月 磨 8

「強いものだ。その強さ、どこで身につけた?」

 夕刻、少女を監禁した部屋を訪れたアイスバーグとパウリーは扉を開ける直前まで言葉を交わすこともなく、黙って歩いた。その沈黙が互いの気分の重さを表 していることをよく知っていた。傷つき、頬に涙の後を残した少女をどう扱うべきなのか。二人とも、元々女に、ましてまだ大人とは言えない少女に言葉一つの 暴力も向けたいとは思わない人間だった。
 もしも リリアがまだ食事も取らず身体を丸めていたら。
 ゆっくりと鍵を回して扉を開けたアイスバーグは一瞬驚きに目を見開き、その唇は曲線を描いた。

「・・・アイスバーグさん?」

 立ち止まったまま扉の前をふさいでいる姿に首を傾げながら脇から中を覗いたパウリーもまた、納得してニヤリと笑った。
 部屋の中央に立って2人を迎えた リリアは額にうっすらと汗を浮かべていた。長い髪をひとつに縛り、細い身体には余裕がありすぎに見える衣類を着て2人にまっすぐな視線 を向けている。

「歩いていたのか。足の具合はどうだ?」

  リリアは返事の代わりにひとつ頷いた。

「昨日泣いたカラスがなんとか・・・って言い方があったよな」

「強いものだ。その強さ、どこで身につけた?」

 少女が傷つき弱り果てていたのは間違いない。抱き上げた細い身体は震えながらも不自然な熱を帯び、抵抗しようとする腕には力がなかった。汚れた顔には涙 の筋が見え、絶望の気配を感じさせた。

「連中に放り出されたのかと思っていたが、そういうわけではなさそうだな。今見れば・・・背が伸びたか?」

 本当はもっと別の言葉を言ってしまいそうになった。輝く髪が伸び、宝石に似た瞳が眩しく、肌に艶が増し、白い首筋に女らしさの気配を感じさせるように なった。アイスバーグは湧き上がる賛美の感情を胸の奥にしまい込んだ。気力が満ちた少女が相手なら真正面から当たることができる。彼は知らなければならな かった。胸を張ってこの街で大工をやり、市長の職を続けるために。

「ンマー、座れ」

 椅子を指し示したアイスバーグの手を見ずに、 リリアは窓際まで下がって床に腰を下ろした。
 パウリーはテーブルから椅子を引き出して少女の正面に向かわせて置いた。

「素直に喋れよ。じゃないと・・・・なんつぅか、長引くのはお前も嫌だろ?じゃあ、俺は・・・・外でちょっと見張ってますんで」

 出て行くパウリーの後姿を見送り、椅子に座ったアイスバーグを見上げ、 リリアは待った。アイスバーグはその目の中に感情が揺らぐのを待った。沈黙の中の睨みあいはしばらく続き、やがてそれを破ったのは リリアの微笑だった。

「話せることはほとんどないし、多分、質問される価値があることは知らないと思う」

 アイスバーグは軽く身を乗り出した。

「じゃあ、先ずは・・・・・この街に潜入していた4人は生きているのか?」

  リリアの顔から笑みは消え、真面目な表情がアイスバーグを見返した。その唇は閉ざされていた。

「お前はあいつらの仲間なのか?」

 次の問いにも リリアは表情を変えなかった。

「連中は今、どこにいる?今この街にお前たちの仲間はいるのか?」

 やはり答えていい質問も答えをしっている質問も出ないようだ。 リリアは壁に背中を預け、身体の力を抜いた。長期戦になるならできるだけ身体を休ませた方がいい。
 アイスバーグはさらにいくつかの質問を口にした後、背もたれに深くよりかかった。

「なあ、 リリア。俺には、ブルーノの店でいつもお前は楽しそうに仕事してるように見えた。・・・あれも、演技だったのか?」

 そうではない。 リリアは首を横に振った。

「お店で仕事をしたのははじめてで、いろいろなことがあって楽しかった。掃除も何もかも真剣にやったわ」

 アイスバーグの唇に僅かではあったが微笑が浮かんだ。

「・・・そうか。そうだな。お前はいつも一生懸命だった。だからお前に惚れる男なんかも出てきたんだろう?・・・連中は一体どんな場所でどんな訓練を受け たんだ?人殺しの訓練じゃなく、その・・・・大工とかそういう別人のフリをする訓練をだ。俺は納得できない。船大工としての連中はは一人前の腕利きだっ た。仕事は早いし部下を動かすのも旨い。鳩だの何だの少々毛色は変わっていたが、船大工は元々それぞれに変わった人種だ。取ってつけたような上っ面だけな ら俺も、パウリーの目も誤魔化すことなんてできるわけがない。でも連中は・・・船大工ではなく、殺し屋なんだろう?」

  リリアは首を振りたくなるのを堪えた。
 殺し屋、ではない。殺しの許可を得ているだけで、この街に人を殺しに来たわけではないのだ。 リリアの心の中には初めてルッチに会った時の、あの雪の中の光景が浮かんだ。降りしきる雪の中にとんだ鮮血の色。しなやかにすばやく、 躊躇いなく男たちの命を奪ったルッチの姿に リリアは美しさを感じた。あれからルッチが誰かに手を下す場面を見たことは限られた回数しかないが、そういう時に事が終わった後のルッ チの身体に篭る熱と速まった鼓動を感じた。殺すという行為に対する興奮と血の滾り・・・・確かにそれがそこにはあった。けれど、その時間が過ぎるとルッチ はシャワーに入って血の匂いと痕跡を完全に消すまでは リリアをそばに近づけようとはしない。そして無表情な顔に何か微細な気配を残したまままるで自分を冷笑するかのように唇の端を上げるの だ。
 ルッチは殺し屋ではない。自分の事をそう思おうとしているかもしれないが、殺し屋の部分とそうではない部分が一つの身体の中に一緒にある。CP9という 組織に入るまでどれほどの訓練を受けてきたのかはわからないが、恐らく想像できるはずのない世界だったのだろうということはカクやカリファとの会話から推 測していた。人格を壊してしまいそうなほどの長い訓練の時間。それを越え、まだ己の中に自分というものを残す強さがあった者・・・・・それが リリアが知る今のCP9のメンバーなのだろうと思っている。

「お前が何も知らないということはあり得るとは思う。どうやら身体能力的には普通の子どもに過ぎないお前は連中とはくらべものにならないほど弱い。そんな 弱い人間に組織や任務の内情を明かすほど連中は愚かでもないだろう。だとしたら、お前は何だ?俺がずっと不思議に思っていたのは麦わらの連中からは一言も お前の名前も、お前らしい人間の話も出なかったことだ。お前は印象的な人間だ。顔をあわせていれば何人かは必ずお前のことを思い出したはずだが、俺は4人 のことしか聞かなかった。他にも何人か殺し屋の仲間はいたようだがな。お前は麦わらたちと会ったことがあるのか?」

 会ったことはない。今も手配書の写真しか知識はない。 リリアはある日突然エニエス・ロビーに戻るように言われた。一足先に帰るようにと言われ、カクが海列車まで送ってくれた。後から考えて みるとそれは麦わら海賊団がこの街に上陸してガレーラカンパニーに姿を見せた日だったらしい。彼らが上陸してニコ・ロビンがその中にいるとわかった時から 多分ルッチたちの任務は形を変えて動き出したのだ。そしてそこには リリアを必要としなかったということだ。
 ウォーターセブンに呼ばれたことの方が驚きだったのだ。ルッチと出会い、エニエス・ロビーに連れて来られてからずっと、 リリアはルッチたちの任務とは無縁の生活をしていた。ただそこにいることを許され、ルッチの身の回りのことを幾つか手伝うのを許され、 ハットリの世話をし、残る時間は他のCP9たちと過ごしたり本を読んだりしていた。 リリアにとっては穏やかな日々だった。唯一違う感じがあったのは、護身用にとナイフを与えられそれを使うことを習った時間だろうか。
 自分は恐らくアイスバーグやパウリーが想像しているのとはまったく違う平和な時間を過ごしてきた。普通とは切り離された場所で堅固な建物と強い人間たち に守られて。あるがままに生きることを許された。そんな・・・・幸運な人間だったのだ。
 蘇る記憶が溢れた リリアは目を伏せた。
 アイスバーグは腕を組み、その様子を見下ろした。

「・・・・お前のそういう印象が、俺が持ってる連中への怒りと噛みあわなくて困るんだ。闇の正義とか何とか言って歪みきっているはずの連中が一人の子ども をお前のように育ててきた。それが連中の中にある人間性を証明しているようで、なんとも居心地が悪くなる。連中は世界政府の手先に過ぎない・・・・それは よくわかっている。殺し屋になることを徹底的に身体と心に叩き込まれた哀れな存在なのかもしれん。だが、それであっても連中が俺と俺の船大工たちに与えた 傷は深すぎる」

 それはルッチたちが任務を完璧にこなしていたことを証明するだけだろうか。 リリアはアイスバーグの顔を見上げた。この街に来てから美しさを増したカリファの顔に時折見える苦悩の翳を覚えている。自分たちが手が けた船が出港していく姿を高い建物の頂上からいつまでも見送っていたカクの後姿も知っている。情報収集とはまったく関係がないと思える話でも、ブルーノは 悩み事を打ち明ける酔っ払った男たちの話を聞き、人間らしい助言を与え、時には家まで送って行った。ルッチは・・・・『脳天気』と評しながらもパウリーが 眠りこけるまで酒場でつきあい、1度は部屋に泊めるハメになったのだと苦々しげに呟いていたことがあった。
 任務を終えた今はこの街と人間のことは記憶から切り離してしまったとしても。 リリアは膝を抱えた。この街での4年間の1分1秒すべてが演技だったわけはないのだ。白か黒か、と単純に分けられるものではない。それ ぞれに己の信条や与えられた任務、生き方があり、それが交錯して衝突した結果、互いに跳ね返ってきたものがあったはずだ。
  リリアはアイスバーグを見つめ、アイスバーグはその視線を受けてゆっくりと口を開いた。

「連中を許せないと思う俺と・・・・・あの時ニコ・ロビンに『ここで死ぬべきだ』と銃を向けた俺は・・・・矛盾しているのかもしれない。連中を憎むならそ れこそ世界政府や海軍のトップから海兵の見習いに至までのすべての人間を憎まなければならないってこともわかっている。一人一人の人間にそれぞれの人生が あることも。自分が正義で連中が悪だと、子どもがやる冒険遊びのように単純に割り切れたらどれほど楽か。そうしたら俺は・・・全部を連中の責任にできる」

 アイスバーグの苦悩を見た リリアは胸の奥に痛みを感じた。そんな リリアの気持ちを読み取ったのか、アイスバーグは苦笑しそれから真っ直ぐに リリアを見た。

「・・・・生きているのか?カリファは」

 答えたいと思った。答えられたらと願った。しかし、 リリアの唇は動かなかった。
 今のこの小さな部屋の中でも確かに一つの戦いが続いているのだと、視線を合わせた2人は互いに小さく頷いた。

2007.1.21

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