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>喧 嘩

「あのなァ、今はやめとけ、サンジ。今はまずいんだ」
「はァ?何が」
「喧嘩中なんだ、エースとサクヤ。だから、ほっとかなきゃいけねェんだ」
「ああ…喧嘩するのか、あの2人でも」
「滅多にしねェ。だから、はじまったらとことんやらせてやるんだってシャンクスも言ってた」
 キッチンから聞こえてくる声。全部、言葉、聞き取れてる。ルフィは多分ひそひそ話のつもりなんだけど、性格的に向いてないのだと思う。サンジ君とゾロはそれを知らないからルフィと声の大きさを揃えて安心しているんだろうし。
 頬が熱くなったけど、何だか唇の力が抜けて多分曲線を描いてしまった。
 その時、背後に感じた気配に振り向く勇気がなくて少し俯いた。


「たっだいま~~~~、サクヤ!お!エースもいるのか!じゃあおやつをいっぱい…」
 いつも通り学校から走って戻ってきたルフィは、いつも通りドアを壊す勢いで駆け込んできた。そしていつも通りわたしに飛びつこうとダッシュしてきた…けれど。1歩手前で急停止したルフィは首を傾げてわたしの顔を覗きこんだ。
「あれ、どうかしたのか?サクヤ。腹、痛いのか?」
 テーブルの向こう側にいたエースが立ち上がり、ルフィの頭にポンと片手をのせた。
「おかえり。また、後でな」
 ゆっくりと自分の部屋に歩いていくエースの後姿。
 ルフィはさらに首を傾げた。
「何かおかしくねェか?」
 おかしいよ。だって、エースはわざと普段と同じ歩き方をしているもの。だから、歩幅や勢いはよく似てるけど、でも、肩の揺れ方は全然違う。ピアスもものすごく大げさに揺れてる。だから。
「ああ、そっか」
 ルフィはもう一度わたしの顔を見た後、大きく頷いた。
「喧嘩してんだな。すっげェ久しぶりだな~。なんだ。そっかァ」
 うんうんと何度も頷いたルフィはそれだけで納得したように大きな笑顔になった。なぜ、とかどうして、とかそういうのを一切尋ねないのがルフィらしい。
「んじゃ、俺、キッチンでおやつ食うぞ」
 いつもならソファか床に放り出す鞄もしっかり抱えてルフィは行ってしまった。
 困ったな、と思った。
 胸の中の熱い怒りは消えていないのだけど、でも、ルフィが帰ってきたらちょっと変わるかもしれないと思っていた。そう、何か切っ掛けをくれるかも、なんてルフィに期待して甘えていたんだ。今、わかった。でも、ルフィはやっぱりシャンクスと似てる。もしシャンクスがここにいたら、きっと、「当人同士、納得するまでやれよ~」なんて言うに違いない。実際、フーシャ村でも1度だけシャンクスが今日みたいな場面に居合わせたことがあった。あの時シャンクスはルフィを自分達のところに連れてってくれ、エースをわたしを2人だけにした。
 本当に、似てる。
 溜息をついて冷めた紅茶に手を伸ばしかけ、やめた。
 エースが淹れてくれたこれを…今は飲むわけにはいかなかった。


「で?原因は何よ」
「知らねェ。聞いてねェもん、俺」
「カーッ!普通はよ、お前…いや、聞いてなくても、何かこう、察するところなんかがあるだろ?」
「おやつを取り合った訳じゃねェらしいぞ?ちゃんと山盛りのっかってた」
「だ~か~ら~!これは俺が朝飯の後片付けしたあとに準備してったんだよ、お前サクヤちゃん用に!あれから、お前は学校行ったし、サクヤちゃんも出かけたろ?いつ2人の喧嘩が始まったんだよ」
「知らねェ。帰ってきたらもうやってた」
「…やめとけ、アホコック。お前がむなしくなるだけだ」
 思わず唇の曲線が深くなりそうな会話がどんどん聞こえてきていた。
 でも、同時に感じていた。エースのコロンの香りと近づいてくる気配、体温。だから、唇を真っ直ぐに結びなおした。
 わかってる。こんな喧嘩に意味なんてない。きっと本当は喧嘩にもなってないのかもしれない。ただ、わたしがプンプン怒っているだけ で。もしかしたらエースは呆れて、ただ時間を潰すために部屋に戻ってたのかもしれない。ちゃんとした喧嘩なんてできてなかったのかも。それなら。  なぜか悲しかった。
 わかってる。
 エースは間違ってない。
 でも、自分も間違ってないつもりだった。
 でも、でも。もしもこれからまた同じようなことがあったら、きっと、また怒ってしまう。きっと正直に感情を見せてしまう。
 だから。だけど。
 空回りし続ける気持ちを抱えたまま、体と唇に力を入れてた。自分の中の何を守ろうとしているのかも実はもうわからなかった。ただ、悲しくて。怒りの記憶はまだ生々しくて、後悔しているのにしたくなくて、でもやっぱりまだ怒りもあって。
 ただ、じっと身体を硬くしていた。近づく気配に背中を向け続けていた。その時。
「あのな…思わずむきになっちまった。悪い、サクヤ
 あたたかな腕が首に回され、耳元に囁きが聞こえた。ソファの背中ごと抱きしめられた。
 気持ちと涙が一気に解放されてしまった。
 エースの腕を抱きしめて泣いた。声を出さないのが精一杯だった。
 ちゃんと喧嘩してたんだ、わたしたち。
 なぜかそれが嬉しくて、その嬉しさがわたしを素直にしてくれた。
「…ごめんなさい。まだ、熱、あるのに」
「なんでもねェよ、このくらい。あのな、俺は確かにお前に自分の弱いところなんて見せたくねェって思ってるところはあるけどな、でも、今回は本当に帰れるものなら帰ってきたかったんだぞ?クリスのところに匿われたのは、状況的に余裕が全然なかったから…恥ずかしい話だけどな。3日間獣みたいに身体を丸めて唸り続けてとっとと動けるまでに治した。で、片をつけて戻ったらお前たちはいなかったんで、これは何もなかったみてェな顔をする大チャンスだと思ったんだけどな」
 そう。買い物から戻ってきたらソファでエースが寝ていて驚いたのだ。そして当然いやになるくらい嬉しくなってしまってそのままエースの寝顔を見ていたら、何かおかしいと感じた。どこが、とは言えないままエースの隣りに座っていたら目を覚ましたエースが紅茶を淹れてくれた。立ち上がる姿、キッチンに向かって歩く様子…見ていたら、すぐにわかった。エースは怪我をしていた。それなのににこにこしながら紅茶を淹れてくれた。多分、そのまま何も言わないつもりだったのだ、エースは。理解ある妹としては本当はそのまま何も訊かずにすませるべきだったのかもしれないけれど、わたしは動揺したままエースに尋ねた。そして、クリスのところで治した、と言われ、心の中から色々なものがふきだした。それを止められなくて、エースにぶつけた。
 連絡をひとつもくれなかったこと。
 わたしが訊かなかったら素知らぬ顔をして終わらせるつもりだったこと。
 手当てや看病をさせてくれなかったこと。
 全部、ぶつけた。ただ、クリスの名前だけは出さなかった。そこまでの醜さを曝け出す勇気はなかったのかもしれない。
 エースの腕をさらに強く抱くと、エースは笑った。
「俺はお前がまだちっちゃい子どもだった頃からお前を誤魔化すのは苦手だった。嘘をつくわけじゃねェ、ただ言わないだけだ、と思っても、お前にじっと見られると内心冷汗たっぷりだ。クリスたち…俺に着いて来てくれてる連中の前では俺はいつだって悠然としたボスじゃなくちゃいけねェ。だから結構頑張ってそうやってきて、やり終わって帰ってきたらホッとして、そしたらお前にバレて怒られて、挙句に涙は出してなかったけど多分心の中で泣かせちまって…。兄貴としての顔とかボスとしての顔ってのは、俺はしっかり守らなくちゃいけないものだと思ってる。だから、お前に言い返した。言い返しちまったよな、さっき。俺にも事情や守らなきゃいけないものがあるんだ、とか」
「うん。…ごめん、わたし、本当はわかって…」
 エースが腕にぎゅっと力をいれ、わたしの言葉を遮った。
「わかってる。お前がわかってくれてることを俺もちゃんとわかってる。でも、お前はいつも隠してるものをいろいろぶつけてくれたし、俺もお返ししちまった。で…ほら、少しすっきりした頭で考えて目で周りを見てみたら、俺が一番守りたいもの、見えたから。見えてるつもりが見えてなかったなんて、馬鹿らしくてよ。お前に意地張ってることなんて何にも意味ないんだよな。ただ、お前の前ではいつも強くありたいってだけ。それは俺だけの気持ちでさ、お前の気持ちは置いてきぼりにしてたわけで…」
 エースの片手が離れ、わたしの髪を撫ぜて指先で梳いた。
「だから、ごめんな」
 新しい涙が溢れてしまった。
 そのことに焦った。
 エースがわたしの前でいつも強くありたいというのと多分同じで、わたしもエースの前ではいつも笑っていたいから。泣き顔なんて、涙なんて一粒も見せたくないのに。
「大丈夫、見えてねェよ」
 そうか。
 そこまでわかっててエースは…、今、わたしの後ろにいてくれてるんだ。
 やっぱり、かなわない。
 エースはどんなときでも大きくて深くてあったかい。
 大好きな、エース。
 『見えてない』という言葉に勇気を貰って、そっと微笑んだ。涙まみれのくせに恐らく『好き』という気持ちがいっぱいにあふれてしまっているはずのその顔を自分でも見ることができないのを幸運だと思った。

「なぁ、お前、喧嘩中だとか言ってなかったか?」
「ああ、喧嘩だ。サクヤは強ェぞ~~~。多分、俺たちの中で一番強ェ!シャンクスだって滅多に勝てないぞ」
「…確かにこの中では無敵だろうよ…どう見てもな」
「ったく。ちょっとでもハラハラした自分が可哀想になるぜ。ほら、マリモ、カップ出せ。コーヒー、恵んでやる。もう見るな。目の毒だ…っつぅか、真顔に戻れなくなっちまうぞ」

 やっぱり全部、聞こえてきた。
 わたしの頬は熱くなり、エースは喉の奥で小さく笑った。
 でも、このままでいた。
 わたしがエースのあったかさを欲しがっている分だけエースも何かを貰ってくれているといい、と願った。


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