月 磨 10

写真/雲間の月 1日が過ぎ、月は少しだけ輝く大きさを増したのだろうか。
  リリアは窓を塞ぐ外から打ち付けられた板の上部に残された細い長方形の隙間から今ちょうど顔を出した月を見上げていた。
 エニエス・ロビーに夜の闇はない。でも、時折白い月を見ることができる。その不思議を知りたくてよく飽きずに空を眺めていた。ウォーターセブンに着いた 最初の日には久しぶりのその闇が少しだけ怖く感じられた事を思い出す。あの日はブルーノの店の2階に部屋を貰った最初の日でもあり、昼間に海賊に襲われた こともあって頭の芯が冴え続けなかなか寝つけなかった。寝返りを打つことにも飽きた頃、窓ガラスをコツコツと叩く音が聞こえた。ハットリだった。一人で リリアを見上げて鳴いたハットリをそっと抱いて部屋に入れ、枕で寝床を作ってやって一緒に寝た。あの時はその突然の訪問者が嬉しくて何 も考えなかったのだが、思えばハットリが夜空を一人で飛んでくることができたはずはなかった。それを思う今、胸に込み上げるのはさらなる喜び・・・それか ら抑えきれない切なさだ。
 今また、あの音を聞くことができたら。闇の中であの月のように輝く白い姿を見ることができたら。
 願ってしまう自分の幼さに苦笑した。

 スープとパンの食事に リリアは何も疑問を感じなかったのだが、実はそれが身体を維持する最低限を考えられてのものであることをパウリーから聞いた。できるだ け情報を引きださなければならない相手・・・つまりは敵に豊かな食事を与える必要はない。素直に納得した リリアにパウリーは困惑の表情を浮かべた。「もっと腹いっぱい食いたいだろ?俺もアイスバーグさんも本当は食わせてやりたいんだぞ。だ けどなぁ。いずれお前を移送する時に大人しくしててもらわなきゃいけないしな」・・・・ リリアの疑問を浮かべた顔にパウリーは曖昧な笑みを投げた。
 自分が果たして世界政府に属する人間なのかはっきりとしないままこの街にとどめておくことは、そして監禁しておくことは街にとって危険なことなのだ。言 われてみれば確かにそうかもしれないと思った。もしも政府の人間だった場合、この行動は反逆と受け止められる。 リリアには詳しいことはわからなかったが、アイスバーグは麦わら海賊団のエニエス・ロビー襲撃に関して今のところ罪に問われてはいない らしい。つまり、この街を守るためにはまるで何もなかったような顔で政府の人間とつきあっていく必要があるのだろう。だから、 リリアを別の小島に移すのだとパウリーは言った。本当はまったく気が向かないのだとも。もしも リリアが政府と関係のない人間であるなら早く教えろと・・・・そうすればこの街で暮らす場所を探すこともできるだろうと。
 でも、それは。
  リリアは沈黙を守った。
 この街で生きろと言ったカリファの声が耳に蘇る。そしてそれに対して苦笑しながら首を振る。無理だ。この街には リリアの居場所はない。確かに リリアは政府に属する人間ではなかったが・・・・ロブ・ルッチのものだった。それを過去形で考えるのは苦痛なほど今もそうでありたいと 願っている。だから何を否定することも出来ないし肯定することも出来ない。頑なに自分の気持ちを守ることしかできはしない。

 別の場所に連れて行かれるということは海列車とも離れてしまうということだ。 リリアは部屋の中を歩きながらずっと海列車に潜り込める可能性について考えていた。乗ってさえしまえば例え列車の中で発見されて捕えら れてもエニエス・ロビーに戻ることはできる。何もわからないまま離れて生きながらえるよりもルッチの前ではっきりした決着がつくことを望む・・・・ リリアはそう決めていた。
 まだウォーターセブンにいられる数日の間に何とかここから出て海列車に乗らなければいけない。 リリアは懸命に列車の運行予定表を思い出そうとした。エニエス・ロビーへの定期便は何日に1回出ていただろうか。
  リリアは窓を見た。汽笛の音。あれに耳を澄ませていれば、列車のスケジュールを思い出せるかもしれない。幾つかの島を回って戻ってくる 列車の音。エニエス・ロビー行きの列車はその巡回列車とは発車時刻がズレていたはずだ。
  リリアは寝台から毛布を剥がして窓際に座った。夜に汽笛はならないはずだったが万が一があった場合も聞き逃したくない。身体に毛布を巻 きつけるとぬくもってくる空気に懐かしさを感じた。ルッチ、カクと一緒にいくつもの街を回っていた間、立派な構えの宿に泊まることもあれば野宿の日もあっ た。隙間風が抜ける古い番小屋の中でこうして毛布にくるまって過ごした夜、腕の中にはハットリがいたし両側にはルッチとカクが座って体温が逃げないように 守ってくれた。与えられたぬくもりにまどろみながら頭の上で交わされる2人の会話を聞いていた。
 カクが笑い、ルッチが短く切り返す。そのやりとりを聞いていると安心して眠りに入ることが出来た。ルッチの方に倒れ掛かり、慌てて身体を起こすと今度は カクの方に倒れ・・・浅い眠りの中で身体を真っ直ぐにしようと必死になっているとカクの手がそっと リリアの頭を押してルッチの膝の上で抑えた。何も言わないルッチの足の上で最初は頭の重さをかけないように緊張していた首はいつの間に かその役目を忘れ、朝までしっかりその足を枕にしていたことを目覚めたときに知った。それでもルッチは何も言わなかった。「今度野宿するときは豹タイプに なって貰うといいかもしれんのう。ルッチの毛皮を布団にすれば リリアももっと気持ちよく眠れるかもしれんぞ」・・・そんな風に笑ったカクを冷ややかに睨んだルッチの横顔。
 思い出すのはそんな場面ばかりだ。

 ルッチたちはエニエス・ロビーに着いただろうか。
 空には白い月が見えているだろうか。
 硝煙と瓦礫が溢れていたあの場所に再び塔は建ったのだろうか。
  リリアは目を閉じて離れた場所の様子を想像した。もう一度あの場所に戻ることだけを考えていればいい。強く願えば願うほど、気持ちは前 を向くことができる。
 毛布に顔を埋めて懐かしい体温を想った。眠りに引き込まれながら喉もとの鎖を握りしめた。

2006.1.22

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