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気 配

 水の都、ウォーターセブン。
 この数日、いくつもの海賊団が立て続けに上陸し、ガレーラカンパニーを訪れていた。
 身分や職業は問わない。客としての筋が通っていて、頼んだ仕事に見合うだけの金を気持ちよく支払えばそれでいい。その社長の方針があるために、船大工達は今日もいろいろと本領発揮して多忙を極めた。本当にこの会社で船大工をやっていると、仕事以外の腕をついつい披露しなければならなくなる。
「なんじゃ、もう終わりか。案外手ごたえのある相手には出会わんもんじゃのう。これからじゃと思ったのに」
 カクが手に持っていた鋸の規則正しく刻み目が入った刃を指で引いて弾くと、地面に赤い雫が落ちた。
『船大工が死人を出す必要もないだろう。たまにはただの大工らしく、息切れのひとつもしてみせたらどうだ、ポッポー』
 羽を表情豊かに動かしながら話す鳩に、カクは微笑みかけた。
「そういうあんたもやらんじゃろ?おあいこじゃ」
 2人は正体をなくしてただのボロ人形のようになった海賊達の身体が荷車に積み込まれる様子をしばらく眺めていた。
「ああなったら、生きながらえて意識が戻ることの方が嫌かもしれんのう」
『そう思うか?』
「ああ。あんたもそうじゃろ。完全に元の自分に戻れるんじゃなきゃ、先に見えるものがないからのう」
 言いながらカクはルッチを見た。冷めた眼差しですぐ目の前の惨状を眺めている横顔。明るい陽光の下で冴える眼差しが闇の中で放つ光を思った。
 動かないルッチの視線を見ているうちにカクはふと、思い出した。
「あんたも聞いたじゃろ?ルッチ。海賊達の中に『紫色の目をした少女』を探してるヤツが何人かいたようじゃ。やっぱりリリアのことかのう?紫は瞳の色としては珍しい。少なくともわしは、この町ではあの子しか知らん」
 ルッチは返事を返さなかった。代わりに、ハットリが首を回してカクの顔を覗き込んだ。その丸い目が問いかけた意味を読み取り、カクは軽く手を振った。
「ああ、心配せんでいいぞ。店にいる時はブルーノが一緒じゃ。それにお前の相棒が一緒の時間もあるじゃろうしな。ただ、しばらく一人歩きは避けたほうがいいかもしれんのう」
 まるで人間のような仕草でひとつ頷いたハットリとは対照的に、ルッチはただ、視線を前に向けていた。




 いつもと同じように再会を喜び合う鳩と少女には目をくれず、ルッチはベッドに座っていた。
 仕事を終えて部屋に戻ってきた少女は目を大きく見開いて言わば侵入者である彼を見つめ、やがて微笑んだ。その喜びを隠し切れない表情は彼にとって苦手なもののひとつだ。だから見ないことにした。
「夜は飛ぶのが辛かったでしょう?連れてきてもらったの?」
「ポッポー。クルッポー」
 当たり前の会話のように聞こえるのがおかしい。
 ルッチが少女の部屋にこっそり侵入することになったのは、ハットリのせいだ。仕事の後自分の部屋に戻ったルッチは、念入りにシャワーを浴び、身体にまとわりついていた汗と微量の血液を流した。それからグラスに酒を作って弛緩した。黙って小さな相棒の姿を眺めながら。
 籠に戻ってもくつろごうとせずバタバタと羽ばたき続けるハットリが誰のことを考えているのかは、すぐに見当がついた。最初はその気持ちをどうしてやるつもりもなかった。
「まだ、気になるか」
 声をかけるとハットリは籠から出て、窓辺に舞い下りた。嘴がガラスをつつくと、透明な音が響いた。
「お前、夜目はきかないだろう…」
 ため息混じりに歩み寄ると丸い瞳が彼を見上げた。
 強い意志。瞳の雄弁さ。恐らく親譲りの忠義心。ルッチはもうひとつ、ため息をついた。
「まったく。…素直だな、お前は」
 両手を伸ばすとハットリは羽をぴったりと閉じ、ルッチの手の中におさまった。そのあたたかな丸みを左腕に抱え、ルッチは開けた窓から外に出た。音もなく風を切りながら見下ろすと、時々眼下にいかにも海賊らしい風体の男達が見えた。酒場に繰り出しもせずに街を歩き回っている様子は少々不自然だ。探しているのだ、やはり。直感した。
 少女の部屋に着いたとき、中は無人だった。そして階下の店から漏れ聞こえる音の中にまだ少女らしさが残る声が混ざっていた。
 なぜ自分が何となく腹立たしさのようなものを感じているのか。わからないままルッチはベッドに座った。その感情の理由も対象もわからなかった。考えないことにした。あれからずっと、こうしてただ座っている。
 見ない。そして、考えない。考えるのは必要ないというのは、そういえばいつも彼が少女に言ってきた言葉だった。
 ハットリがお前に会いたがった。
 何となく胸の中に浮かんでいた言葉を出す機会はなかった。少女はあまりに邪気のない笑みを鳩に向けて笑っている。昼間にカクが、そして彼がついさっき確認した気配を、まだ全く感じていない。
 だからお前は無防備だというんだ。
 苛立ったままルッチは立ち上がり、片腕で少女を引き寄せた。驚いたように彼を見上げるリリアとハットリの瞳がそっくりに丸く見開かれていることに思わず口角を上げ、窓を開けた。
「そのままハットリを抱いていろ。少し、飛ぶ」
 街に出ている海賊たちの姿を少女に見せるつもりだった。そうすれば今夜から少女は身辺に注意を払い警戒するだろう。そして。
 ルッチは空気を蹴った。
 もしかしたら、少女の中に沈んでいる過去の恐怖と背中の傷の痛みが蘇り、眠れない夜を過ごすことになるのかもしれない。どう考えてもこの少女は、簡単に手折れる野の花のように脆弱だ。
「どこへ行くの?ルッチ」
 月明かりを映した紫の瞳が彼を見上げていた。
 珍しい色。時に高貴という言葉を連想させる輝き。この色が深まるところ、光を湛える瞬間、ゆるやかに瞼の下にしまわれる場面をこれまでに幾度見ただろう。
 偶然に彼の手の中に落ちてきたまだ原石の部分を残した紫水晶。
 ルッチは少女を抱えなおした。
「散歩だ。ただの」
 ルッチは顔を上げた。
「クルッポー」
 ハットリが少女の胸にそっと頭を擦りつけた。
「あったかいね、お前」
 鳩に額を寄せたリリアの頭がルッチの胸に触れた。慌てて離そうとしたのと、ルッチが腕に少し力を込めたのが同時だった。2人と一羽の体温が互いを通して混ざり合う。
「本当に…無防備がすぎる」
 ルッチの言葉を聞きながらリリアはその意味を問うことはせず、目を閉じた。それぞれの鼓動が重なっていく。
 ぬくもりの中で、今、怖いものは何もなかった。


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