「・・・・おらんようじゃのう、やはり」
動き出した列車の中を一回りしてきたカクはルッチの向いに腰を下ろした。
「ウォーターセブンで・・・・捕まったと思うか?
リリアはあの子が自分で考えているよりも遥かに有名人じゃったからのう」
ルッチは黙ったままカクに目を向けた。その肩にとまっているハットリが代わりのように一声鳴いた。
二人は自分達が列車に乗っているのが当たり前のように普通に会話を交わしていたが、その様子をみる周囲の視線は明らかに違っていた。合言葉はまだ有効 だったようですんなり乗車することはできたが、その後は同じ車両に乗り合わせた数人・・・政府の役人も海兵も二人が座る座席から距離をとって遠巻きな視線 を向けている。
「どうするんじゃ?列車は出てしまったが、まだ月歩で街に戻ることはできるぞ」
ルッチは窓の外を一瞥し立ち上がった。それに続こうとしたカクは半分腰を浮かし、その状態で動きを止めた。
カク?
ルッチはカクの視線を辿るように後ろを振り向き、通路を近づいてくる姿を見た。
「・・・カリファか」
二人を見るカリファの顔に大きな感情は見えなかった。カリファは二人の席のすぐ前に立ち、座るように合図した。
「・・・
リリアは列車には乗せなかったわ。まだ特に誰かに捕まって縛り上げられたり糾弾されているわけではないはずだから・・・安心して」
ルッチの顔を見たカリファは瞳の力に一歩退いた。
「視線で人を殺せるならって言われることがあるけど・・・・・今、瞬殺されていたわね、私。あなたにとって
リリアは一体どれほどのどんな存在なのかしら。とても知りたくなるわ」
「・・・・久しぶりの再会の挨拶がそれなのか、カリファ」
呟いたカクを見たカリファの唇が僅かに上向いた。
「必ずまた会えると思っていたわ、カク。エニエス・ロビーもCP9も壊れたところから立て直すだけで時間がかかっていて、あなたたちの行方を追う余裕はな かったらしいの。でも、あなたたちはずっと待たれていた。私やブルーノたちよりとても大きく期待されているわ」
カクは首を小さく横に振った。
「お前はどうなんじゃ。お前も・・・・待っていたのか?少しは」
「私は・・・・しばらくの間、あなた達の行方がわからないことは知らされていなかったの。そばにいてくれたブルーノも口止めされていて。知ったときには信 じられなかった。驚いたし・・・・ちょっと裏切られた気がしたわ。でも、ブルーノが
リリアの遺体が見つからなかったことを教えてくれて、それで納得できたのよ。あの子は、何というか・・・特別な子だから」
「それを知っていて・・・・そう思っていて、なのに
リリアが列車に乗るのを邪魔したのか?」
「・・・・そうするしかないと思ったの・・・私は」
ルッチはカリファの唇の震えを黙って眺めていた。
次の言葉を探しているカクの顔には深い感情が見え隠れしていた。
列車の中、3人のCP9は立ったまま視線をぶつけ続けた。
足が腐りはじめたのだと思った。氷の束縛から逃れた後、両方の足は少しも
リリアの言うことを聞かなかったから。まだ剥がれずに張り付いている氷をつけたままの足はひどく重く感じられた。
でも、それよりも。
リリアは大きな喪失感をどうすることもできずに地に伏せていた。海列車はとっくにウォーターセブンを離れてしまったはずで、呼吸を一つ するたびにルッチとの間の距離が広がっているということだ。そう思うと心臓の鼓動さえ煩わしかった。
また、ルッチを失おうとしている。再会からの日々はあっという間に過ぎてきたためにまだほんの僅かな時間にしか感じられていないのに。ルッチが別離と終 焉を望んだのなら離れる覚悟も命を奪われる覚悟も常にあったが、こういう形で他人の手で与えられることは考えたこともなかった。他人・・・・それもカリ ファの手で。カリファが自分に対して持ってくれている好意が理由で。
頭の中でとりとめもなく回り続ける無意味な思考を今すぐに止めたいと
リリアは思った。この状況をすぐさま打開することを求め続ける心。何の力も持たない自分ではどうにもできないことを知っているのに。
願ってしまう・・・・今、ハットリの羽ばたきが、声が聞こえることを。祈ってしまう。
リリアは顔を上げ、すでに黄昏が過ぎ夕闇が降りてきていることを知った。
「・・・まさかとは思ったがな」
不意に耳に入った男の声に
リリアは慌てて上半身を起こして振り向いた。
「・・・パウリー・・・?」
金髪、ゴーグル、口に咥えた葉巻。パウリーの姿はウォーターセブンを離れてからの時間が現実以上に長かった気分にさせた。最後に見たのは多分ブルーノの 店で、パウリーはいつもの通り陽気に借金取りとのアレコレを話しながら陽気に笑っていたんだっただろうか。今のパウリーは
リリアがこれまでに見たことがないほど複雑な表情を浮かべていた。
「・・・ブルーノの親戚だっていう話だったお前は・・・やっぱり連中の仲間なのか?
リリア」
仲間だったらよかったのに。
リリアには答える言葉がなかった。
パウリーは記憶に残っている少女があの頃よりも大人の女に近づいた様子に戸惑いを隠せなかった。それに、恐らくこの少女はCP9そのものではないにして もそれに関係していることは間違いないのだ。それなのになぜ、彼を見上げる
リリアの顔には幾筋もの涙の跡がついているのだろう。必死に前に進もうとしてそれができずに泣いていたのだろう。
パウリーは混乱してきた頭に手をやり、ガシガシと掻いた。
「とにかく、聞きてぇことは沢山あるんだ・・・・俺にも、それからアイスバーグさんにもな。お前を捕まえないわけにはいかねぇし、とりあえずあの人のとこ ろに連れて行く」
リリアは差し出されたパウリーの手を前に首を振った。この手に触れてしまったらルッチとの距離がさらにひらいてしまう・・・・そんな気 がした。
パウリーは拒絶の色を浮かべた
リリアの瞳を見下ろし、ため息をついた。
「そんな顔で見るな。おまけにそんな足でどうしようってんだ?俺は連中とそれに関わる人間を許す気はねぇが、怪我人を放り出していたぶる趣味もねぇ」
恐る恐る、といった手つきでパウリーは
リリアの腕を掴み細い身体を肩の上に抱え上げた。懸命に振りほどこうとした
リリアの力は鍛え抜かれた船大工の腕力にはまったく歯が立たなかった。
「・・・・軽いな。おどかすな」
パウリーの腕に抱えられて、
リリアの胸の中で無力感ばかりが増した。
これだからダメだったのだ。こんなに当たり前に弱いから、だからルッチのそばにいることを許されないのだ。疲労と脱力感に気持ちのすべてを支配された。
やがて水路の前まで来たパウリーはヤガラ・ブルの後部座席に
リリアを下ろした。すぐに動いて波を切りはじめたブルの上で
リリアはぼんやりと空に目を向けた。
細い、月があった。
その月はあの日、年の終わりとはじまりの夜にルッチと見た月に似ていた。