「お前はなぜ、ここにいるんだろうな」
ルッチは口の中で低く呟き、長い指で
リリアの銀色の髪を浅く梳いた。
なぜ、ここに。
彼の腕の中、そして膝の上に。
身体と心に刻まれた傷をすべて預けて目を閉じている。
薬によってもたらされた眠りの初めは浅く不規則だった呼吸がいつからかひどく深く穏やかなものに変わり、時折ルッチは吐息があたる胸の小さな部分の熱さ で少女の生を確かめていた。眠りの深遠で少女は何を考えているのか。
またしても生きながらえた生を喜んでいるか。
それとも、危険に晒される日常に倦んで文句を呟いているのか。
時計の針から
リリアの眠りがちょうど5時間過ぎたことを知ったルッチは、今更ながらようやく少女の身体をベッドに寝かせる気になった。
なぜ、こんなに長い間少女を腕に抱いていたのか。
苦く冷たい笑いを唇に浮かべ、ルッチは椅子の上で静かに僅かに身体を動かした。
「・・・ごめんなさい、ルッチ・・・・」
若干熱を帯びているように見える唇から漏れた言葉を耳にして、ルッチは動きを止めた。
悔恨、後悔、反省。
まさかそんな感情が少女の胸の中に生まれていようとは。
任務に巻き込まれて負傷したお前は、言わば被害者だろうに。
恐怖はどこへ消えた。
あるはずの傷の痛みへの呻きは。
どこまで強く、そして・・・・
「・・・愚かなのだろうな、お前は」
ルッチの言葉が響くと同時に
リリアは目を開け、深い紫色の瞳が彼を見上げた。
「たくさん、眠った・・・気がする」
どうやら傷に体力のほとんどを奪われているはずの
リリアには、今ルッチの腕の中にいることに驚き羞恥する余裕はないようだ。包帯だらけの上半身を震わせ、大きく瞬いた。
「寝台の方が具合がいいだろう。眠れるだけ眠れ」
細い身体を抱きなおしてルッチがゆっくりと立ち上がると、
リリアは反射的にルッチの腕にしがみついた。
痛むのか。
ルッチの視線に少女は首を横に振った。その少女の目が、ふと、一点を向いて止まった。窓の外。宵闇が訪れはじめた町にやわらかな雪洞の灯りが満ちてい た。
「星のお祭り・・・」
島中ほとんどの店先や民家の前に1本の木が飾られていた。しなやかさと強さを備え、葉がサラサラと鳴るその木には色とりどりの紙片が吊り下げられてい た。何でもそれには人々がそれぞれの願い事を書きしたためてあるのだという。イーストブルーのどこかの島から伝えられた祭りだ。
「年に1度、と言っていたな」
ルッチは足を止め、2人はしばし外の様子を眺めた。
年に1度、今夜、ある星とある星が出会う。実際に星が動くわけではなく、この季節の空で目立つ2個について人間が勝手に話を作り上げたものであろうが。
ルッチは腕の中に視線を落とした。
いつだったか。しばらく前にこの少女を手放すかそれとも危険に晒しながらともにあるかの取捨選択について考えたことがある。その時は彼が赴くところに少 女を連れて行くことを選んだ。だが、考えてみれば、少女を手放さないままどこかへ置いておくという選択肢もあったのだ。あの青い水の街に行くまではいつも そうしていたように、エニエス・ロビーに置いたままただ旅立てばいい。或いは、どこか人間の少ない目立たない島にでも1軒家を建ててそれを居場所として与 えてもいい。そして。
「もしも顔をあわせるのが年に1度だとしたら、お前は俺を待っているか?」
リリアは驚きに瞳を見開いたままルッチの顔を見た。
その驚きは戸惑いに変わり、やがて戸惑いは小さな微笑に吸収された。
「・・・2年でも、3年でも大丈夫。邪魔になるなら、待ってる」
これが
リリアではない人間の言葉だったら・・・・もっともこういう会話を他の人間と交わす趣味は彼にはないが・・・ルッチはこれを鼻で笑った だろう。だが、これが。これを言ったのが
リリアであると。
ルッチは自分の中に迸り駆け抜けた感情を沈黙のままやりすごした。それから数度普通に呼吸をし、
リリアの瞳を見下ろした。
「・・・考えてみればそれでは何か興醒めだ。やはり、お前はこのまま存在して・・・運が尽きたら目の前で散れ」
「・・・運試しを続けていいの?」
「どこまで悪運が続くか見届けるのも面白い」
2人は互いの瞳を静かに覗き続けた。
「それに・・・・1年見ない間にお前が平凡になっていたらそれこそ馬鹿馬鹿しい」
「・・・平凡、だよ?いやになるくらい弱くて普通の人間だから」
「それでも・・・・1年1度よりは価値がある」
リリアの顔を見ながらルッチは静かに唇を塞いだ。
恥ずかしげに目を閉じた少女の瞼に隠れた鮮やかな色の記憶が瞬時に蘇った。
長く、しめやかに、ゆるやかに。
その口づけは、約束に似ていた。