月 磨 7

写真/ 一見、過ぎた時間がなかったような錯覚を覚える光景だった。通常の任務に出てそこから戻っただけのような錯覚。まだ再建途中であるはずのエニエス・ロビー は広がる青空の下、見慣れた雰囲気の建物が立ち並んでいた。
 けれど、数秒の時が過ぎてみれば。
 ルッチは一層堅固な構えを見せる門を見た。以前のものよりも明らかに侵入者の襲来を想定して作られたことがわかる。海列車の発着場に配備された兵士の数 も倍にはなっているようだ。

「ちょっとものものしくなったようじゃの。大げさな挨拶がなくなったのもいい」

 カリファを先頭に進む3人の姿を見とめた兵士達は慌てて背筋を伸ばして敬礼する・・・それは変わらなかったが出迎えの役人達の姿はなかった。

「まだまだ元には戻っていないのよ。それに・・・・私は任務の半分は失敗したわけだし」

「・・・・ リリアには逃げられたと言うんじゃぞ、カリファ。いや、いっそ、わしらと一緒にはいなかったと言うのがいいかもしれん。嘘ではないから のう」

 カリファはやわらかく微笑した。

「私の心配をしている場合ではないわよ、カク」

「そうじゃの。つい忘れてしまうが」

 門を抜けてから橋までの建物の配置も迷路を形成するように考えられたようだ。以前は1本道で行けた筈の道程を進みながら3人は何度も街角を左右に曲がっ た。ルッチはその道順を記憶に刻みながら歩いた。

「あの『長官』は罷免されたのか?」

 ルッチの問いにカリファは苦笑した。

「いいえ。あの馬鹿げたバスターコール発動は結果的に正統なものと認められたのよ。麦わらの強さとニコ・ロビンの脅威・・・・出動した海軍大将たちは彼ら を止めることも滅ぼすこともできなかった。つまり、そのことがかえってバスターコール発動も当然の危険な相手であることを証明したことになったんでしょう ね。麦わらたちを逃した大将たちと彼らを派遣した人たちはスパンダム長官を強く批判することはできないのよ」

「CP9の存続もそういう理由か」

「そんなところでしょうね」

「皮肉な結果だな」

「でも・・・・少しはマシなのかもしれないわ。少なくともあの男は子どものような損得勘定と上に昇ろうという野心しかないから、今私たちを手放す気にはな れない。自分の私兵として使えるようにもっと強くなれと要求するだけ。・・・・面倒なのは、長官のお目付け的な存在として送り込まれた『秘書』の方よ。ど う見ても海軍兵士あがりにしか見えない中年女。長官を旨く操ろうとしているわ。まだ苦戦しているけれどね」

「その女、力は持たされているのか?」

「長官の次、というか私たちと同等程度ね。ただ、規則や組織の運営に関することなら私たちよりも力があるわ。 リリアについての処分を長官に進言したのも彼女。面倒な相手よ」

 さすがに裁判所に入ると左右に分かれて整列した海兵と黒服の男達に迎えられた。

「わしらをこんな風に歓迎していいのかのう?」

「詳しい事情を知らない彼らにはあなたたちは変わらずCP9の一員として映っているでしょう。あなたたちが戻ってきて心強くさえ思ってるかもしれないわ。 事情を知っているのは限られた人間だけよ」

「おかしなもんじゃ」

 本当に。
 ルッチは並んでいる人間たちの顔はひとつも見ずに通り過ぎた。下ろされた橋の向こう側に司法の塔が見えた。その先端に翻る世界政府の旗も同じ・・・・あ の時、麦わらの一味に燃やされた旗の代わりだと知っている目にはどこか薄っぺらい印象を受ける。塔そのものは高さも太さも一回り大きくなってそびえ立って いた。門からの町並みといい、これがあの小さな海賊団ひとつの影響なのだ。

「・・・大げさなものだ」

 橋を渡りながら呟いたルッチの横顔を見てカクは目を細めた。ルッチとともにいることはいつも彼の中に安心感を生み出すのだが、今回は別の気持ちも生まれ ていた。不安とは違う、けれどルッチのことが気にかかる。

「・・・自分の心配をしろ、バカヤロウ」

 表情を変えないままルッチは足を速め、カクの前に出て塔に入った。

「どの面下げていけしゃあしゃあと戻って来やがった、化け猫め・・・・・っていうか・・・・これで全員か?カリファ」

 ルッチは声が聞こえた方を見上げ、ジャブラと視線を合わせた。ジャブラは首を傾げながら階段から跳んで3人の前に下りた。

「私が連れて来ることができたのはこれだけよ、ジャブラ」

 疑うようにカリファの顔をじっくりと眺めた後、ジャブラは肩の力を抜いて息を吐いた。

「一緒じゃなかったのか、あの子は。それとも・・・・まさか死んじまったのか?それでなくてもどっかの島で娼婦になったとかなんとかバカ臭い噂を聞かされ て訳がわからねぇってのによ。おい、ルッチ・・・・」

 呼びかけたジャブラはルッチを見て続く言葉を飲み込んだ。彼の目に映ったルッチの顔には表情がなかった。

「・・・・怒ってんのか。前みたいに噛みついてこねぇと何だか気が抜けちまうな。なあ・・・・あの子、生きてんだろ?」

 この男も結局は リリアのことが心配なのか。カクは小さく苦笑した。

「今のところはそれほど心配はいらんじゃろう・・・・としかわしらには言えんよ、ジャブラ。今どうしているかはわからんからのう。これ以上は訊くな。お前 の何倍も リリアのことを心配している男にまずは説明しないといかんのう」

 カクが言い終わったとき、空気が僅かに揺れた。ポッカリと開いたように見える空間に大きな男の姿が現われた。

リリアは」

 カクはブルーノに笑いかけた。

「再会の第一声がそれなんじゃな、ブルーノ。久しぶりじゃのう」

「ああ・・・・元気そうで何よりだ。だが・・・・ リリアは・・・・ルッチ」

 ルッチは靴音を響かせながら進み、ブルーノの横に立った。

「・・・あの街にいる。それ以外は俺も知らない。殺されてはいないと思うがな。わかっているだろうが、これはここだけの話だ」

 頷いたブルーノは静かにルッチの肩に手を置いた。

「身体はいいのか。一番重症のはずだと聞いていた」

「完治している」

 身体を捻ってブルーノの手を外したルッチにジャブラは笑った。

「相変わらず気位の高い野郎だな。長官と秘書様の前に出るときは少しは化けの皮をかぶっていけよ。どっちにしろこってり絞られるだろうけどな」

 顔をしかめたジャブラを見たカクは口角を上げた。

「なんじゃ、その『秘書様』っていうのはお前の気に入らなかったようじゃのう」

「俺は、女はちょこっとでもいい香りをさせてるのが好みなんだ・・・・カリファみてぇにな。ガチガチのイヤミなヤツは女とは認めねぇ!」

「何だか怖そうなお人らしいのう。じゃが、まあ、上司が二人になったと思えばいいんじゃろう?」

「ふん、そういうのはちゃんとCP9に戻ってから言え」

「ああ、そうする」

 それでもブルーノはもちろん、ジャブラも自分たちを歓迎しているのだろう。クマドリとフクロウともすぐに顔をあわせることになればいいが。カクはカリ ファを見た。

「長官執務室はこっちよ」

 カリファは階段を示し、先に歩きはじめた。

「なんじゃ、やっぱり長官の部屋は天辺にあるんじゃな?いくら建物を頑丈にして迷路にしても、それじゃあわかりやすすぎやせんかのう?」

「標的になるのも管理者の役目なのさ」

 階段はまっすぐに全部の階を結んでいるのではなかった。侵入者はひとつの階を登るごとに次の階へ続く階段の場所を探し当てなければならない設計になって いた。

「司法の塔観光ツアーへようこそ!ってな感じじゃな。まあ、これだけやってもロロノアや麦わらみたいに目的地に向かって自分で道をぶち抜いてくるタイプに は効果は期待できんが」

「海兵たちも大混乱よ。みんな地図の類を持ち歩くことは禁止されているから、しょっちゅう道を訊かれるわ」

「大騒ぎじゃのう。建物よりも中にいる人間を強くした方が早くはないか?」

「・・・・私たちの・・・そして誰よりルッチの負けの影響なのよ、多分」

「重過ぎる期待がなくなったとすれば、いろいろ楽になるかもしれんのう」

「フン」

 3人が最上階に着いた時、奥に見える扉が重々しく開いた。

「よ〜く帰ってきたな、お前たち!元気そうじゃねぇか。また俺の下で働きたいってか?いいぞ、いいぞ、大歓迎・・・・・・いやぁ・・・・ゲホッゴホッ」

 見慣れた芝居がかった動作で腕を大きく広げたスパンダムがいた。その腕を慌てて下げてため息とともに横に立つ人間の表情を窺う。その姿は卑屈というより は叱責された子どもを連想させた。

「とにかく入れ、3人とも。・・・・どうやら予定よりも1人足りないらしいが、その説明も合わせて聞かせてもらおう」

 スパンダムの傍らに立つ緋色の軍服に身を包んだ姿。
 ルッチは女の緑色の目を見た。好奇心とともに冷たい光を浮かべた目。これでは確かにジャブラの好みには合いそうもないと最初の評価をした。

「ロブ・ルッチとカクね。初めまして。長官第一秘書のマレーリア・ホルザーよ」

 己の持つ権力を過信している者特有の空気。
 こんなものか。
 小さく頷いたルッチはマレーリアの目にあった好奇心の気配が強くなったのを感じた。どうやらこの女をガチガチと評価したジャブラはまたしても経験不足を 晒したようだ。ルッチは感じはじめた嫌悪を無表情の下に隠した。もしもこの勘が当たっていたら。その類の興味の持たれ方はできれば遠慮したいのだが。

「話を聞きましょう。 リリアという娘はどこ?連れてくるところを抵抗されて殺害してしまったということかしら?」

 カリファとカクは顎を上げてマレーリアの顔を見た。
 ルッチは全身の毛が逆立つような感覚を覚え、それを歪んだ笑みで打ち消した。

「その娘は現在行方不明だとご報告しましょう」

 ルッチの肩の上でハットリが大きく羽を広げた。

2007.1.20

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