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午 睡

 思わず反応してしまったのは、その声に、かもしれない。
「あのな、お嬢ちゃん、決してものすごく無理にとは言わねェけどな、でも、できたら頼む。もう、限界に近いんだ。ここでぶっ倒れても邪魔になるだけだろうしなァ」
 記憶のどこかを揺さぶられる声。今はのんびりとしてどこか間が抜けているように聞こえるが、この声を確かに、どこかで聞いたことがある。少女は、首を傾げ、背の高い男を見上げた。
 一見、誰もが目を合わせるのを避けて通るような種類の男にも見える。こんな真っ白のスーツで街中を歩く人間はいない。場所が舞台や結婚式、何か特別な場所なら似合うだろうが、祭りで賑わう街のカフェには似合わない。口を閉じていれば、相当の強面だ。
 少女は慎重に男の頭を見上げた。そこに、男の印象を壊す、ひとつのアイテムが見えた。
 目隠しの1種らしいそれ。名前は…そう、アイマスク。幼い頃、少女もこれを使ったことがあった。夜の無い不夜島と呼ばれたあの島で。
 服装とはまるで合わないそれを頭にくっつけているのは、それほど男が眠くてたまらないということだろうか。
「頼む、な、お嬢ちゃん」
 限りなく怪しい男のために立ち上がる気にさせたのは、やはりその声だった。
 立ち上がった少女に、男は笑顔を向けた。
「いやァ、悪い。すまねェな」
 先にたって歩き始めた細い後姿を、男は目を細めて眺めた。
「…大きくなったなァ。髪も随分伸びた。うんと手を焼かせてやるといい、ネコネコのボウヤの両手をな」
 男の呟きは少女には届かなかった。
 男は上着を肩にかけ、次の島への『移動手段』を押して歩き始めた。



「やはり、いないのう…」
 オレンジ色の髪の男と、その連れの肩にとまっている白い鳩は、揃って首を伸ばし、周囲を見渡した。
 鳩の飼い主らしい黒髪の男は、黙って前を向いて立っている。
「一体どうした…おい、こら、ルッチ?」
 黙って歩き始めた姿を追いながら、カクは懸命に声をかけた。
「こら、ルッチ!一仕事すんだら待ち合わせて、一緒に美味いメシを食おうって約束じゃろう?」
 ルッチは振り向かず、歩き続ける。
「お前がした約束だろう」
「それはそうじゃが、嬉しそうに頷いたとこ、お前も見てたじゃろ?じゃから…」
 言いながらカクは、自分たちが向かっている方向に気がつき、納得した。
「…なんじゃ、宿に戻るのか」
「うまく会えなかったら戻っていろと言ってある」
「…ほら、やっぱり。お前の約束でもあるじゃろう」
 カクはゆったりと歩くルッチの歩調を睨んだ。
「少しは慌ててみんかのう。街の連中を見ろ。祭りじゃぞ。みんな陽気に浮かれまくっとる。さっきのお姉さんたちを見たか?わしの歌を聞いて拍手喝采じゃ。キャーキャー嬌声を浴びるのも悪いもんじゃないのう」
「…『お姉さん』?」
 ルッチは眉を顰めた。
 髪の毛と同じ色の衣装を着たカクと小脇にヴァイオリンを抱えたルッチの姿は、普通ならとても目立つ。しかし、祭りの最中の街中にあっては返ってカムフラージュになり、勝手に2人の正体を大道芸人だと納得してしまう。
「こんな浮かれ気分の街じゃ、リリアにだって伝染しとるぞ。どっかの誰かに声でもかけられて、油断したところを連れて行かれたかもしれん、とか、お前は考えないのかのう」
 変わらないルッチの歩調を口を尖らせて眺めたカクは、やがて小さく笑った。
 まったく可愛げのない、予想通りのルッチ。そうでなくても、久しぶりのルッチと2人の仕事に舞い上がり気味のカクだ。ルッチらしさを見つけるたびに、つい喜んでしまうのだ。
「その自信はどっから来るのかのう…」
 カクが呟くうちに2人は宿に着き、階段を2階へ上った。
「うん?」
 2人の足を止めたのは、部屋のドアの横に止めてある自転車だった。
「なんじゃ?リリア…1人じゃないのか?」
 ルッチは黙って自転車を眺めた。
「わざわざ自転車を中まで持ってくるかのう」
「…あの男はそれで海を越える」
「男?」
 カクは目を丸くした。
「何だか一癖ありそうなヤツじゃが、そんな男とリリアが一緒にいるってことか?」
 カクが勢いよくドアノブを回した。
「鍵はかかっとらんぞ」
「退路は確保してあるだろう…あの男相手には無駄だがな」
「冗談じゃろ」
 カクが大きく開けた戸口をくぐり、ルッチは数歩室内に進んだ。それから、予想通り、前夜自分が使ったベッドに横たわる男の姿を見つけ、ため息をついた。
「ルッチ!」
 飛び上がるようにして立ち上がった少女に向かって、ハットリが舞い上がった。
「無事か?リリア
「うん。あの、ええとね、この男の人がものすごく眠いのに、祭りで宿がいっぱいでどこにも部屋をとれなかったって…」
「なんじゃ、その図々しさは。ちゃっかりわしらの部屋に入り込んで、ちゃっかりルッチのベッドでぐぅぐぅ寝とるのか、この男は…何だかちょっとだけ見覚えがあるような気もするヤツじゃ」
「どうしようか、すごく迷ったんだけど…」
 ポンポンと会話が2往復した後、2人の声がきれいに重なった。
「あの…この人は、誰?」「で、誰じゃ?こいつ」
 ルッチはもうひとつ、ため息をついた。
「…お前なァ、せっかくお嬢ちゃんの心づくしで、ものすごく気持ちよく昼寝を楽しんでたところだぞ、俺は。それをどうしてひとつの遠慮も無くぶち壊しにしてくれるかねェ。ったく、相変わらず気が利かないねェ、ボウヤ」
 ボウヤ?
 起き上がった見知らぬ男の姿と、その口からこぼれた言葉。
 リリアとカクは男の視線を辿り、その呼びかけの相手が確かにルッチであることを確かめた。
「…その呼び方はやめろと言ったはずだ」
「俺だけの特権ってことにでもしてくれたら可愛いもんなのに」
 人によっては殺意さえ感じるはずのルッチの睨みを、男は笑顔で見返した。
「で、海軍大将がこんなところで何をしている、青キジ」
「「え…?」」
 青キジはアイマスクを外し、頭を掻いた。
「ほ~ら、聞きなれない言葉にお嬢ちゃんが固まっちゃったじゃないの。大丈夫、大丈夫、お嬢ちゃん。それより、気持ちいい昼寝をありがとうな」
 男が伸ばした手に少女は身を引き、その手を遮るようにルッチが2人の間に立った。
「おやまあ、俺のモノに触るなとか、そういう感じ?素直だねェ」
「…何をどう誤解しようと構わんが、目が覚めたんならさっさと…」
「よく寝たら、腹が減った」
「…子どもか」
「今日は祭りだろ?ってことは、屋台、いっぱい出てるよなァ。行って豪勢に食べ歩こうぜ、お前さんの奢りで。こういうチャンスに恩を売っとくもんだぞ、ボウヤ」
「2度とその呼び方はするな」
「わかった、わかった、わかりましたよ。ほら、だから、行こ?メシ食いに」
「最後の晩餐とかいうヤツじゃないだろうな」
「ち~が~うって!俺には今のところ、お前さんたちを捕まえる理由、ないから。大体、俺が許したバスターコールだって、どうも成り行きものだったみたいじゃないの。あそこにゴロゴロ転がった死に、意味のあったものはひとつくらいはあったのかねェ。それすら怪しいと俺は思ってる。俺が死を与えるべきか迷っていた人間は、羽ばたいていったしねェ」
「…ならいい。もし最後の晩餐とか言うんなら、あんたに奢らせないとつまらんからな」
「やっぱり可愛くないねぇ、ロブ・ルッチ」
 2人の会話を聞いていたカクとリリアは、目を合わせて微笑した。
「そういうことなら、この祭りの名物は串焼きじゃ。肉、魚、野菜、菓子…あらゆるものをジャンジャン刺して、豪快に焼いてしまうそうじゃ」
「ん~、いいじゃない。なら、ちょっといいワインを抱えて屋台巡りといこうか。遠慮はいらないぞ、お嬢ちゃん」
 青キジが伸ばした手を、今度はカクが遮った。
「海軍大将のくせに、油断できないヤツじゃ。じゃがまあ、なかなか楽しい食事になりそうじゃのう、リリア?」
「う…うん、多分…ね」
 用心深く沈んだ少女の声に、青キジは大声で笑った。




 テーブルに突っ伏した銀色の頭を、男たちは三者三様の表情で眺めた。
 嬉しくてたまらないといった笑顔を浮かべ、少女の頬を突きたい気持ちを我慢しているカク。
 目を細めてやわらかな視線を向けている青キジ。
 無表情なルッチ。
「こんなに簡単につぶれちゃうとは、まだ子どもなのか、もう大人なのかわからないねェ、このお嬢ちゃんは。でも、まあ、よかったじゃないの、生きてて」
 言いながら少女の頬に触れた青キジの指を、今度はルッチは止めなかった。
「やはり、あんたが関わってたのか…こいつの生存に」
 カクが目を丸くした。
「海軍大将がか?」
「…この男ならリリアをかくまえる。安全な海に出たら、道をつけることもできる」
「確かに、その力の噂は知っとるがのう。そういうことなら、あんたには感謝したいところじゃが、助けたなら助けたと知らせてくれてもバチは当たらなかったろうに。この子が死んでしまったと思ったわしらは、それぞれ、結構キツイ思いをしたんじゃ」
「殺し屋集団と呼ばれるお前さんたちがねェ」
 呟いた青キジは、睨んだカクに向けて両手を上向けて見せた。
「まあまあ。あのなァ、考えてみてよ。この子、生き残る可能性はどれくらいあったと思う?傷だらけで死にかけて、応急処置だけで海原に浮かべたボートに放り出されて。10%もなかったはずだ」
 青キジは少女の頭をそっと撫ぜた。
「しっかしねェ。ちゃんと生き残って、ちゃんとお前さんたちと一緒にいるんだから、大したもんだ。神様も捨てたもんじゃないって証拠かな」
「そんな者がどこかにいたとすればな」
その次の瞬間、青キジの瞳が冷え笑みが歪んだ。
「でもなァ、もしも必要な時がきたら、俺は何の躊躇いも無く、この細い身体を凍らせてこの手で粉々に打ち砕くけどな」
「当然だ」
 カクは2人の顔を眺め、吐息を吐いた。
「今のお前さんたちの顔は、そっくりじゃな。何でやりたくもないことをやれるって笑顔で言わなきゃならないんじゃ。自虐の極致じゃ」
「…なら、お前がやるか?カク」
 カクの顔に、透明な微笑が浮かんだ。
「わしなら大丈夫じゃ。ちゃんと、あっちのわしがまだ中にいるからな。もしも、そんな馬鹿なことが必要になったら、リリアのためにも、わしがやる」
 男たちが互いを視線で推し量ろうとした時、少女の唇からひとつの名前が零れた。
 カクは笑み崩れ、青キジは小さく笑い、ルッチは視線を外した。
「ほれ、ルッチ、早く連れてって寝かせてやらんと、わし、このやわらかそうな頬をつっついて起こしてしまうぞ。さっきからずっと我慢してきて、限界が近いんじゃ」
「…動かせばどうせ、起きるだろう」
 わざとらしくカクが伸ばした指を無視し、ルッチはグラスのワインを飲み干した。
「起きてしまったら、また眠らせてやればいいんじゃ。お前ならできるじゃろ?わしはもうちょっと飲み足りんから、後から帰る」
「なら、俺も遠慮なく…」
 青キジが伸ばした手を遮ったのはハットリだった。青キジの指を軽く突き、ルッチを振り向いて翼でガッツポーズをした。
 ルッチはため息をついた。
「ったく…」
 ルッチは立ち上がり、フワリと少女を抱き上げるとテーブルに背を向けた。
「…どいつもこいつも…こいつを甘やかすな」
 呟きを残して離れていく後姿を見送り、カクはグラスを上げた。
「今の『どいつもこいつも』の中には、当然、ルッチも入っとったな」
 青キジもグラスを干した。
「むしろ、1番があのボウヤでしょう。想像してたよりもずっと、面白いことになったもんだ。人間だねェ」
「いいのう、人間」
 青キジは目を細めた。
「お前さんは失くした口か?人間の部分を。危ないなァ」
 カクは無邪気に笑った。
「大丈夫じゃ。わしの人間の部分は、あの2人に預けとる。それに、わしはあの2人よりも先に死ぬ。決めとるんじゃ」
「予定通りにいけばいいがな」
 青キジは左手を上げてウェイターに合図した。
「もう1本頼もう。飲み足りないんだろ?」
 カクは急いで財布を引っ張り出した。
「今度はわしが奢る。あんたに奢られるのは、怖いわい。」
「ほほう、俺の人徳か」
「言っておれ」
 新しいワインをグラスに注いで、2人は軽く縁を合わせた。
「じゃあ、乾杯だ。それぞれの正義のために」
「かっこいいのう」
 今の自分たちの言葉に多分真実がないことは、互いにわかっていた。それでも、十分に楽しめる空気が溢れていたから、満足だった。
 今度は、この2人の笑顔が、とても似ていた。




 開けたドアを静かに背中で閉め、ルッチはほっと息を吐いた。
 馬鹿げている。
 でも、少なくとも彼の腕の中の安らかな眠りは乱されていない。
 この眠りを守ること。自分の中の最大優先事項はこれだ。ルッチは少女をベッドに下ろし、その寝息を確かめた。
 なぜ、こんなことをしているのか。
 苦々しく思うルッチの中に、青キジの顔が浮かんだ。
 やはり、あの男がリリアの命を救った。そう。あんな話をしたから、彼の中に封印したはずの記憶が漏れ出したのだ。
 少女が死んだと思った時の無気力さ。
 その生存を知った時の心の揺らぎ。
 その姿が手元に戻ったときの…信じたくないが『安堵』という感情のようなもの。
 少女に関するあの頃の感情の起伏は想像を超えて激しく、その記憶を青キジの言葉が掘り起こしてしまった。だから、彼は今、少女の眠りを守ろうなどとしている。原因は青キジだ。
 ルッチは少女の靴を脱がせ、毛布をかけた。
リリア
 呼んでしまってから、目を覚ましてしまわないかと息を殺した。
 少女は眠りの中で微笑み、彼の名を呼んだ。
 この甘い響きをここまでの道中、ずっと耳にしながら耐えてきた。それに比べたら、通りすがりの人間や、宿の従業員たちの好奇の視線など、どうということもない。
 少女の右手が小さく動いた。その意味を読み取ったルッチは、床に膝をつき、左手を少女に与えた。
 彼の手を握った少女の微笑が深まった。
 ルッチは、額に掛かった一筋の髪を避けてやり、零れる銀髪の感触を楽しんだ。
 そんな顔をして…こんなに簡単に満足するのか、お前は。
 今こうして、ルッチの手の中にある命。
 今なら、さらに望まれても叶えてやりたくなるのかもしれない。およそ、彼らしくないが。
 もっと望め、リリア
 無言の声に答える様に、彼の手を握る少女の手に軽く力がこもった。
 痺れるまでは、まあ、いい。
 決して楽な体勢とは言えなかったが、ルッチは左手を預けたまま右手でシルクハット脱ぎ、ネクタイを外した。ハットリがそれを受け取り、クローゼットにかけた。
 部屋の中に夕闇が忍び入った頃、窓の外に花火の音が響いた。しかし、それに反応する者はいなかった。
 互いの寝息に包まれて午睡を楽しむ2つの横顔。
 籠の中では、ハットリもウトウトと頭を垂れていた。


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