緊張、してしまう。
これは朝起きたときから、いや、昨夜寝る前から、いいや、この日の予定が決まったおよそ1ヶ月前から途切れ途切れに続いてきた気分だ…少し、大げさだけど。
飛行機は、苦手だ。
ホッパーなら平気でスピードを出せることから考えると、わたしは自分で運転していない乗り物が、多分、苦手だ。
訂正。自分とエースとシャンクスが運転している乗り物だけ、平気だ。実際、ベンがものすごく慎重に運転してくれた車は、ダメだった。その事でベンは、平気な振りをしながら、数日落ち込んだ…らしい。もっともシャンクスは、それが当たり前だと上機嫌だったのだけど。
まず、離陸。あれがダメだ。
エアポケット。考えたくない。
着陸。手に汗握る。
それでも、行く。飛行機に乗るしかない。だって、向こうにはエースがいるから。
乗れば、エースのところに行ける。
どう考えても乗るしかない。
半年、エースがいなくなる。それを知ったのは、薄明るい春の夕暮れ時。ひょっこり帰ってきたエースの姿に、最初は早く会えてとても嬉しかった。だから、話を聞いたとき、かなり複雑な顔をしてしまったかもしれない。
「…半年?」
「順調にいってな。大丈夫、もっと順調にいかせるから。ずっと早く戻ってきて、お前たちをびっくりさせてやる」
エースの笑顔はとびきり明るかった。だから、わたしも笑った。
メールもあるし、ヴィジュホンだって。
いつも季節が変わっていくのがあまりに速くて驚いてるくらいなんだから。だから、半年なんて、すぐだって。
いろいろ数え上げながら、だんだん笑みが顔に張り付いていく気がした。
たった、半年だ。
平気だよ、ね、エース。
シャンクスとだって、もう3ヶ月は会ってないんだから。
だから。
いつの間にか俯き加減になっていて、あわてて顔を上げた。そうしたらそこにエースの手があって、頭の天辺がぶつかった。
「サクヤ」
わたしの顔を覗き込んだエースの目尻に、微笑みが作ったやさしい皺があった。
「絶対早く帰るから、兄離れ、するな」
しようと思ってもできないよ。
そうは言えないから、黙ってこくこく頷いた。
エースの熱い手のひらが、わたしの頭をくしゃりと撫ぜた。
その日、電話が鳴った。エースが旅立ってから、ちょうど2ヶ月が過ぎていた。
2ヶ月。まだ予定期間の半分も過ぎていない。
メールや電話はできるだけ我慢して、週に2回程度にしてきた。それでもエースの忙しそうな様子が伝わってきて、本当は週に1回にしたほうがいいんだろうと思う。
それでも。
コール音はとても静かだったが、これまでの最速で飛びついてしまった。で、少しだけ我慢してさらにコール音を2回聞いた。
「…エース?」
「サクヤ」
エースの声がぎゅっと心を掴む。いつものことながら、うまく話せない。
エース。
電話の向こうから短い咳払いのような音が聞こえた。
「…降参していいか?サクヤ。あのな…飛行機のチケット、取ったから」
鼓動が速くなった。
「帰ってくるの?来られるの?エース」
「ん…」
何だか、エースが困っている。すごく。
「…チケットは2人分。お前と、あと1人、誰かの分。ルフィが来れたらいいけど、無理だったら用心棒のどっちかと一緒に。頼む、サクヤ。俺はまだ帰れそうにないから、お前が動いてくれ。大嫌いな飛行機だけど…、お前がおいで」
「行っていいの、わたし?」
エースの言葉を半分くらいまで聞いたところで飛び上がりながら答えた。そうしたら、困っていたはずのエースは、笑った。
「嬉しいくらいの即答だな。よかった、まだ兄離れしてなかったか」
してない。全然。
したくない。ずっと。
気持ちのままに答えちゃいけない気がして、黙っていた。
「…ありがとう、サクヤ」
思わず電話を握り締めた。
「あのな」
ドン、と目の前にオレンジジュースのボトルを置いたのはゾロの手で、見上げると首を傾げていた。そのままわたしの顔をじっと見て、思い直したようにグラスに健康的な色と香りを注いでくれ、どっかりと椅子に腰を下ろした。
「眠ってりゃ着く。行くんだろ?会いに」
「ったく、一緒に行くのがてめェだから、サクヤちゃんも落ち着かないんじゃねェか、クソマリモ。ほんとならな、俺がしっかりエスコートしてあげたいんだぞ。そしたらきっと安心して…」
「…で、ルフィのでかい胃袋に誰が食べ物を与えてやるんだ」
「くそ~ぅ。確かに、ヤツには台所を預けられねェ。お前もダメだ」
「そういうことだ」
歯軋りしかねない様子のサンジ君と落ち着き払ったゾロ。2人の会話を聞いている間は、ちょっとだけ落ち着ける。
冷たいジュースをちびちび飲んで。
サンジ君特製のパンケーキを食べて。
そしたら、ほら、そろそろ出かける時間だ。
そしたら、そしたら、エースに会える。その前に飛行機が待っているけれど。
でも…会える!
勢いをつけて立ち上がると、ソロが口角を上げた。
「調子が出てきたみたいだな」
一緒に立ち上がったゾロの前をふさぐように、サンジ君が立ちはだかった。
「くぉら、お前、そいつは置いてけよ。空港が大騒ぎになるぞ。サクヤちゃんまで逮捕されちまう」
逮捕?
…ああ、腰に下げてる3本のそれね。うん、確かに。
「あと、そんなズルズルした格好してねェで、少しこざっぱりした服着ろ。隠さなきゃいけないものはねェんだから、大丈夫だろ?」
「持ってねェ…って、母親か、お前は」
「誰がお前の」
何かちょっと違うする気がするけど、楽しいからいい。
その後、わたしとゾロはサンジ君が見守る中、一緒に歯を磨き順番に顔を洗って、いよいよスーツケースを転がしながら出発した。予想通り、サンジ君は玄関でわたしたちにピシッとアイロンがかかったハンカチを渡してくれた。
「…お母さんってこういうもの?」
歩きながら見上げると、ゾロは頭を掻いた。
「知らねェな。まあ、それをいうなら、あのコックだって知らないはずだ」
「そっか、みんな、知らないんだ」
「揃いも揃ってな」
ルフィも、エースも。
シャンクスはどうなんだろう。
ゾロはしばらくの間、我慢してわたしのスーツケースを転がしていたが…(ゾロ自身の荷物はない。身一つがいいそうだ)…、やがてトレーニング代わりだと言って持ち上げて歩き出した。確かに、いつもトレーニングで持ち上げてるバーベルよりずっと軽いだろう。すたすたと歩いていく。
結局、ゾロはロードに乗ってからも1度もスーツケースを下ろさず、そのまま空港に着いてしまった。
ああ、飛行機が離陸し、着陸し、何機も地上に並んでいる。この光景をルフィはすごく好きでいつまでも飽きずに眺めているけれど、わたしはこれから自分が乗るのはどの機体なのかと無意味に気になってしまう。
だから、ペースを保って進むゾロの姿がありがたい。その速さについていくには背中を見ながら一生懸命歩くしかないから、他のものがほとんど目に入らない。ただ、後姿を追って歩く。外の通路を通り抜け、空港内の人ごみをぬって、脇目も振らずに前進あるのみ。
前進。前進。さすがにちょっと、息切れしてきた。少しだけ歩調を緩めて…
「…ええと…、ゾロ?」
「何だ、疲れたんなら抱えていくか?」
思い切り首を横に振ったとき、メールがきた。2通。
「ごめん、メールが」
エースとサンジ君。
飛行機、乗ったか?忘れずに離陸前からガム噛んどけよ。
エース。そうだ、ガム。わたしはすぐに耳が痛くなるけど、ガムを噛んでると割りと楽になる。
片手でポケットを探りながら次にサンジ君のメールを開く。読み出してすぐ、やっぱり、と頷けた。
サクヤちゃん!言い忘れたけど、そいつ、方向音痴だから!ひどいなんてもんじゃない!おまけに無自覚!真顔で正反対な道をいく野郎だから!ああ、やっぱり俺が行けばよかったよ~。いい?何か困ったらすぐに、いつでも、とにかく…
残りは後から読んだ方がいいかな。顔を上げると、ゾロの『真顔』がわたしを待っていた。思わず微笑んだ。
「あのね、ゾロ、このまま歩いていくと、多分、空港を通り抜けて外に出ちゃうと思う」
まっしぐら、一目散に。
ゾロは頭を掻き、すぐにニヤリとした。
「まあ、いい。なら今度はお前が先を行け。ついてってやる」
何だかものすごく偉そうだ。だけど、何というか…すごく、らしい。
「…怖いな、飛行機」
実はゾロとサンジ君には話してなかった。それを呟くことができた。
「今さら、何だ」
笑われた。とっくにわかってたんだね、やっぱり。でも、いいか。これで、ありのままに怖がれる。怖いものを怖いと言っていられる間は、実はまだまだ大丈夫なのだから。
どんなに大きな飛行機でも、室内は閉塞感がいっぱいだ。わたしがぎこちなく席に滑り込むまで、ゾロは通路をふさいだまま待っていた。誰もその横をすり抜けようとはしない。そっか、ゾロの外見は怖いんだ。そこにいるだけで周りを圧倒する威圧感が溢れる。わたしはたまたま守られる側だから安心しきっていられるけれど、本当は中身はもっと怖い存在なんだろう。客室乗務員の女性が、通路で控え、笑顔で空気をはかっている。
エースは窓側の席をとってくれていた。窓から見る空港は、ターミナルから見るよりも広く感じられる。外と自分を隔てているのは本当に壁ひとつなんだと実感する。
非常口や救命胴衣の説明を半分聞き流しながらごそごそガムを口に追加していると、ゾロが顔を覗き込んできた。
「怖がってるわりに、説明を聞いてねェな」
うん。わたしが怖いのは、飛行機が落ちるとかそういう事故に対するものじゃなくて、もっと単純なんだ。酔って気持ち悪くのがいやで、あの、重力に逆らって昇ったり飛んだり降りたりする感じが全部苦手。で、それを説明するのも苦手。
「落ち着かないなら、目を瞑ってろ。眠ってりゃ着く」
朝もそう言ってたね。薬も飲んだし、もしかしたら本当に眠れるかもしれないね。
素直に目を瞑ると、ゾロの視線が離れるのがわかった。それからすぐに、飛行機が移動を始めた。
みんな、想像しないのかな。滑走路に向かって進む機体、わたしのイメージでは羽が重そうで大変なんだけど。飛んでいる間は絶対に必要な翼も、地上では幅を取る邪魔物。鳥のようにきれいに折りたためたらいいのかな。
エンジンの音の質と大きさが切り替わり、爆発的にパワーを帯びた機体が飛び出したくてうずうずしている感じがする。多分、今が怖さの中間で、飛行機の加速とともにピークへと昇っていく。怖い。滑走路から、もうタイヤは離れたのかな。思ったとき、身体の角度が変わり、背もたれに押し付けられる。
この角度は正しいのかな。どんどん上昇していって、でも、途中で息切れしないかな。ぎゅっと目をつぶったその時、ゴッという鈍い音とともに衝撃を感じた。
…え?
次の瞬間、何ともいえない匂いが鼻腔に流れ込んできた。
『異臭』。
この言葉がぴったりだ。ただ焦げているわけでもなく、油の匂いがするわけでもなく、でも独特な匂い。
目を開けると、乗客と向かい合うように席に座っているチーフパーサーの姿が見えた。座ったまま微笑を浮かべているが、時々ちらりと視線を動かす。今すぐに動こうとはしていない。
ええと、今のは、夢じゃないよね?
隣りを見ると、ゾロも目を開けたところだった。
「…何か、今…」
「そうだな。ぶつかった感じだな」
長いと感じた異臭も、実際は1分経つか経たないくらいで消えたのだろう。今機内で感じられるのは、エンジンの音が前とどこか違う気がすることくらいだ。前よりも、荒い。これも気のせいかもしれないけれど。
やがて機体は上昇を終え、水平になった。
チーフパーサーは、壁の受話器を持って何か書類を確認しながら口を動かしている。声は聞こえない。
「意外に落ち着いてるな」
「どのくらい怖がっていいのかわからないと、怖がれないのかな」
「てことは、やっぱり怖いのか」
「うん。でも、何だかまだ現実離れしてるね」
そこへ、きれいな声が流れた。
「当機は離陸時、上昇中、機体に何かが接触いたしました。ただいまそれによる損傷を確認中です。確認でき次第、改めてご説明申し上げます。なお、飛行の安全には影響はありませんのでご安心ください。ですが、確認が取れるまで今しばらく、シートベルトをご着用の上、ご着席のままでお待ちくださいますようお願い申し上げます。トイレの使用もお控えください。使用可能になり次第、ご連絡いたします」
安心…していいのだろうか。要点は何もわかっていない気がするけれど。
「ゾロ」
ゾロは大きく伸びをした。
「ま、落ちたりはしねェだろ、今のところは」
うん、それが現状なんだと思う。
その後、わりとすぐにトイレの使用許可がでて、何人か乗客が通路を行き来した。そして、飛行機はそのまま飛び続けた。
カプセルをひとつ飲めば1日効果があるはずの酔い止めは、薬としては結構強いものなのかもしれない。おまけに昨夜はあまり眠れなかった。多分その両方のおかげで、うとうとし続けた。薄く目を開けるたび、窓の外には青い空と下に広がる白い雲が見えた。
状況はどうなってるのかな。
ぼんやりした意識の中で隣りを見るとゾロも目を閉じていたから、特に新しい情報はないのだろうとまた眠った。
大丈夫、飛行機はエースに近づいて行ってる。
大丈夫、大きく揺れたりしないで真っ直ぐ飛んでる。
眠りに入りながら、祈っていた。このまま、飛びますように。早く、エースに会えますように。
けれど。
「乗客の皆様にはご心配をおかけしています。状況の説明をさせていただきます、当機の機長、アオタです。先刻、離陸途中に当機は鳥と思われる物体と衝突した模様です。それによる影響が機体の数箇所に確認されました。よって、安全点検のため、これより出発空港の方に引き返します。今後の予定につきましては、決まり次第お知らせします。お急ぎのところご迷惑をおかけし、申し訳ありません」
思わず、時計を見た。予定フライト時間1時間半のうち、もう、30分以上飛んだのに。それだけエースに近づいたのに。
それに。
不意に、大きな手が頭にのっかった。ゾロの手。エースの触れ方とは正反対の、ずっしりした重さ。一歩間違うと、押さえられてると誤解しちゃいそうな。
「眠っとけ。このまま放り出されはしねェだろうし、そうなったらなった時、考える」
エースがいる街の空港までは1日1便、1往復しか飛行機は飛ばない。だから、引き返すとなると、もしかしたらそのまま飛ばないこともあるんじゃないか。わたしが考えたことを、ゾロも考えたんだ。チケット代金を払い戻しておしまい…そうなるのが一番、困る。明日、乗れるとは限らない。明後日だって。いや、そもそも、今日、エースに会えない。
飲み物を配り始めたパーサーたちの笑顔が痛い。これからどうなるのか詰め寄る声も聞こえたけれど、機長と同じ言葉を繰り返すしかない。通路を挟んだ隣りの席では、母親の腕の中で幼い子供が熟睡している。目を覚ました時、前と同じ空港にいたら、きっととても驚くだろう。
ダメだったら、まず一番行きやすい大きな空港まで飛んで、そこからエースの街へ行く飛行機に乗ればいいのかもしれない。
それとも、1回家まで戻ってホッパーを持って、それから何とかして近くまで移動して…。
いや、全部ホッパーで行ったら、何日かかるだろう。
「考えすぎるな、バカ」
ゾロが声を上げて笑った。
「なるようにしかなんねェだろ」
ああ、そうだね。そうなんだけど。
言ったゾロは、手本を示すように目を閉じた。
穏やかな時のゾロの身体からは安定感が溢れている気がする。一緒でよかった。わたし1人だったら、きっと、出るはずのない答えを探して頭を空回りさせていた。
今、思うのはひとつだけ。
どうか、エースに会えますように。
エースの声を聞けますように。
目を閉じると瞼が震えた。
それを沈めてくれたのは、ゾロの寝息だった。
離陸と着陸のどちらが苦手かときかれたら、きっと答えを出せなくて困ってしまう。離陸時はこんな大きなものが重力に逆らっていけるのかという不安に包まれるし、着陸時はこんなに大きなものが突っ込むのにタイヤや脚が耐えられるのかと怖くなる。ずっとシートベルトをしたままだったわたしは、あとはただギュッと目を瞑って着陸に備えた。
少しずつ降りていく時、時々フワリと落ちる感じが苦手だ。旋回していることを感じさせるGも。
ああ、窓の外の建物の高さが、ちゃんと目線にあっていく。
怖い。怖くて両手を握り締める。
ドンッと地面に触れた気がした次の瞬間のブレーキとエンジン音の高まり。前に引張られる身体。足に力を入れて踏ん張ると、だんだん自分たちがちゃんと着陸できたのだという安心感が湧いてきた。
「乗客のみなさまに連絡いたします。ただ今、当機、空港に着陸いたしました。このままターミナルからは離れた駐機場に一旦向かいます。状況が確定次第お伝えいたしますので、このまま機内でお待ちください。なお、機体が静止しましたらシートベルトをはずしていただいて構いません。トイレもご利用になれます。もうしばらくお待ちください」
握り拳を開くと、手のひらに少しだけ汗をかいていた。それでも、ここはスタート地点。振り出しに戻ったんだな。
すごく、残念だった。
ゆっくりと走っていた飛行機が止まり、電子機器類の使用も許可された。携帯電話を引っ張り出して電源を入れたけど、エースに何をどう伝えるか、迷った。とにかく、大丈夫で元気な感じでメールを送ろう。そう思った時、着信音が鳴った。
無事にそっちに戻ったか?
エース。声が聞こえた気がした。こっそり、少しだけ心配そうな。どうしよう。どんな返事を書いたらいい?
迷った時、機内に陽気な声が響いた。
「いや~、ゴツンって音がして鳥がぶつかったみたいなんだけど、そしたらすぐ、焼き鳥の匂いがしてさぁ。そう、焼き鳥!」
焼き鳥。
いや、あの匂いは違うでしょう。つっこみたくなったけど、つい、笑った。無事を伝える電話に相手がホッとしている様子が想像できる。そうだね。ここまでじゃなくても、元気な言葉がいいね。
無事着陸。今、機内で情報待ち。会えるといいね、今日。
会いたい、絶対。
願いを込めて送信すると、機長の声が響いた。
「機長です。当機の状況ですが、機体の破損はエンジンを含む数箇所に渡り、このまま修理して飛ぶことは不可能という結論に達しました。これからみなさまには当機を降りていただき、一旦空港にご案内します。代替機が手配でき準備が整い次第ご案内いたしますので、それまで空港でお待ちください」
今日、飛べる。
目が合うとゾロがニヤリとした。
「さて、また離陸と着陸だ。待ってる間に勇気をかき集めとけ。腹ごしらえもしてェな」
そうだね。もともと、エースに会えたら一緒に遅めの昼ご飯を食べたいと思ってた。それが夕食になっても全然構わない。夜食でもいい
今日、エースに会える。
よかった。
すごい。
手が自然に携帯電話を開けていた。
これから一旦空港に戻ります。それから代わりの飛行機が準備でき次第飛べるみたい。
返事はすぐには来なかった。
忙しいのかな。思いながら、少々さびしいと感じる自分はとても贅沢だ。
つい続けてメールを打ちたくなる指を押さえ、でも携帯電話をポケットに入れることができなかった。ずっと手に持ったまま、飛行機を降りる乗客の列に入り、タラップに横付けされたバスに乗った。吊革につかまって揺れながら、ゾロに背後をがっしりと守られながら、電話を握っていた。
臨時便の対応でバタバタしている係員たちを眺めながら、1階の一番奥のゲート前で待った。ここだけ隔離されているような1室で、階段の直下にあるために狭く、ベンチの数がとても少ない。ゾロと並んで立ち、壁に少しだけ背中を預けた。飛行機で隣にいた親子が無事に座る場所を確保していてホッとした。
いろんな人が乗ってたんだな。そっと見回すと、年齢・性別・表情も様々な人たちがいた。きっと大事な約束があって時間が遅れると困るのだろう…係員に現状を訴える男がいた。疲れた顔で目を閉じている老婦人。売店で買ってきたサンドイッチを頬張る家族。真剣な顔で電話している綺麗な女。追加の土産袋を下げて笑顔で階段を下りてきた子供。
しっかり手を繋ぎながら座っているのは恋人同士の2人だろうか。まわりの様子なんて全然気にしていないように見え、その真っ直ぐさになぜか見ているわたしが照れてしまう。
「羨ましいか」
ゾロの声に飛び上がった。
「いや、なぜか恥ずかしいというか…。ゾロ、ゾロもあんなふうに手を繋いだりする?」
「こんなところでやったら、あいつは悶死する」
「はあ。…訊いてごめんなさい、というか…」
ゾロの言う『あいつ』の名前をわたしは知らないけれど。とても強くて綺麗な女性だということしか、知らないけれど。
「…会いたい?その人に」
呟くと、ゾロは目を丸くした。
「お前にしては大胆な質問だな」
「うん、そうだね」
ゾロは口角を上げ、わたしの手の中の携帯電話を指先で突いた。
「お前が兄貴に会いたがってるのと似たようなもんかもしれねェな。自分が馬鹿だと思える時がたまにある」
「わたしも、馬鹿?」
言った時、手の中身が振動した。
1秒とおかず、画面を開けた。
セーフ。そっちに飛ぶ飛行機にあぶなく乗っちまうところだった。何やってんだろうな、お前の兄貴は。
今度こそ無事に飛んで来い。
来たら、絶対に俺の方が先にお前を見つけるから
…エース。
横でゾロが吹き出した。
「見えちまった、悪い。ったく、お前の兄貴は自分が何でお前にチケットを送ってきたか、すっかり忘れてんな。かなりな大馬鹿だ」
また、着信した。
ゾロに伝言。こっちに着いたら、空港で即、休暇をやる。最終便、予約済み。とびきりの土産、考えとけ
言外にあるらしいいろいろなもの。噛み砕きながら、画面を見るゾロの視線を感じていた。
見上げると、ゾロは…多分これは…いつもより少しだけ余分に、頬に赤みが差しているように見えた。
「…馬鹿にはつける薬はねェし、敵うわけもねェな」
嬉しい?ゾロ。
口にはしなかったけれど、ゾロには通じてしまったのかもしれない。頭を掻く仕草がどことなく照れ臭そうだ。
「もしシャンクスに会ったら、よろしくね。ベンたちにも」
「とにかく、まずはお前を兄貴にちゃんと手渡さねェとな」
今度飛び立ったら、今度こそ。
ゲートの向こうには、まだバスも飛行機も見えない。
でも、きっと、もうすぐだから。
そしたら、絶対。
きっと、先に手を振るから。自信、あるよ
勝っても負けても、最高だな
エースの笑顔が見えた気がした。
「早く、飛びたいね」
「絵に描いたみたいに現金だな、お前…と俺は」
ゾロと、前よりちょっとだけ仲良くなれたかもしれない。
その照れた笑顔のことも全部、早くエースに話したくて、ワクワクした。
ねえ、エース。
心の中で呼びかけた時、ゲートの前に係員が立つのが見えた。
同時に一歩。
大きく踏み出しながら、思わず顔を見合わせて笑った。
今行くね、エース。
携帯電話をぎゅっと握った。
振り仰いだ空に、飛行機雲が伸びて行った。