partner 5

イラスト/白鳩 その日、雨が降りだした。
 ルッチは窓を細く開けて空を見た。どんよりと垂れ込めた雲はかなり厚いものに見えた。確認した後も窓は閉めなかった。ハットリの外飛行3日目。初日ほど とはいかないまでも今日も何気なく窓の外に視線をやることが多い気がしてルッチは苦笑した。この頃伸びてきた髪を首の後ろでまとめ、本を1冊選んでソファ に身体を預けた。食べた悪魔の実の性質の影響か、雨は落ちてくる感触も降る音も苦手になっていた。身体の中の苛立ちを解消するには読書か身体を動かすのが 最適だ。棚からリキュールの首の長いボトルを下ろしてグラスと一緒に傍らに置いておくともっといい。ルッチの舌は様々な酒を判別し薬の類が混入されていな いかを判断する訓練を終えていた。訓練の中でいくつか好みの酒を見つけることができたのはこの年齢にしては幸運な偶然の付属品かもしれない。少しおおぶり なステムのない個性的なグラスに注いだ酒の色は血に例えるにしてはあまりに鮮やかな紅をしていた。指先できっかけを与えると不規則に揺れて円を描きはじめ るグラスと中でゆれる深紅の波。ルッチは靴を蹴り脱いでソファの上に足をのせた。

「クル、クル、クルッポー!」

 羽ばたきと悲鳴のような鳴き声とともに鈍い低音が響いた。顔を上げたルッチは一瞬自分の目を疑った。身体を密着するようにして羽ばたいている2羽の白 鳩。2羽一緒では窓の細い隙間を通り抜けることができなかったのだろう。ハットリが懸命に嘴でガラスを突きはじめた。

「フクベか?」

 ソファから窓辺に素早く移動したルッチが窓枠をいっぱいに押し上げると、2羽はもつれるようにしてルッチの腕の中に飛び込んだ。

「・・・そういうことか」

 ルッチは記憶よりもひとまわりかふたまわり小さくなったフクベの身体をハットリの巣に横たえた。乱れた翼の羽の中には茶色に近い色に染まった部分が何箇 所もあった。それは血痕だった。
 トリロは賭けに負けたのだ。ルッチはその現実を受け止めた。殺しのライセンスを与えられていた者はライセンスが無効になると同時に自分の命を失う。人に よってはこれを公平と呼ぶかもしれないし皮肉と受け取るかもしれない。どちらにせよ、トリロは死んだ。そして長い時間をともにしてきた相棒もほとんど命を 失っている。

「愚かだな、お前は」

 主を失った以上、どこへ飛んでいくのも自由なはずだった。この鳩ならば賢く生き抜くことも出来たはずだと思った。自由になってまた蜜月を迎えて子孫を残 すことも可能だったはずだ。そうあるべき自然の形はまだ失われていないのだから。
 それなのに主の言いつけどおりに命を賭けて飛んできた鳩。ルッチは腕の中にハットリを抱いたまま、静かに横たわる身体から生命が失われていくのを見届け た。最後に一鳴きさえできなかったが、フクベにはもう語りかけたい相手はいなかったのかもしれない。

「クルックルー?」

 ハットリは騒ごうとはせずにルッチの腕の中で顔を見上げた。

「・・・これが未来の俺たちかと聞いているのなら、返事は保留だ。死ぬまでわからん」

 ルッチは開いたままの窓に近づいた。

「今ここを去るのもお前の自由だ。お前はもう飛べるんだから・・・ハットリ」

 両手で持った小さな身体のあたたかさを意識しながら外へ手を差し出した。

「帰巣本能と餌付けなどたいした拘束具でもない。自分で選べ、どこへ行くか」

 静かに手を開くとハットリは不思議そうな顔をしながら羽ばたいた。

「クルッポー?」

 ハットリは当たり前な顔をして部屋に戻り、フクベの亡骸に身体を摺り寄せた。

「ポッポー、クルックルー」

 小さく鳴き続けるハットリの声をルッチはそのまま黙って聞いていた。彼自身よりも遥かに雄弁だ、と思いながら。




 ルッチの追憶を破ったのは少女の小さなくしゃみだった。反射的に腕の中に深く細い体を抱きこみ、自分の体温を分け与えようとした。そして自分の行動に気 がついて唇を歪めた。

「ハットリ」

 合図するとハットリはすぐに少女の頭の上に移動した。
 ルッチは少女を抱き上げた。

「ベッドに戻れ。今日一日はおとなしくしていろ」

「うん・・・」

 少女の白い手がルッチの袖を軽く掴んだ。それは言葉よりも雄弁だった。

「ポッポー」

 ハットリは静かに舞い上がり、自分の籠に戻った。見てないよ、とでも言いたげに半分背中を向けた白い姿にルッチの唇は堪えきれずに曲線を深めた。すぐ傍 らに置いて邪魔だと思わない存在。それどころかそれを失いかけた時ルッチ自身の生活も行動も信条も見失いかけた。

「お前達を連れて戻るか・・・あの闇に」

 驚いて顔を上げた少女の唇に自分のそれを重ね静かに熱を与え、奪った。命も体力も何もかも・・・・失いかけたもののほとんどを取り戻した今、敗北に背を 向けたままに見える自分の姿は見るに耐えないと感じられた。戦い方はひとつではない。相手の特性を詳しく知った今、戦う方法を一段進歩させることができる はずだ。所詮、自分は闇の中で生きるのが一番向いている・・・そういう風に作り上げられた人間だ。逆らうのも馬鹿な話かもしれない。
 久しぶりに心と身体にみなぎる充実感の元になったのが恐らく一羽の鳩と一人の少女であることをルッチは笑った。正義という名の下に作られた不透明な闇の 中に道連れにしようと思ってしまうほど、いつのまにか手放しがたいと感じていたちっぽけな二つの命。丸ごと自分のものであるように錯覚できるそれに手を触 れて愛撫したいと思った。

「光の中で・・・すべて見せろ、 リリア

 少女をベッドに下ろしたルッチはすぐにまた口づけを深めながら身体を重ねた。表情の変化の一つ一つ、身体の隅々までを確かめたかった。高まりの中で恥じ らいを越えて漏れ出す声を聞きたかった。

「ルッチ」

 少女の腕が自分から彼の身体を抱いた。求められていることを自覚するのは危険なほど快かった。

「クルッポー」

 小さく穏やかな声を聞いた時、愚かなほど満たされている自分を幸運だと思った。
 あの老人は死ぬ前に何度己の人生に満足しただろう。本当は最後にパイプの一服を恋しく思ったかもしれない。
 あるがままに、己のままに。
 ルッチは腕の中の命を強く抱いた。そして籠の中でまだ背を向けているハットリに視線を向けた。
 手放すよりも巻き込んで危険に晒しながらともにあることを選ぶ。どのみちいつか死を迎えるなら目の前で散るようにと願う。これが彼のやり方だ。

「お前達を連れて行く」

 彼の声を聞いた鳩と少女が見せた喜びの表情を目に焼き付ける。
 もしかしたら老人の遺言を今受け取ることができたのかもしれない。
 似合わない感情を抱きながらルッチは慣れない追悼の想いに目を閉じた。

2006.11.5

この頃のルッチが雛であるハットリを育てたとすると・・・・
ハットリ、かなりの年になってしまいます
鳩の寿命は10〜20年と言われていますが・・・それにしても・・・・
そこら辺はちょっと目を瞑っていただけるとありがたいです

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