月 磨 11

写真/ 外の光を遮るためにカーテンを引いた上でわざわざ灯りが燈されている部屋というのは、何を演出しようとしているのか。ルッチは室内を一瞥し、机の向こうに 座ったまま満足気に彼を見上げている女を見た。何もかも退屈だった。

「予想通り、あなたが先に来たわね。ここにお座りなさい」

 机の前に置かれた椅子に座り目線の高さを合わせると、マレーリアの緑色の瞳に揺れる光が見えた。

「長官があなたたち2人を迎え入れることを決めたのだから、逆らわないでおきましょう。何枚か書類にサインをしなさい。そうすればあなたはまた、CP9に 戻ることができるわ」

 ルッチは机の上に広げられた3枚の書類とペンを差し出した女の手を見た。

「随分簡単なことだ」

 身につけた軍服と同じ色に塗られた唇が薄く開いた。

「ここまではただの事務処理。私が知りたいのはあなたの別の側面のこと。あなたがそばに置いていたという子どものことも含めてね。嫌でしょう?性的に倒錯 しているなんていう噂をたてられたら」

 倒錯、か。
 ルッチの唇に笑みが浮かんだ。この女は『ロリータコンプレックス』という言葉でもほのめかしているつもりなのだろうか。そんな一般人の中の基準を今更あ てはめて脅かそうとでも思っているのなら馬鹿らしいにもほどがある。年齢も性別も何もかもを超えて身体を重ね相手を闇の中に捕える技量を彼に望んだのは世 界政府そのものではないか。
 ルッチの笑みを誤解したのか、女は彼に合わせるように微笑んだ。

「素直なのは賢いことよ。あなたみたいな人間がちっぽけな子ども一人のせいで名誉や身分を失う必要など一つもないわ。さあ、先ずサインして」

 名誉?身分?
 そんなものはスパンダムにでもくれてやればいい。正義のために闇に潜伏する人間にそんなものは必要ない。
 ルッチはペンを持つマレーリアの手に己の手を重ねた。女の瞳の光が強くなるのを見届けた後、指先で女の手を机に押し付けた。女は机の上の二人の手を見下 ろし、眉を顰めた。

「・・・何の真似?この触れ方は何?」

 動かせるものならやってみればいい。
 ルッチは無表情なまま椅子の背に寄りかかった。マレーリアは曖昧な笑みを浮かべた後、手に力を入れた。それでも手を動かせないとわかると握っていたペン を離し、今度は全身の力をそこに集めた。

「・・・・建物が崩れたくらいで無効になるしか意味のない書類だ。名前を書く必要などない」

 赤らみはじめた顔でルッチを見たマレーリアは強く睨むような視線を向けた。

「離しなさい。・・・今のはその リリアという子どもについての書類のことをあてこすっているのね。どういうつもり?離さないと軍法会議に・・・・」

「今のあなたは軍人ではないはずだが。それに、俺は指1本の先を触れているだけだ。拘束している図にはとても見えないだろう」

「ロブ・ルッチ・・・」

 女の瞳に敵意が浮かんだ。そこに混ざる淫靡な熱を感じたルッチは唇を歪めた。

「俺はCP9という組織の人間だ。世界政府に特に逆らうつもりはないが、自分の所有物と認められたものを勝手に剥奪されることには慣れていない」

「お前の所有物?たかが鳩の一羽と子どもだろう。他に届けが出ていたという話は聞いていない」

「面倒な書類を書くのはその二つの分だけで十分だ」

 ルッチが抑えていた指を浮かすと、マレーリアはすばやく手を引き、肌に残った赤黒いあざを見つめた。やがてその唇は再び微笑んだ。

「さすがに力は相当なものだわ。言っておくけれど、私は拳銃の他に鞭を扱う腕も確かなの。相手が筋肉だらけの男である場合、特に鞭を使って声を出させるの が好みに合うわ。そうやって抱かれて喜ぶ男がどれほどいたか、言ってもあなたはきっと信じないでしょうね。いいわ、ロブ・ルッチ。あなたの嗜好が正常であ ることをその身体で証明しなさい。ちゃんとした大人の女である私を本物の男らしく抱くことができたら、あなたの倒錯の疑いはなかったことにしてあげる。確 かめるには確実な楽しい方法でしょう?」

 倒錯というなら自分の方だろう。ルッチは皮肉めいた笑みを浮かべ、立ち上がった。CP9の本質を知らずにノコノコと踏み込んできた哀れな人間。本当なら 到底手を伸ばす気にならない面白味のない愚かな女。

「時間を掛ける気はない」

「いつまでそうやって涼しい顔をしていられるかしら?」

 マレーリアが手に持った鞭の束を見たルッチは声を出して笑いたくなった。
 上司だと威張るつもりなら、この女はちゃんと部下の武器ぐらい把握しておくべきだった。

「・・・それはカリファが得意な得物だ」

 ルッチの呟きと女の手が大きく鞭を振るったのはほぼ同時だった。次の瞬間、鞭を腕で絡め取り強く引いたルッチの手があっけなくそれを奪い取っていた。

「ちょっと・・・・待って・・・・」

 女の驚愕の表情を瞳に映しながら鞭を投げ捨てたルッチの手は、女の身体を机の上にはりつけていた。

「こういうやり方は好みではないが・・・」

 ルッチはため息とともに女の軍服を爪で裂いた。
 好みも何も、この女を抱くことそのものが不本意なのだ・・・どのみち。
 ルッチが指先で女の顎を撫ぜると女の瞳に浮かんでいた驚きは恐怖に、そして次第に陶酔に変わった。
 唇を触れる気はない。
 ルッチは指先で女の肌の何箇所かに刺激を与えた後、敏感に戻る反応を確認しながら両手で乱雑な愛撫を加えた。予想した通り、そのやり方を気に入ったらし い女の顔に片手を伸ばし、目を瞑らせた。

「ねえ・・・唇で・・・」

 求める女の声を無視して愛撫を進めると女は小さく声を上げた。
 簡単に、もっと安直にこの自ら疼いている身体を満たしてやればいい。

「ルッチ・・・」

 瞼から手を離し、邪魔な声を出す口を次に塞いだ。手の下で断続的に零れだした熱っぽい声は獣のようだった。

「あなたの嗜好は自分で思っているのとは正反対だったようだな」

 加虐より被虐が似合う姿に堕ちた女の身体を深く貫き、叫び声を呼ぶほどの揺らぎを与え続けた。

「お願い・・・・まだ・・・・!」

 あっけないほど簡単に昇りつめた女の身体から離れ、ルッチは少し乱れた衣類を直した。それから床に落ちた軍服の切れ端を広い、喘いでいる女の横に置い た。

「軍服の換えはあるのか?」

 まだ机の上に身体をのせたまま潤んだ目でルッチを見上げたマレーリアは、呆然とした表情で頷いた。

「・・・こんなことって・・・」

 ルッチは1歩近づいて女を見下ろした。

「俺が『正常』な性的嗜好の持ち主であることは、これで証明されたと思うが」

「たった・・・1度で?もっと・・・」

 言いかけたマレーリアはルッチの顔を通り過ぎた表情を見て続きの言葉を失った。

「馬鹿馬鹿しいやり方だが、これで俺のものだったものは俺のところに戻るわけだ」

「いいでしょう・・・・サインする書類を1枚増やすわ」

 小刻みに震える手で白紙に文字を埋めていく半裸の女をルッチは黙って眺めた。やがて4枚の書類が並べられると、 リリアの名前の綴りだけを確かめてから1枚ずつ流れるように自分の名前を書いた。

「ルッチ・・・」

 女の声を聞きながらルッチは書類を手に背を向けた。

「この書類は長官に渡しておく。・・・・あなたにはこの職場は合わないようだな。CP9はあなたのような人間の想像力を超えている」

 廊下に出たルッチは影の中に立っている背の高い人間の姿に目を細めた。

「随分無茶なことをしたもんだな、ボウヤ」

 その呼び名に顔を顰めたルッチの様子にニヤニヤと笑いながら姿を現したのは青キジだった。

「無事にあのお嬢ちゃんを取り戻したという訳か。・・・そんなに可愛いか?」

「言っている意味がわからないが・・・・青キジ」

「ん・・・そうか?まあ、俺はわかっているつもりでいるから、まあ、いいか」

「・・・相変わらず訳がわからない人だ。なぜあれをあの街に留めた?列車に乗せていても結果は変わらなかっただろうに」

「そうかな?俺はこれでちょっとしたことが確かめられたと思うんだが、お前さんは自分の中の何かを見つけたりはしなかった?」

 ルッチはため息をついて青キジを軽く見上げた。

「なぜあんたはいつも俺を子どものように扱う?」

 青キジの顔は笑みに崩れた。

「そういう人間が一人くらいいても別に悪いことはないんじゃないの?それに俺は、お前さんの強さを誰よりも正しく評価してるつもりだが」

「・・・・どうでもいい。ああ・・・・あんたには責任をとってもらおうか。そうすれば話が早く進む」

「海軍大将に言う言葉かね、久しぶりの顔合わせだというのに」

 先に立って歩き出したルッチに青キジは素直に従った。
 ノックを忘れてスパンダムの部屋の扉を開けたルッチは一羽の鳩と複数の人間の声に出迎えられた。

2007.1.21

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