月 磨 6

写真/うす曇の空「・・・まだそんな薄汚れたカッコしてんのか」

 片手で鍵を回して扉を開けたパウリーは窓際の壁にうずくまる様にして座っていた リリアの姿にため息をついた。シャワーを浴びた様子も食事をとった形跡もベッドを使った痕跡も見当たらない。それでもじっとパウリーを 見返す瞳にはまだまだ力が溢れていた。
 パウリーは湯気を立てているスープとパンの皿がのったトレーをテーブルの上に置いた。

「どうせ胃袋は空っぽだろう。パンでもちぎってゆっくり食えよ。それともあれか?敵の情けは受けないとかいうことか?」

 半分本気、半分冗談。パウリーは自分でも口にした言葉に果たしてどれほどの感情が篭っているかわからなかった。昨夜アイスバーグが言った言葉を思い出 す。『あれは傷ついた捨て猫みたいなものかもしれないな。身体と心、どっちが重症かはわからんが』・・・そう言ってアイスバーグは薄い笑みを浮かべた。凍 傷になりかけていた リリアの足には長い傷跡があった。前にはそんな傷を見たことはなかった。ハッとしたパウリーは思わず小さくひとつ頷いたのだが。

「口が聞けないふりをしてもだめだぞ。俺は確かにお前の声を聞いたんだからな。ったく、そんな隅っこで何やってんだ。自分で動かなねぇんなら、俺が無理矢 理でも食わせてシャワーの下に押し込むぞ」

 ・・・・そんな『ハレンチ』なことをできるわけがないのに。
 不意にパウリーの口癖を思い出した リリアの唇が小さく震えた。

「んー」

 パウリーは頭を掻きながらのんびりと足を進め、 リリアの前でしゃがんで視線の高さを合わせた。

「なあ、あいつらに関係のないことならよ・・・声ぐらい出せるだろ?食事時に取り立てみたいな真似、しねぇからよ。声、出してみな?」

 パウリーを嫌いになる理由がないから困ってしまうのだ。アイスバーグもそうだ。この街での5年間、親しくするつもりはなかったがその人柄に好意を持ちな がら見守っていた。それに気がついていたはずのルッチは何も言わなかった。

「・・・パウリー・・・」

 囁くほどの リリアの声は小さく、すぐに部屋のどこかに吸い込まれた。
 パウリーは負けないほど小さく口角を上げた。

「できるじゃねぇか。んじゃ、次はちゃんと食ってシャワーを浴びろ。俺は一仕事してからまた顔を出す。体調が整ってないと真っ向勝負はできないぞ。そう言 えば、もしかしてお前もあの妙な体技を・・・・」

 言ったパウリーは自分の言葉に苦笑して首を振った。

「んなわけねぇな。あれができたらお前はとっくにここにはいねぇだろ」

 いない。それどころか胸を張ってルッチの傍らにいるだろう。
  リリアの表情に何を見たのか、パウリーは首を傾げた。

「ガキのくせによ・・・」

 引っ張り出した葉巻を噛みながらパウリーはドカドカと大きく足音をたてながら出て行った。
  リリアは壁に手をついて立ち上がり、足に体重をかけても平気なことを確かめた。大丈夫、これでまた前に進むことが出来る。カリファに言 われたように速く走ろうとすると足を引きずってしまうけれど、とにかく自分のペースで歩くことが出来る。
 一晩が過ぎ、昨日のパニックの半分は青キジによって氷に閉じ込められた足が原因だったのだとわかった。突然見せられた悪魔の実の能力に対する驚きと足を 失ってしまうのではないかという恐怖。それが静かにひいてみると少しだけ落ち着いて考えることができるようになった。もうルッチに会えないということを信 じられないならそれでいい。信じて自分から絶望する必要はどこにもない。必ずまた会える。そう願って自分にできることを考える方がたとえその願いが叶わな くても後悔をしないですむだろう。
 なによりも自分は・・・・ルッチに会いたいのだから。
 テーブルまで歩いた リリアはパンに手を伸ばし、自分の手が汚れていることに気がついた。シャワーを先にするべきだ。浴室を覗いた リリアは用意された薪を焚けば熱い湯を浴びることができることを知ったが、火はつけずに衣類を脱いだ。コックを捻って水を出し、頭から 浴びながら石鹸を泡立てた手で全身を洗った。冷たい水の中で自分の手の温度だけを感じていると、ルッチの手を思い出した。衣類の下の素肌に触れるときには いつも探るように確かめるように リリアの様子を見ながら進んでいく大きな手。その手に自分の手を預けて並んで歩くことができた日には例えようもない幸福を感じた手。髪 を梳く指の感触。
 駄目だ。
  リリアは一度だけ自分の身体を抱きしめると手早く泡を流して水を止めた。タオルにくるまるとホッと息を吐き、記憶を大切に心の奥にし まった。
 ルッチに会うためにはまず、この街を抜け出すことだ。行き当たりばったりでは意味がない。よく考えて行動する必要がある。そのためには・・・・とにか く、アイスバーグやパウリーをはじめとするこの街の人間に負けないことだ。ルッチたちについて何を聞かれても黙秘を貫くこと。
  リリアはパンをちぎって口に入れた。食べて考え、眠り、いつでも最高の状態でルッチに会えるようにしておくこと。部屋の中を見回し窓を 観察しはじめた リリアは、ふと、思い出して自分の喉元の鎖を辿った。まだこの街で暮らしていた頃にルッチがくれた紫の石。船の上でこの石に触れたルッ チの指の温度を思い出した。
 ルッチ。
 名前を呼ぶと不機嫌そうなあの表情が見える気がした。
 もう一度あの顔を見ることが出来たら、喜びでどうなってしまうかわからない。
 食事をすませた リリアは足に力を入れて立ち、部屋の中を歩きはじめた。1歩1歩、足に力が戻るように。走った時のぎこちなさを少しでも減らすことがで きるように。
 唇を引き結んだ顔には決意の表情があった。

2007.1.9

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