少女の身体を震わせ続ける高熱が引かないまま数日が過ぎた。
朝目覚めて平熱を確認しても風呂に入ったり食事をとったりして数時間を過ごすと決まってまた上昇してしまう体温。宿まで呼んだ医者は少女の身体には高熱 のほかには特に病気らしい兆候も症状も見つけられないと言った。規則正しく食事をさせ睡眠を取らせていたのかと確認するその医者の言葉に二人の男は答えな かった。二人には最近の少女の生活の詳細に関する知識はなかったし、この2週間余りについてはその問いに答えられるのはもしかしたら一羽の鳩だけだったの だが、それを告げるわけにもいかない。
少女は医者の手に恐怖を感じているようだった。診察の間ずっと噛んでいた唇とこわばっていた顔の表情からそれが伝わってきた。
(わしの手は平気じゃったがのう)
心の中で呟いたカクはその自分の無音の声に含まれる優越感に気がついて苦笑した。ちらりと窓の方に目をやるとルッチはまるで無関心な顔で外に目を向けて いる。それが、そうあるべきだと、あるはずだと予想したルッチの姿そのものだったからカクは口角を上げた。
「クルッポー。ポッポー」
医者はこれで数度目になるが、手の甲をつつかれて思わず悪態をついた。
ハットリはベッドの中の
リリアの顔の横に陣取ってじっと医者の手を見ていた。しばらくはただ黙って身体を丸くしていたのだが、医者がひとたび少女の熱の原因を 疲労によるものだろうと結論付けてからは二度と触れさせようとしない。その様子はまるで診断が終わったからにはもう接触は無用だと言わんばかりで、カクの 唇の曲線を深くさせた。
今、ハットリはルッチの言葉を代弁しているわけではないが、もしかしたら無表情に立つルッチの中の感情はこんな感じかもしれない。
カクにはそう見えるのだ。
医者が最後にハットリを一睨みしながらも気前良く与えられた報酬にほくほくしながら出て行った後、カクはのんびりと欠伸をした。
「わしはちと下に行って宿の主人に部屋をもう一部屋頼んでくるわい。祭りは昨夜で済んだから、そろそろ部屋も空いたじゃろ」
一部屋。
その数字に僅かに眉を顰めたルッチの気配に微笑しながらカクは部屋を出た。
この町に着いた時は全町あげての収穫祭の真っ最中だったため宿と言う宿はほぼ満室で、二人部屋を一つ借りて無理矢理三人と一羽で泊まることにした。それ はそれでよかったと思う。
リリアはすっかり体調を崩していたし、ルッチはまだどこか以前に比べると孤高の獣の気配を持ち、カク自身は状況を楽しみながらも思って いるよりも身体に疲労が蓄積されている。それでも三人一緒に過ごした時間は空気の色を半年前に近づける効果があったはずだ。
ハットリが。
階段を下りながらカクは思い出し笑いをした。
リリアを取り戻してからというもの、ハットリは片時もそのそばを離れようとしない。思い出してみればもうずいぶんルッチの肩にもとまっ ていない。はじめはルッチもそれが当たり前のような顔をして眺めていたのだが。
昨日くらいからカクはルッチの苛立ちを感じるようになっていた。それは言わば微細な波動のようなもので、1年や2年のつきあいだったら気づきもしなかっ ただろう。そしてその波動を分析してカクが出した結論は、それは恐らくルッチの嫉妬心によるものだろうというものだった。
あり得るか?
最初は自分で出したその結論をすぐに否定した。
少女のそばを離れない一羽の鳩。
その鳩にひどく素直な表情を見せて語りかける少女。
確かに不思議なほど密度が濃い光景ではあったが・・・・。
ルッチは一体どちらに嫉妬しているのだろう。
カクは短く笑った。
恐らくハットリのあの行動の原因はカクなのに。冷静沈着なルッチにもそれは見えていないのか。
面白い。そしてこれはやはり
リリアがルッチにとって危険な存在になり得るという証拠かもしれない。
最後の一段を降りたカクの唇は短く口笛を吹いていた。
「部屋は無事に取れたから、お前さんの役目ももう終わりじゃよ。ご苦労なことじゃったな、ハットリ」
カクが部屋に戻ると少女は眠っていた。
相変わらず同じ場所から外を眺めていたルッチはカクの声に振り向いた。カクはその顔に笑みを投げた。
「なあ、ルッチ。わしは思うんじゃが、ハットリはわしが一緒にいてはあんたが照れ・・・いやまあ、何というかできないことをあんたの代わりに頑張っとった んじゃないかのう。こいつは他の誰も知らないあんたと
リリアのつきあいをずっと見てきたんじゃ。そしてある意味ではわしから
リリアを守ろうとしてたというのもありそうじゃの」
自分にとっても主にとっても大切な少女を守るために。
ルッチはゆっくりとハットリに視線を移した。
「クルックルー」
翼を広げて顔の前で振る鳩の仕草は、人間で言えば『イヤイヤ、そんなんじゃないって』というくらいのところだろうか。
一瞬その瞳が和んだように思えたルッチが指先を動かすとハットリは飛び立ち、ルッチの肩に舞い下りた。
ルッチの強い視線に負けた気分でカクはくるりと背を向けた。
「ただの独り言じゃ。聞こえなかったことにしてくれ。まだあんたと戦えるだけの体力は戻っとらんからのう」
「・・・カク」
ふわりと投げかけられた声にカクが振り向くと、ルッチがテーブルの上に載っていたカクの帽子を投げて寄こした。
「・・・おまえはあまり長い時間でなければ・・・いて邪魔な人間でもない」
自分のそばに、ということだろうか。
カクは笑った。
「多分、ずっとそうじゃったんじゃ・・・幼い頃からな。そしてこれからもそのつもりじゃ」
挨拶がわりに手を振って部屋を出たカクの口元には微笑があった。
人間らしい感情は不要だとずっと思って生きてきた。けれどそれが強さに繋がるなら満更悪いばかりでもないのかもしれない。
あの麦わら海賊団との戦いとその後のルッチとの日々を思い浮かべながら、ゆっくりと一つ頷いた。