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間奏曲III

 少女の身体を震わせ続ける高熱が引かないまま数日が過ぎた。
 朝目覚めて平熱を確認しても、風呂入ったり食事をとったりして数時間を過ごすと決まってまた上昇してしまう体温。宿まで呼んだ医者は念入りに診察した後、少女の身体には高熱のほかには特に病気らしい兆候も症状も見つけられないと言った。この1ヶ月ほど、規則正しく食事をさせ睡眠を取らせていたのかと確認するその医者の言葉に2人の男は答えなかった。2人には最近の少女の生活の詳細に関する知識はなかったし、この2週間余りについてはその問いに答えられるのはもしかしたら一羽の鳩だけだったのだが、それを告げるわけにもいかない。
 少女は医者の手に恐怖を感じているようだった。診察の間ずっと噛んでいた唇とこわばっていた顔の表情から、それが伝わってきた。
 わしの手は平気じゃったがのう。
 心の中で呟いたカクは、その自分の無音の声に含まれる優越感に気がついて苦笑した。ちらりと窓の方に目をやるとルッチはまるで無関心な顔で外に目を向けている。それが、そうあるべきで、あるはずだと予想したルッチの姿そのものだったからカクは口角を上げた。
「クルッポー。ポッポー」
 医者はこれで数度目になるが、手の甲をつつかれて思わず悪態をついた。
 ハットリはベッドの中のリリアの顔の横に陣取って、じっと医者の手を見ていた。しばらくはただ黙って身体を丸くしていたのだが、医者がひとたび少女の熱の原因を疲労によるものだろうと結論付けてからは二度と触れさせようとしない。その様子はまるで診断が終わったからにはもう接触は無用だと言わんばかりで、カクの唇の曲線を深くさせた。
 今、ハットリはルッチの言葉を代弁しているわけではないが、もしかしたら無表情に立つルッチの中の感情はこんな感じかもしれない。
 カクにはそう見える。
 医者が最後にハットリを一睨みしながらも気前良く与えられた報酬にほくほくしながら出て行った後、カクはのんびりと欠伸をした。
「わしはちと下に行って宿の主人に部屋をもう1部屋頼んでくるわい。祭りは昨夜で済んだから、そろそろ部屋も空いたじゃろ」
 1部屋。
 その数字に僅かに眉を顰めたルッチの気配に微笑しながら、カクは部屋を出た。
 この街に着いた時は全町あげての収穫祭の真っ最中だったため宿と言う宿はほぼ満室で、2人部屋を1つ借りて無理矢理3人と1羽で泊まることにした。それはそれでよかったと思う。リリアはすっかり体調を崩していたし、ルッチはまだどこか以前に比べると孤高の獣の気配を持ち、カク自身は状況を楽しみながらも思っているよりも身体に疲労が蓄積されている。それでも3人一緒に過ごした時間は、空気の色を半年前に近づける効果があったはずだ。
 ハットリのヤツ。
 階段を下りながらカクは思い出し笑いをした。
 リリアを取り戻してからというもの、ハットリは片時もそのそばを離れようとしない。思い出してみればもうずいぶんルッチの肩にもとまっていない。はじめはルッチもそれが当たり前のような顔をして眺めていたのだが。
 昨日くらいからカクはルッチの苛立ちを感じるようになっていた。それは言わば微細な波動のようなもので、1年や2年のつきあいだったら気づきもしなかっただろう。そしてその波動を分析してカクが出した結論は、それは恐らくルッチの嫉妬心によるものだろうというものだった。
 あり得るか?
 最初は自分で出したその結論をすぐに否定した。
 少女のそばを離れない1羽の鳩。
 その鳩にだけは素直な表情を見せて語りかける少女。
 確かに不思議なほど密度が濃い光景ではあったが…。
 もしも、カクが出した結論が当たっているとしたら、ルッチは一体どちらに嫉妬しているのだろう。
 カクは短く笑った。
 恐らくハットリのあの行動の原因はカクなのに。冷静沈着なはずのルッチには、それも見えていないのか。
 面白い。そしてこれはやはりリリアがルッチにとって危険な存在になり得るという証拠かもしれない。
 最後の1段を降りたカクの唇は、短く口笛を吹いていた。




「部屋は無事に取れたから、お前さんの役目ももう終わりじゃよ。ご苦労なことじゃったな、ハットリ」
 カクが部屋に戻ると少女は眠っていた。
 相変わらず同じ場所から外を眺めていたルッチは、カクの声に振り向いた。微かに疑問の色を浮かべているその顔に、カクは笑みを投げた。
「なあ、ルッチ。わしは思うんじゃが、ハットリはわしが一緒にいてはあんたが照れ…いやまあ、何というかできないことをあんたの代わりに頑張っとったんじゃないかのう。こいつは他の誰も知らないあんたとリリアのつきあいをずっと見てきたんじゃ。そしてある意味ではわしからリリアを守ろうとしてたというのもありそうじゃの。わしはついつい調子ののってしまうからのう」
 自分にとっても主にとっても大切な少女を守るために。
 ルッチはゆっくりとハットリに視線を移した。
「クルックルー」
 翼を広げて顔の前で振る鳩の仕草は、人間で言えば『イヤイヤ、そんなんじゃないって』というくらいのところだろうか。
 一瞬その瞳が和んだように思えたルッチが指先を動かすとハットリは飛び立ち、ルッチの肩に舞い下りた。
 ルッチは改めてカクの顔を見た。
 敵わんのう…大体、わしは元々、あんたには弱いんじゃ。
 カクは頭を掻いた。
「ただの独り言じゃ。聞こえなかったことにしてくれ。まだあんたと戦えるだけの体力は戻っとらんからのう」
「…カク」
 ふわりと投げかけられた声にカクが振り向くと、ルッチがテーブルの上に載っていたカクの帽子を投げて寄こした。
「おまえを邪魔だと感じたことなどない。…いるのが当たり前だったからな」
 自分のそばに、ということだろうか。
 カクは笑った。
「ずっとそうじゃったんなら、嬉しいのう…もう遠い、幼い頃からな。そしてな、これからだってずっと、そのつもりじゃぞ」
 挨拶がわりに手を振って部屋を出たカクの口元には、微笑があった。
 人間らしい感情は不要だとずっと思って生きてきた。けれどそれが強さに繋がるなら、満更悪いばかりでもないのかもしれない。
 理屈抜きで大切だと感じるものを守るためなら、強さに限界はないのかもしれない。
「そう考えると、いつかはあんたを抜かねばならんのう」
 カクは指先で帽子をくるりと回し、弾いて頭にのせた。


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