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朝まだき

 全身に広がる気だるい感覚と寝返りを打つたびに痛みを伝える足の関節、そしてこれまでに月の数日しか意識したことがなかった秘めやかな位置。そこから熱さが全身を覆い始め呼吸をするのが少し辛くなった。肩が触れたあたたかさの方に無意識に手を伸ばすと、傍らで気配が動いた。
 目を開けた リリアは部屋に入りはじめた薄日の中で白く浮き上がるような肌の色を見た。いつも一定以上の距離を置いて見ている気がする腕。そして初めて触れた記憶が刻み込まれたばかりの広い胸。白い肌に存在が見えた乳首に思わず己のそれを意識した。触れられている最中にまるで自分のものではないような気がしたそれ…別の独立した生き物のようだったそれを。一糸纏わぬ全裸の肌に触れる毛布にどうしてか目覚めされられてしまいそうなこの生き物。瞬時に蘇った記憶の細部に全身を流れていた血が顔面に向けて駆け上がってきた気がした。
 少女の手を避けるように身を起こしたルッチは夜の間にヘッドボードに移動していたハットリの姿を確認し、それから視線を下ろした。 まだ半分眠りの中にいるらしいリリアの顔は人形のようだったが、小さく開いた唇から聞こえる短い呼吸の音に違和感があった。やがて開いた紫の瞳はぼうっと彼の姿を映し、ある瞬間に表情を持った。潤んだ瞳と染まった頬。初めて身体を開かれた記憶に圧倒されているのだろうか。次の瞬間少女は夢の中で伸ばした手を急いで引き、ただ、静かにそこにいた。雰囲気を感じ取ることに長けている…そのことだけは賞賛に値する。退屈な言葉を落す必要がなくなってルッチはひとつ頷いた。
「気が向いただけのことだ。意味はない」
 そうなのだ、やはり。リリアは一瞬理由が分からないまま胸の奥を締め付けられた気がしたが、集められた理性が身体に指令を伝えた。早く離れなければ…ここはルッチの領域だ。自分がまだ少しだけこうして足を踏み込んでいるのは偶然に過ぎないことなのだから。起き上がろうとしたリリアは眩暈を感じて目を閉じた。身体の気だるさと痛み以上に頭の重さを邪魔に感じた。
「熱があるようだな…お前の身体は」
 ルッチの右手の人差し指がリリアの額の中央に触れて枕に頭を押し付けた。ルッチの指先は冷えていた。リリアは身体を震わせた。ルッチの指の感触に羞恥心と一緒に憧れる気持ちをかき立てられる。この反応はおかしい。少なくともルッチは煩わしく思うだろう。唇を噛んだリリアをルッチは黙って見下ろした。やがて指は離れルッチの身体が床に下りると寝台の上が空ろになった気がしたリリアは少しだけ身体を丸めた。
「調子が戻るまで寝ていろ」
 短い言葉を残したルッチの姿は浴室に消え、リリアは長く息を吐き出した。馬鹿だ、と思った。昨夜の記憶を頭の片隅に押し込んでも、こうして今ルッチのぬくもりが残る寝台にいることを許されたことを幸福に感じてしまう。ひとつの夢も見ずに眠っていた間、あたたかな安心をずっともらっていた場所。身体の隅々まで満たしてくれた感触と身体を貫かれたときの痛みとともにあった幸福感。そのすべてはルッチが女を抱くときの上手さから来ているのにそれを優しさと誤解し続けていたいと願ってしまう気持ち。抱かれたことを嬉しいと思ってしまうのは多分リリアの勝手だ。ただそれはどこまでもリリアの中にしまっておかなければならないものでルッチに見せてはいけない、まして…この先を願うことなど。
  リリアはルッチがいた場所に手を伸ばした。夢のような時間だった。
 少女の目の前に鳩が舞い下りた。首を傾げるようにして覗きこむ黒くて丸い瞳にリリアは微笑した。
「お前は…ずっと、見ていたの?」
 少女が危機にある時に数度救ってくれたこの鳥は昨夜はひとつも騒がなかった。それは主人への忠誠なのだろうか。それとも戸惑いながら脅えていたときでさえ実はリリアが胸を熱くしていたことをわかっていたのだろうか。
「大好き…」
 リリアが両腕で作った輪の中でハットリはじっとリリアの顔を見ていた。自分に与えられた腕も言葉も…本当は少女がそれを向けたい別の姿があることを感じ取っているように。




 身支度を整えたルッチは浴室から出ると寝台で眠る少女を見下ろした。細い腕の中にいるハットリが首を回して彼を見上げる。苦笑に唇を歪めたルッチが視線を動かすと鳩は静かに舞い上がって彼の肩に下りた。
 明るさを増した光の中で銀色の髪が光っていた。昨日よりも艶やかさを帯びているように感じるのは恐らく目の錯覚だ。ルッチは帽子をかぶった。ブルーノには一言知らせておかなければならないだろう。
 自分が女にした相手をどう思うか
 もしかしたら今度は問いかけられる立場になったのかもしれない。そして彼はブルーノとはまったく違う答えを返すのだろう。
 静かに閉められたドアの内側の部屋の中に鍵が回る音だけが小さく響いた。


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