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>靴の音

 この街に来てまだ1週間も経たない頃だったと思う。
 引越しについて来ていたベンとヤソップが自分達の場所に戻ると言うので、ロードを乗り継いでステーションまで送った。まだロードに乗るのは数回目のわたしたちは楽しく一騒ぎしながら街の大きさに感嘆と畏怖を感じていた。ルフィは動いているロードの上を我慢しきれずに走りながら透明なドーム越しに摩天楼たちの先端を仰ぎ見た。わたしは実はロードの上でまっすぐに立っているのが精一杯な気がして全身ガチガチに力を入れていた。
 後ろからシャンクスたちと楽しそうに話をしているエースの声が聞こえていて、ふと、エースはもう子どもよりは大人の方にずっと近い存在なんだと気がついた。シャンクスがこの街にわたしたちとの居場所を作ったのも、自分がいない間をエースに任せていけると思ったからなのかもしれない。わたしたちが住み慣れたフーシャ村はシャンクスが一緒に暮らすのにもちょっと顔を出すのにも遠すぎるということはわかってた。でも、村全体がずっとわたしたちを見守って育ててくれた。それを知っているシャンクスはまだいかにも子ども子どもしているわたしたちを村から連れ出すことはしなかったのだ。そして今、エースがほとんど大人になって。
 一気にここまで考えて、なぜか胸の動悸が早くなった。わたしとルフィにとってエースはいつもとても大きな存在だった。それはフーシャ村でも他のどこでも変わらない。誇らしくて胸を張りたい気持ちにだってなってしまう。だけど、この街はこんなに大きくて、村人全員が顔見知りのフーシャとは全然違う。新しいことがいっぱいある。嬉しい事や楽しい事、驚くこと、そして悲しいこと。エースにはきっとたくさんの知り合いや友達ができて、その中にはわたしやルフィが知らない人だってたくさんいることになるんだ。

 恋人、だって。

 ドキリとした心が固まって、それが身体に伝わってしまったのかもしれない。不器用にバランスを崩した身体はグラリと大きく後ろに傾いた。
「どうした?力みすぎて疲れたか?」
 笑みを含んだエースの声が頭の上から降ってきて、身体はあたたかな腕の中にすっぽり入ってしまった。顔に熱が集中して苦しくなり、慌てて腕から抜け出した。
「焦ると転んじまうぞ?」
 案の定前につんのめりかけたわたしの腕を掴んだエースはそのまま手を繋いでくれた。
「実はさ、あんまり街がデカイから少々ブルってたとこなんだ。手、繋がせろな?」
 嘘ばっかり。本当はルフィと一緒でワクワクしてるのに。
 わたし、こうやってエースのあったかさにくるまって生きてきたんだな。
 御礼の代わりに微笑みながら見上げると、倍のあったかさが戻ってきた。


「これだけの街ならいい靴屋がありそうだ。どうせなら、お前たちにも買ってやろう」
 シャンクスが言った時、わたしとルフィは顔を見合わせた。
 靴?
 エースとルフィとわたしはいつものサンダルを履いていた。村ではこのサンダルと長靴、それからとびきり大切な日のためのスニーカー1足で十分だった。シャンクスだって今はサンダルなのに。仕事の時は普段とは全然違う服装や靴の姿になることは知ってるけれど。
 ステーションの周りはびっくりするほど沢山の建物があり、そのほとんどが何かを売っている店のように見えた。時々宙を進む乗り物に驚かされ、逆に車がほとんど走っていないことも不思議だった。沢山の人が伸び伸びと足早に歩いていく道をわたしたち4人はのんびり進んでいたが、そう言えば道は全部固いブロックか石に見える舗装材で覆われていた。緑溢れるフーシャ村でペタペタと音をさせながら歩いた土の道とは全然違う。少なくとも今、見える範囲に土はない。
「土、ないね」
「すっげェ!つるっつるだ~!」
 ルフィと2人で足を踏み鳴らしても音はほとんどしなかった。ちょっとだけ寂しかった。
「いい音、探しに行くか?」
 ルフィと手を繋いだシャンクスは1軒の店にズンズン進んで行ってしまった。店構えの重々しさに気後れを感じて突っ立ってると、エースが繋いだ手にギュッと力を入れた。
「大丈夫。いい店はどんな客でも大事にしてくれるはずだ」
 エースの言葉はいつだってわたしにとっては呪文になる。
 背筋をいっぱいに伸ばすと横でエースがふきだしそうになったのがわかった。
 手を繋いだまま、2人で店に入った。

 皮、内張り、前革、装甲、飾り紐。
 つま先に足首バンド。
 この店の店員は誰もが靴をとても好きな感じに見えた。靴の一つ一つについて愛情込めて話してくれて、わたしたちが裸足であることを知ると温かな湯を運んできてマッサージをしてくれ、足をしっとりとやわらかく包んでくれる靴下を履かせてくれた。覚えきれない専門用語が頭の中でクルクルと回りだした頃、いつの間にか何十足もの靴の中からそれぞれのお気に入りが決まっていた。シャンクスはご機嫌でこのまま家まで履いていく、と宣言したので焦った。靴と今着ている服がいささか不釣合いに思えたからだったのだが、店長も一緒に面倒を見てくれた店員たちもにっこりとしてくれた。
「気持ちよく履いてこそ、いい買い物と言えると思いますよ」
 いつも靴に一目ぼれして自分用は衝動的に買ってしまうのだ、と笑っていた店長のこの言葉が印象的だった。


 4人揃って店の外に大きく一歩を踏み出した。
 コツン。カツン。
 硬質な音が重なった。
「うん。街の音…かな、これ」
 1歩ずつが楽しくてどんどん前進した。
 小さな広場に出た時、シャンクスが立ち止まってその場でタタタタ…とリズムを刻んだ。
「靴が主役のこういうダンス、知ってるか?本物ほどいい音はしないけど、なかなか面白いな」
「こんな風にやるのか?」
 ルフィが両足でドカドカと敷石を叩いた。太鼓みたいで思わずみんな、笑ってしまった。
 そんな時、ふと、静かなままのエースの足を見た。黒いスラックスに黒の革靴。何かすっかり大人に見えて胸のどこかが苦しくなった。すると、エースがわたしの手を取った。
「ダンスなら、やっぱ、こういうのが正統ってヤツだろ?」
 クルリ。
 エースにそのまま右手を高く持ち上げられると身体が自然に回った。
 フワっとワンピースの裾が持ち上がり、膝に当たる風を感じた。
 クルリ、クルリ、クルリ。
 エースの手がわたしを回す。笑いながらだんだん目が回ってくる。
「もうダメ、エース!」
 大声で笑いながらふらつくわたしをエースが抱きとめてくれた。
 ルフィが手を叩きながら走ってきた。
 エースとルフィ。2人ともお日様の香りがした。
 見ればシャンクスは目を細めて笑っていた。


 あの時、あの靴屋に行ってあの靴を買ってもらったから、この街をすぐに好きになれた。
 あの広場を通りかかるといつもシャンクスとルフィの笑い顔とエースの手の感触を思い出す。大人の仲間入りしてしまった気がしたエースがとても眩しくて、どうしていいかわからなかった。あの気持ちはずっとそのまま。
 トン、とつま先で敷石を叩くと軽い音が返ってきた。
 嬉しくなって1人でクルリと回ると風が髪を撫ぜて通り過ぎた。


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