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情 熱

 窓から入るおぼろげな月明かりの中、肌の色がほの白く浮き上がっていた。
 両脇をわずかに開いて立つ背中。すっと迷いなく持ち上がる腕のしなやかな動きと筋肉の張り。ゆっくりと息を吐きながら繰り出される手は薄闇の中では美しい型を舞っているように見える。1本1本の指の先まで気を込めたその動き。触れれば命さえ簡単に奪う凶器。
 薄く目を開けたリリアは音なく動くルッチの姿に自然と視線を向けた。その途端に強く惹かれた。
 身体のあちこちにルッチが触れた感触の名残があった。思いがけない長い時間を過ごした後にすぐに眠ってしまったらしいことを恥ずかしく思いながら、それを許されたことを嬉しいと思ってしまう。薄い毛布の下のぬくもりの中でまだまどろんでいたいような夢を見ているような気分で眺めるルッチの動きは、ただ美しかった。
 ひゅっと空を切る音とともに宙で足を回転させたルッチは、滑らかな蹴りを決めた後軽い音とともに床に下りた。むき出しの上半身に汗はなく、吐く息に乱れはない。黒いズボンの裾から見える白い素足で再び連続して蹴りを繰り出し、下りたあとは正面に向けて拳を放つ。一連の動きはどんな相手を想定してのものなのか。これまでに倒してきた中の強者、あるいはカクやブルーノということもあるのだろうか。
 ルッチの動きにあわせて黒髪が揺れる。部屋に戻った時に後ろでまとめてあったはずのそれがほどけて落ちてきたのは腕でリリアを抱きながら深く貫いた時だった。その時の事を思い出したリリアが鼻の頭まで毛布に潜ると、気配を察知したハットリがふわりとリリアの上に舞い下りた。
「ポッポー」
 そのハットリの動きと声を無視したままルッチは型を続けた。
   リリアが目覚めたことなどもうとっくに気がついているのかもしれない。それでも集中しきった精神は綻んだりはしない。そっと指先でハットリの頭を撫ぜながらリリアはルッチから目を離すことができなかった。
 時々聞こえる裸足が床をこする音、息を吐く低い音。それはどの音楽よりもこのルッチの舞いにふさわしい気がした。
 このままずっと見ていたい。それでも目が覚めてしまったのだからやはりこの部屋から去らなければならないだろう。  リリアは小さくため息をついた。まず腕を毛布から出そうと思った。けれど全身に広がる気だるさが邪魔をする。ルッチの身体に包まれ、圧倒され、高い頂に押し上げられた記憶。今、広い背中を見ているとその記憶がまるで夢のように思えてくる。
 そう、夢だ。
 もしかしたらきっと。実は今も夢の中なのだろうか。
 このままずっとルッチを視界に入れていたいのに瞼が重くなってきた。
「…ッポー?」
 ハットリの翼を額の上に感じながらリリアは目を閉じた。
「…眠ったか」
 終わりごろになって肌の上に光りはじめた汗をぬぐいながらルッチはベッドの脇に立った。毛布の下の細い身体を思い出して唇を歪める。今夜は恐らくかなり無理をさせた。生真面目で頑なな表情を崩したくなって強引に愛撫と挿入を繰り返した。少女は最後は失いかけた意識の中で彼の名をずっと呼び続けていた。それは彼の中に不思議な満足感を生み出し、その時に身体の中にこもった熱を発散させるために起きていくつかの型を繰り返した。これまでに奪ってきた命、これから奪うことになる命。その両方に想いをとばした。
 殺人兵器としての彼を見ながら安心したような顔で眠ってしまった少女。
 ルッチは口角を上げた。
「お前は本当に無防備が過ぎるな」
 それとも、とふとルッチは思った。リリアは彼が望めばひどく素直にその命を差し出すのかもしれない。彼がその細い身体を望む時よりよほど素直に。それならば確かにリリアには彼を恐れる理由がない。
 ルッチの右手が『指銃』の形をとった。伸びた指先を少女の額の中央にあてる。こんなに簡単であっけない。今少女が目を開けたら、紫水晶の瞳にどんな色を浮かべるだろう。
 ルッチは苦笑した。ネコネコの実。彼の身体の本質を作り変えてしまった悪魔の実は精神的な部分にも影響を与えることがあるようだ。本来の彼には相手を嬲る趣味はない。奪うべき命は何の余地も与えないうちに奪い去る。それが時々より楽しみたい気分に襲われる。殺す前の獲物で遊ぶ猫のように。
「本当にお前は」
 ルッチは少女の傍らに腰をおろした。閉じられたままの瞳と軽い寝息、頭の上には白い鳩。彼の部屋とベッドという領分を侵しながら安らかに眠る大胆な魂。
 ルッチは腕を広げながら体を倒した。
 慈愛を与える天の使いか、それとも魂を奪おうとする悪魔か。
 雲間から顔を出した月が再び投げかけた明かりの中で2つの影はぴったりと重なっていた。


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