。でも、ここはあまり長くいてはいけない場所のような気がした。
「ガードは固いし勘もいい。さすがは、といったところかのう。ますます気に入ってしまったわい」
「…え?」
 聞こえた呟きとどこか悪戯っぽく感じられる笑顔の意味を尋ねようと思った時、ルッチが歩いてきて出来上がった花束を差し出し、低い声で値段を告げた。思いがけず、安かった。驚いているわたしを一瞥し、ルッチはまた奥に戻っていった。
『クルッポー』
 その時聞こえた柔らかな音…というか声は何だったのだろう。わたしからはよく見えなかったが、ルッチは顔を上げてどこかを見た。その後姿にはなぜか、もしかしたら今彼の口には微笑が浮かんでいるのかもしれないと思わせる空気があった。
「安いと感じたら、また今度花を買いに来てくれると嬉しいのう。値段は初めてのお客さんへの挨拶代わりじゃ。それに、その薔薇は今が一番綺麗な形をしておるからのう。どうせあと1時間もすれば値段を1段階下げることになるんじゃ。…さて、少しだけ送って行こうかの?そうじゃな、ロードの乗り口くらいまでならどうじゃ?」
 花束は腕にすっぽりとおさまり、その重みが嬉しかった。とても爽やかな香りがした。やっぱりエースに似ている。
 わたしは送ってくれるというその人の顔を見上げながら困っていた。この人がこんなにいろいろ言ってくれるほど、きっとわたしの顔色は青いのだろう。でも、わたしは1人でいい。家族以外の人と一緒に歩くのはとても苦手だ。
 大きな目をさらに丸くして、その人は苦笑していた。
 どうしよう。
 間に流れる沈黙を破ったのは背後に近づいてくるスピード感溢れる足音と、それを聞いた瞬間にその人の目に浮かんだ鋭い表情だった。
サクヤ!」
 …エース?
 振り向いたわたしは反射的に2歩、3歩と走りかけ、そのまま息を切らせたエースの腕に受け止められた。
「大丈夫か?何があった?」
 エースの目がわたしとわたしが抱えている花束を見た。それからゆっくりと微笑しながら立っている花屋に目を向けた。そこにはとても厳しい表情があった。
「…サクヤ?」
 やわらかく問うエースの声の裏には一触即発の緊張感があった。
「…エース…どうしてここが?」
 問い返すとエースは首を傾げ、少しだけ緊張を解いた。
「押しただろう?シグナルのボタン…いや、違うか。その顔からすると俺が今ここに来てびっくりって感じだな。まあ、とにかく俺が何となく気が向くままにお前を探してたらシグナルが届いた。で、案外近かったから走ってくるのが早いと思ったんだが…」
 シグナル。わたしはコートのポケットを押さえた。もしかしたら、さっき、膝をついた時に。
 わたしの様子から事情を察したらしいエースはやっと笑顔になった。
「偶然ならそいつはまあ、幸運な偶然だな。お前、この街は初めてだろ?ここは気をつけないと感覚が狂うから…用が済んだら早く出るに越したことはない」
「そのサクヤさん、気をつけて連れて帰ってあげるといい。わしらの店の前で1度倒れかけたからのう。あんたが…お迎えが来たから、もう大丈夫じゃろうが」
 花屋の声を聞いたエースの顔に、なぜか厳しさが戻った。店と2人の人間の様子をゆっくりと眺めたエースは小さく口角を上げた。
「妹が世話になった。いい花を売ってるな。また今度、寄らせてもらおうか…迷惑じゃなければな」
 その人は目をクルリと回した。
「もちろん、お客はいつでも歓迎じゃ。また来てくれ。わしらはまだ暫くはこの不夜の街にいついているつもりじゃからのう」
「なら…次の機会を楽しみに」
「何と言うか、お手柔らかに、じゃな」
 交わす笑みには多くの意味がありそうだった。
「持って行け、ポートガス・D・エース」
 いつの間にかルッチが戸口に立っていた。
 パシッという小さな音と一緒にエースの左手が受け止めたのは、ガラスの小瓶だった。中には液体が入っている。
「それを水に加えれば、少しは花が長持ちする」
「サービス満点だな」
 軽く言いながらエースがわたしの背中に回した腕には、また緊張感があった。この2人の花屋に背を向けた瞬間、わたしの身体も震えていた。
「急がなくていい。ゆっくり歩け」
 やわらかいエースの声に包まれながら1歩ずつ進み、街角を曲がった。
 一緒に足を止め、深呼吸した。
「倒れかかったってどうした?確かに顔色、よくねぇな」
 エースの手の平が額に触れた。
 ゆるいカーブを描いた指が頬を撫ぜた。
「一休みしていくか?」
「ううん。このまま帰りたい…もう大丈夫」
 一緒に、エースがいてくれるから。
 わたしの顔に何を見たのだろう。エースはにっこりと笑った。
「じゃあ、手」
 差し出されたエースの手にそっと右手を預けた。
 とてもあたたかかった。


 ロードの途中で、本当に街は夜に切り替わった。驚くほど一瞬だった。目に見えないどんな境界線があの街との間にあるのだろう。どうしてあの場所はあるのだろう。不思議な街。
「昼間に溜めた太陽のエネルギーの使い方をいろいろ実験してるっていうのがもっともらしい建前なんだけどな」
 わたしの心を読んだようなタイミングでエースが口を開いた。
「ただ、今のあの街、大分前にはまったく逆の暗い闇のイメージに包まれていた時期があるらしい。詳しいことは普通の人間にはわからない。それこそ、ケムリンにでも訊けば別だろうけどな。その昔の街の姿を知っている人間が、敢えてそこを正反対のイメージの実験の場所に選んだ、という噂もある。俺もあそ はまだ数回しか行ったことがない。だから、お前のシグナルがあそこからだとわかって、ちょっと焦ったな」
 そう言いながら、エースは笑う。その笑い声がわたしを安心させると知っているからかもしれない。
「…朝から出かけてたんだって?昼過ぎに帰ったら全員が大掃除の真っ最中なのにお前がいないし。何となく気になってまた外に出たんだけどな」
「携帯、持ってたよ?」

「…まあ…あのな、携帯鳴らすより自分で見つけてみたいかな~って思ったんだ。よく考えたらちょっと馬鹿みてぇだろ?でも、このデカイ街で偶然みたいにお前を見つけられたらすげぇなってさ。結局、偶然は偶然でもシグナルの偶然に助けられちまったけど」
 エースは頭を掻いて笑った。
「それにさ、お前が朝から連絡もなしっていうのは、多分、それだけ何かに夢中だってことだろ。邪魔はしたくなかったから。掃除をさぼるためじゃないぞ?だって、俺の部屋、誰かさんのおかげでピッカピカになってたし、サンジとゾロが玄関や風呂場は譲らないって顔してたしな」
 そう。朝からずっと。
 左腕に抱えている花束を見下ろした。昼の街で売られていた花は急な夜の訪れを気にする風もなく、とても綺麗だった。
 今が一番綺麗。
 そう言えば花屋がそんなことを言っていた。
 それなら、やっぱり。
 繋いだ手を離し、わたしがそっと両手で花束を差し出すと、エースの瞳が大きくなった。
「俺に?」
「何時間か早いんだけど。この花が一番エースらしいって、わたしには見えたから」
 やはり両手で花束を受け取ったエースは静かに顔を花に近づけた。
「綺麗だ。それに、いい香りがする」
 そのエースの横顔に見とれた。うっとりと優しく、やわらかく。
「今日、会えてよかった」
 言うとエースの腕がわたしの肩を優しく抱いた。
「…朝から、ずっと?」
「エースみたいな花がなかなか見つからなくて…」
「昼も食わずに…お茶も飲まなかったんだろうな、お前は」
「あ、うん。忘れてた」
「ったく、お前は」
 囁いたエースの頬が頭に触れた。
 気持ちも身体もあたたかさで一杯になった。エースがくれるあたたかさ。きっと他の誰もこれをくれることはできない。
「誕生日、おめでとう、エース。やっぱりちょっと早いけど」
「ああ。お前が一番乗りだな。すげぇ、嬉しい」
 エースの唇が頬をかすめた。
 静かなキス。大好きな兄からのキス。
 嬉しいのに真っ赤になってしまい、かなり慌てた。


 帰るとルフィとサンジ君が玄関まで飛んできて出迎えてくれた。いい匂いが部屋から溢れていて、サンジ君の活躍ぶりを想像できた。
 軽く食べている間にナミが来た。今年はお姉さんも一緒で一気に賑やかになり、わたしはパレードに出かけるまで一眠りすることになった。
 眠るまで、そして多分眠った後もずっとエースが一緒にいてくれた。
 いつまでもいつまでも小さな声の子守唄を聞いていた。


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