月 磨 3

「髪を切ったの?カリファ」

「そういうあなたは随分髪が伸びたのね。とても綺麗になったわ」

 互いの上に流れた時間はまだ1年にもならない。 リリアはカリファの姿に見える大きな変化に戸惑いと感嘆を感じていた。最後に見たときには長かったカリファの金色の髪は頬から耳にかか るラインに沿って短く切り揃えられていた。ウォーターセブンに来る前のカリファも髪は短かったのだが、あの時とは違うしっとりとした落ち着きと女らしさが 髪が揺れるたびに零れ落ちてくるように思えた。眼鏡の奥の瞳には相変わらず知的な輝きがあり、少し以前より暗い色を塗られた唇の曲線が美しい。服装も大き く変わっていた。ダークな色は変わらないが、以前の隠しながらも露出度が高い戦闘服とは対照的に喉元も手首も極力白い肌を見せないようにカットされたスー ツは身体にぴったりと合っていた。
 変わらないのは手に持った棘のある鞭だけ。その鞭に帽子を飛ばされた リリアは長い髪を風にそよがせていた。
 なぜカリファがここにいるのか。
 なぜ リリアにその鞭を向けたのか。
 答えを与えないままカリファは リリアを追い立てながら倉庫のひとつに入り扉を閉めた。
  リリアはサングラスを外し、ポケットに入れた。
 無言で待つ リリアの紫色の瞳にしばし見入っていたカリファはやがて小さくため息をついた。

「わたしがここにいるのは・・・あなたを海列車に乗せないためよ。今はもう、これしか話すことはできないわ」

「カリファ・・・?」

  リリアはカリファの名前を呟きながら与えられた言葉の意味を考えた。

「納得できないでしょうけれど、とにかく、列車が出るまであなたはここにいるのよ。エニエス・ロビー行きの列車にはどのみちあなたは乗れないわ。そういう 伝達が回っているから」

 自分だけ、という意味なのか。 リリアは脱力感を覚えはじめた。最初に出会った時から慕ってきたカリファの姿と声を再び見て聞けたことを心の半分は喜んでいる。そして もう半分はその声が語った言葉が耳で聞いた以上に厳しい内容であるらしいことを察して懸命にもがきはじめている。
 なぜ、カリファが。
 大きく見開かれた少女の瞳の光に圧されたようにカリファは少しだけ目を伏せた。

「・・・・ここで暮らしなさい、 リリア。あなたはこの街でCP9という組織に利用されただけ。そう説明すればきっと、受け入れてくれる人間が現れる。あなたは本当に何 もしていないのだから」

  リリアは反射的に首を横に振った。
 確かにこの街には暗い記憶も嫌な思い出も持ってはいない。むしろ、この街を好ましく感じてさえいる。けれど。ここにはルッチがいない。それだけで空気の 色が変わる気がする。

「アイスバーグやパウリーのような人間たちの中で生きなさい。大丈夫。きっとすぐに慣れるわ」

  リリアはまた首を振った。カリファの声に含まれる優しさに耳を貸してはいけないと思った。 リリアの身を思ってくれているはずのカリファの気持ちを受け止めてしまったら・・・・それよりも何よりも求めているものを強く想ってい たいと願った。

リリア・・・・」

 カリファの表情の翳りが濃くなり、しなった鞭が床を打った。
 自分はカリファを困らせている。胸の痛みをこらえながら リリアはカリファを見た。

「どうして、カリファ・・・」

 カリファがまるで開こうとするのを止めるように唇を噛んだ時、倉庫の置くの暗がりの中、背の高い姿が床から立ち上がった。

「我がままを言うんじゃないよ、お嬢ちゃん」

 癖のある髪に白いスーツ。 リリアは突然現れた男が近づくのを黙って見つめていた。以前、見かけたことがある気がするこの姿。確か・・・・そう、エニエス・ロビー で。

「あなたのような方が出ていらっしゃらなくても・・・・大将青キジ」

 声に動揺が走ったカリファに青キジは笑いかけた。

「心配しなさんな。別にこの子をどうこうしようとかいうわけじゃない。たまたま気が向いただけの話。それよりもカリファ、お前さん、もうちょっと事情を話 してやっても悪いことはあるまい。何にもわからないままじゃかえって残酷と言えるんじゃないの?お前さんだってやりにくいだろう」

 海軍の中の大将という地位はどれほど上の階級なのだろう。 リリアは青キジの声に心を集中した。聞き覚えがあった。もう何年も前、場所はやはりエニエス・ロビーだった。あの時、この人が・・・

「お座りなさい、 リリア

 青キジに促されたカリファはほうっと息を吐くとそれまでよりやわらかく微笑した。静かに リリアに歩み寄り細い肩に手をかけると、 リリアは素直に腰を下ろした。

「・・・・ルッチ・・・・ロブ・ルッチという人間は負けてはいけなかったのよ」

 ルッチの名前を言ったとき、カリファの顔には痛みのようなものが浮かんで消えた。

「ルッチは歴代のCP9の中で最も完成された殺戮兵器だと評価されていたの。だから、誰よりも負けてはいけない存在だったのよ。おかしいでしょう?負けは 負け、ただ1度のそれを恐れる人がいるなんて。でも世界政府の上の人間の中にはルッチの負けを認めたくない人も少なくはないのよ。そういう人たちはルッチ の敗北に何か理由を見つけたがったの。麦わらと戦った時にルッチが普段の彼とは違った原因があったはずだって考えたがったのよ」

「それでお前さんに白羽の矢があたっちまったってことだ」

 カリファに続いた青キジの言葉に リリアは首を傾げた。

「・・・わたし?」

 カリファは深く頷いた。

「あなたはルッチが突然エニエス・ロビーに連れてきた。まだ幼い少女だっただけで驚くには十分だったけれど、あれからずっとルッチが黙ってそばに置いてお いたというのが私も含めて皆の最大の驚きなのよ。陰でうるさく言いたがった人もいたらしいけれど、誰もあなたに手を出さなかった。出せなかったの」

「・・・なぜ?」

「あなたを連れてきた時、ルッチは面倒臭かったのか何なのか、あなたを自分の所有物として届出を出したの。生まれも何もかもわかっていなかったあなたに自 分と同じ誕生日を与え、名前と性別・・・それだけを書き込んで、自分のものにした。まるでハットリや部屋の家具や備品と同じよ。そしてそのことが結局はあ なたを守る結果になった。あの長官は元々変わった人だからただあなたのことを面白がっていただけだったし、それよりも上の人たちもルッチのものであるあな たには何もできなかったの。でも、エニエス・ロビーが崩壊して事情が変わった。司法の塔が崩れて沢山の書類が紛失し解読不能になりただの紙くずになってし まったんだけど、その中にルッチが書いたあなたに関する書類もあったのよ。つまり、ルッチの所有物というあなたの身分は消滅した。今のあなたは正体不明の 一人の女性に過ぎないわ」

「だから、ロブ・ルッチの敗北をお前さんという不確定要素がそこにあったためだとして片付けるには都合がよくなったんだな。臭いものには蓋ってわけだ。原 因と責任をお前さんに背負わせて消してしまえば敗北もなかったことになる・・・みたいな感じにな」

「・・・わたしを消す?」

「そう。お前さんがもしも何も知らずに海列車に乗り込んだらそのまま本部に連行されて・・・・まあ、それから後はお前さんがどうなったか知る人間はほんの ひとつかみということになったんだろうがな。このCP9のお姉ちゃんがお前さんを止めるためにここにいるのはさ、わかるだろ?お前さんの命を救うためって ことだ。俺はただの通りすがりだから、まあ、ロブ・ルッチのそばから不確定要素が排除されさえすれば別に文句はない」

 ルッチから離れて1人で生きろと・・・そう言われているか。そうすれば命を奪われないですむと。
  リリアは意識してしっかり顔を上げた。それを見たカリファの瞳に憂いの色が通り過ぎ、青キジは大きくため息をついた。

「人生、生きてなんぼなんだよ、お嬢ちゃん。仕方ない、少々身体を拘束させてもらうよ」

  リリアに向かって屈み込んだ青キジがふぅっと細く息を吐いた。その瞬間、 リリアは足首に焼け付くような冷気を感じた。見下ろすと足首から下が厚い氷に覆われて床に貼り付けられていた。

「1時間もすれば氷が溶けて自由になれる。それまでの辛抱だ。列車の発車時刻まではあと30分もない。これでお前さんは闇の正義から自由になることができ る」

「・・・カリファ!」

 少女の声を聞いたカリファは目を伏せ、視線が合うのを避けた。

「あなたが好きよ、 リリア。だから、こうすることを決めたの。恨んでもいいわ。ただ・・・生きて」

「でも、カリファ・・・!」

 ここにはルッチがいないのだと。言いかけた リリアの口からなぜかルッチの名前は出なかった。

「エニエス・ロビー行きの列車にこれからはお前さんを絶対に乗せないように身体的特徴もすべて伝えておく。いつか今日を幸運のはじまりだと思える日が来て くれるといいがな」

 向けられた青キジのゆるい笑顔を リリアはただ真剣に見上げた。絶望と怒りが、そして悲しみが身体の中に入り乱れて湧き上がる。痛みが続く足は力を入れてもほんの僅かも 動く気配はなかった。

「痛いだろうが、懲りずに動かせるようになるまで力を入れて痛みを感じ続けた方がいい。感覚がなくなったら面白くないことになるだろうからな」

 それだけ言うと青キジは一人で先に歩きはじめた。

リリア・・・」

  リリアの前に立ったカリファはふわりと手を伸ばして リリアの額に触れた。

「・・・ルッチは決して私を許さないかもしれないわね。そして・・・あなたもね」

 その言葉を聞いた時、初めて リリアの目から涙が落ちた。冷え凍った足とは違い、頬を伝う涙はひどく熱かった。




写真/夕暮れの空  夕暮れの光の中、一つの倉庫から転びながら出てきた少女の姿があった。立ち上がってもまたすぐに前のめりに倒れるその姿に目を留めた一人の男がいた。や がて、倒れることに疲れた少女はそのまま腕と膝で身体を引きずりながら前に進みはじめた。

「ルッチ・・・・」

 少女の口から零れた名前にハッとした男は腕を組んでその場所から少女をじっと見つめた。

「ルッチ・・・・!」

 大きく叫んだ少女は両手の拳を血に打ちつけ、溢れる感情のままに一人、泣いた。

2007.1.17

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