男はまだ1度もその名前を口にしていない。
まだ常に意識が半分とんでしまっている男をかばい気遣い、仲間たちもその名前を言わない。
バスターコールというあの攻撃で、死の島と化した光景がまだ生々しくそれぞれの脳裏に焼きついている。
そんな状態での生存を祈っていいのかすら、オレンジ色の髪の男にもわからない。
CP9。そう呼ばれたチームの仲間は、とりあえず全員生きている。
どうやら情けないことにわけもわからないまま…いや、予測はたっぷりつくのだが…追っ手に追われる身になったことに馬鹿馬鹿しい怒りを感じながら、ガレキの山となった司法の島を去ろうとしていた。
普段なら口の軽い連中は、命が残ったことに対する安堵を隠さない。ただ、その彼らさえ、その名前は言わない。
その名前を最初に口にするのは、その男であるべきだ。
7人の中で一番大きなダメージを負い、未だ瀕死の状態とも言えるその男、彼らのリーダー。
最初に少女の名を呼んでいいのは、彼のはずなのだ。
「ポッポー」
どこからともなく舞い戻った白鳩が、炎上する炎を光と受けてキラキラと輝く小さな石をそっと男の手に落した時、男の空ろな視線に束の間の光が戻ったように見えた。だがその石はすぐに男の拳に包まれて見えなくなり、目を閉じた男の身体は微動だにしなかった。
「ポッポー?」
羽ばたきながら滞空する鳩を、オレンジの髪の男はゆっくりと見上げた。傷ついた自分の身体が思う100分の1も言うことをきかないのが腹立たしい。
お前さんはいいのぅ。心のままを口にできるんじゃから
いや、そうではないのかもしれない。伝えたいことを伝えられずに首を傾げながら飛ぶ鳩に、男は心の中で詫びた。
お前の主人を救うためにも、もうここから逃れるしかないんじゃ。何もわからないままというのが、悔しいがのぅ。
男は重い頭を持ち上げ、意識のほとんどを失ったまま座り込んでいるように見えるリーダーの気配をうかがった。
静かだった。
呼吸音も体温も感じられない傷だらけの肉体。
やがて鳩は羽ばたきをやめ、そっと主の肩に下りた。
「ポー」
頬ずりをするように小さな身体を摺り寄せた鳩に、主が目に見えるか見えないかほどの動きで頷いた。
…リリアの骸は置いていく
聞こえた声は錯覚か。
それでも、それをきっかけに立てる者は立ち上がった。
それとも、砲弾で吹き飛んでしまったかのぅ…
仲間に背負われながら、オレンジの髪の男は、己の無力さを笑った。
「…生き延びられるとも思えねェがなぁ、まあ、お前さんの運試しってことで許してもらおうじゃないの」
その呟きを聞いた者は、それを発した男自身の他には誰もいなかった。
死にすぎた。
殺しすぎた。
そのことが一番よく見えるのは、後からやってきた男の目だけだったかもしれない。また繰り返された光景は、人によって違うはずの『正義』という色を帯びている。この色は、今回、男の名において島を塗りつぶしたのだ。
繰り返すか、俺も、もう一度。
男は自分の上着に包んだものを、抱え上げた。腕に感じたのは重みよりも軽さで、それが恐らくこの島での命の軽さだったのかもしれない。
「名前、聞いときゃよかったかなぁ」
その呟きを聞いた者は、やはり他には誰もいなかった。