a welcome, a farewell

イラスト/灯篭流し 街に入ったとき、 リリアは小さく首を傾げた。
 外れの民家からはじまり、店舗、施設・・・建物の大小に関わらず、戸口の両側或いは片側に火が焚かれている。今はまだ太陽が天頂近くにある昼間。この灯 り代わりではないらしい火は一体なんのためのものなのだろう。
 ひとつ、またひとつ。
 歩きながら眺めていると、1軒の店の前でその灯りに手をかざしているように見える人の姿があった。違う、そうではない。良く見るとその女は短くなってし まった蝋燭を新しいものに取り替えようと先に燃えていた蝋燭から火を移そうとしているのだった。女の横顔には思わず リリアの足を止めるほどの情感が溢れていた。火を見つめながら大切そうに手で囲っている様子が女の中の強い思いを伝えているようで。
 この火は、女の何を告げようとしているのだろう。

「遅れるな、 リリア

 ルッチの声に少女は文字通り飛び上がった。肩に鳩をとまらせながら歩く姿を真っ直ぐ追いかけながら、 リリアは軽い驚きの表情を浮かべていた。
 ルッチが、呼んだ。
 ただそれだけのことではあるが、それはひどく珍しいことだった。いつもならルッチは黙ったまま歩き続けて リリアを置いていく。どんな急な山坂でもそうだった。だから、 リリアは自然とルッチがいる方向を察知する勘の良さを身につけた。それでも見失ったこともある。そんな時にはいつもハットリが リリアを探しに飛んできてくれた。
 それなのに、ルッチが呼んだ。
 全力で走った リリアは勢いでルッチの背に額をぶつけ、やっと足の運びを歩みの速さに落とした。
 振り向かず、何も言わないルッチはいつもと同じで。
 安堵とともに少しだけ拍子抜けした リリアは、それでもルッチとともに歩ける幸福を胸の中に抱いた。




 それから三日、宿で過ごした。
 最初の日に気がつかなかった リリアも、2日目になると実は今回は任務ではないのだとわかった。
 ルッチは宿から一歩も外に出なかった。目覚め、シャワーの後に食事をし、新聞と本を読む。そのまま合間に昼食と夕食をとるだけで読書を続け、後はシャ ワーを浴びてからベッドに入る。
 ルッチは3日間これを繰り返した。その間、ほとんど口をきかなかった。勿論 リリアを抱くために手を伸ばしもしない。
  リリアは、ただ傍にいた。ハットリの世話をし、時々小声で会話をし、あとは自分も本を読んだ。合間にそっとルッチの姿を、表情を眺め た。時折窓の外に視線を向けるルッチの顔に浮かぶものが気になっていた。僅かではあるが今までに見たことのない何かがそこにあった。だから、 リリアは部屋を出なかった。
 ほぼ静寂に満ちた部屋の中、窓から入る街の音も入った途端にどこか薄くなるように思えた。




「行くぞ、 リリア

 4日目の夕刻、ルッチが音もなく立ち上がった。
 どこへ?
 結局 リリアの口から声は出なかった。ついて行けるだけで十分だ。
 運動不足だったらしいハットリが、ひらりと一足先に窓から飛び出した。薄闇が広がりはじめた中、ちゃんと周りの様子が見えているのだろうか。心配になっ た リリアは小走りにルッチの傍らを過ぎようとした。
 その時。
 ルッチの手が リリアの腕を捉えた。

「え?」

 振り向いて見上げたのとルッチが手を離したのが同時だった。
 ルッチは黙って リリアの視線を受け止めた。
 シルクハットを脇に抱えた背の高い姿。
 そう言えば、ルッチはこの街に入ったときから一度も帽子をかぶっていない。

「ルッチ?」

 伸びた リリアの手がルッチの袖に触れた。
 ルッチは無言のまま リリアと並び、その横を過ぎた。
 ルッチの袖を握ったまま、 リリアは半歩後ろを歩いた。

 外に出るとハットリが一声鳴いて下りてきた。ルッチの肩にやわらかく着地すると リリアを見下ろして首をクルリと回した。
 うん、いいよ、ハットリ。
 鳩が言いたいことが何となくわかった気がして リリアは頷いた。街に来てからずっと リリアの肩には来ていないハットリ。もしかしたらその気持ちはそっとルッチの袖を握っている リリアと似ているのかもしれない。
 気がつけば通りを歩く人々が向かう方向もルッチと同じ、一つの方に向いていた。これは目的地が同じということなのだろうか。つまり、目的も同じだと。普 段と変わらないルッチの歩みに半分息を切らせながら歩いていた リリアの耳に、やがて水が流れる音が聞こえてきた。心なしか周囲の足並みが速くなった気がした。

「・・・綺麗」

 やがて曲がり角の向こうに川が見え、先に着いた人々の隙間からその水面が見えた。
 流れに揺られながら寄せ集まり流れていくたくさんの灯りたち。近づくとその正体は薄い紙でできた蓋のない箱のようなようなものを筏に乗せたようなもので あることがわかった。中の灯りはやはり、蝋燭の火だった。

「・・・たくさん、流れてく」

 上流から下流へ。それから海へ。
  リリアの周囲にも手に同じものを持った人間が多くいて、それぞれに灯りをそっと川に浮かべた。
 その中で、しゃがんでいた一人の老人がゆっくりと腰を伸ばし、ふと、ルッチを見上げた。

「黒髪、黒い服、白鳩・・・・・。なあ、あんた、もしかして10年前にこの島に来た覚えはおありなさらんか?ふほほ、まあ、あの噂も本当かどうかは結局わ からんのじゃがなぁ」

 老人を一瞥したルッチは視線をまた川に戻し、何も答えなかった。老人もそれ以上は訊かず、水面に思いが篭った視線を向けた。それからまた、今度は リリアに目を向けた。

「不思議そうな顔をしてなさるなぁ、お嬢さん。あのな、わしらはこうして見るからにこの街にずぅっと住んできたような偉そうな顔をしておるが、本当は一番 長いわしやあと何人かでも10年弱といったところなんじゃよ。わしらはそれぞれに訳ありの人間がある施設にまとめられて暮らしていた者なんじゃが、10年 前、理由は知らないがこの島をもらったんじゃ。まとめて移住してきた。ここに着いた時にはひどく驚いた。家や店や学校や・・・・暮らしていくのに必要なも のは全部そっくり揃っているように見えたし、掃除もしたてのピカピカじゃ。だがな、あまりに綺麗に片付きすぎていたんじゃよ。どれも真新しいものではな かったからわしらの前に住んで使っていた人間がいるはずなのに、その気配が全くない。手入れの行き届いたゴーストタウン・・・・そんな感じを受けた。そう なるとな、ここに来る船の中でどこからか広まっていた噂がぽっかりと頭に浮かんできてな」

 老人は煙草に火をつけてゆっくり一服し、煙を吐きながらルッチを見た。

「それはこんな噂じゃった。10年前までここには今のわしらと同じようにたくさんの人間が毎日の暮らしを楽しんでいた。だが、ある事件があってそこにある 日一人の青年がどこからともなく現れた。黒い髪に黒い服、肩に一羽の白い鳩。眼光鋭く闇を切り取って作った死神のような姿のその青年はあっという間に街を 全滅させたという。考えてみればその人間たちがすべて死んだのなら噂のたちようもないんじゃがな。その青年をここに送った側の誰かが噂をしない限り は・・・・」

 ルッチの顔には何の表情も浮かばなかった。
 老人は リリアの真剣な顔に笑いかけた。

「まあ、噂は噂、真偽のほどは誰にもわからん。でも、万が一少しでも本当だったら・・・・と考えたわしらはここに来た年の夏からこうして迎え火と送り火を 焚くことにした。わしらがここに住み着いたことで前に住んでいた人間の魂が戻って来れなくなっては気の毒じゃからのう。3日間魂を迎える火を焚いて、4日 目にはその火をこうして川に流す。川は火を海に運び、そこから魂は来たところへ戻っていく。10年の間にはわしらの中からも死者は出た。いつの間にかこれ はわしらにとって大切な行事となったんじゃ」

 魂を迎え、送り出す火。
  リリアは改めて水面を眺めた。こうして見ると焔の揺らめきのひとつひとつが命を持っているように見えないか。老人はそんな リリアの様子に目を細めながら静かに場を離れ姿を消した。

 今聞いた噂に出てきた青年というのは・・・果たしてルッチなのだろうか。
 ルッチがここに来たことと関係があるのだろうか。
 任務ではなく、恐らく許されている少ない日数の休暇を使って来た小島。
 火が焚かれている間ずっと部屋の中で静寂を守っていたルッチ。孤独の影を身に纏った獣のように。

「・・・ル・・・」

 名前を呼び切ることもはばかられた。
 込み上げる思いを堪えたまま、 リリアはルッチの後ろから腕を回した。加減も遠慮も忘れ、力いっぱい抱いていた。同情ではない。ましてや共感などできるはずもない。
 ただ、できるだけ近くにいたいと願った。振りほどかれても、突き放されてもいいと思った。
 ルッチの身体の温度と心臓の鼓動を確かめたかった。

 ルッチは一瞬、身体をかたく強張らせた。
 軽く唇を噛み目を閉じ、誰にも見えないその顔に普段からは考えられないほど感情を露にしていた。
 身体に回された細い腕から伝わってくる熱。腕に込められた力は彼から見れば力とは言えないものだったが、それでも少女の真剣さと真摯さを余すことなく伝 えてくる。
 いつも、ただ傍らにいる リリア。自分はただ気まぐれでそれを許してきたのだと、いつも自分を納得させてきた。素肌を合わせているわけでもない日常の時間に リリアが彼に抱きつくなど想像もしてみなかった状況で、そして多分、 リリアはただ彼を求めたり束縛したいと言う意味でこうしているわけではないのだろう。
 わかっている。
 でも、わかっていない。
 心の中でぶつかる己に向けた冷笑と熱い感情の奔出。
 やがてルッチは溜息とともにくるりと身体を回し、抱きついている リリアを見下ろした。静かに彼を見上げた顔に流れている涙に唇を歪めながら、肩にのっているハットリを右手で包み、 リリアの頭の上にのせた。

「お前たちは・・・・揃いも揃って・・・」

 続くはずの言葉を自分でもわからなくなったルッチは静かに リリアの腕を外し、代わりに自分から強く抱いた。
 自分でも思いがけなく微笑が浮かんでしまった唇を リリアの銀色の髪にあてた。

「この島を、覚えていたか?ハットリ」

 ルッチの囁きに リリアの心が震えた。
 ハットリに問いかけながら、それは リリアの中に浮かんでいた疑問への答えでもあった。
 10年前、ここで、ルッチが。
 こんな風に答えを貰ったのは初めてだった。

「今夜は一晩中お前を抱いて、明日、朝にはここを離れる」

 言いながら リリアの髪を梳くルッチの指先はすでに愛撫をはじめているようで。
 恥ずかしくなった リリアはルッチの胸に顔を押し付けながら、素直にルッチの腕に抱き上げられた。

「逃げたくなったら言え・・・・お前に無理はさせない」

 ルッチの声のやわらかさが リリアの耳に甘く響き、自然と速くなる心臓の音が聞こえてしまわないかと恥ずかしさが増す。

「・・・好き・・・・ルッチ」

 我慢できないほど。
 いつからかはもうわからないほど。
 心の奥に閉じ込めておくことなどできないほど。
 こうして、恐らくルッチが嫌いなはずの言葉を零してしまうほど。

「・・・・言う必要も聞く必要もない言葉だが・・・今聞いたのは悪くもない。だが、もう言うな。必要ない」

 『わかっているから』と。
 軽く頬を撫ぜてすぐに通り過ぎた指が、そう リリアに言った。

 受け止めてもらえた言葉。
 拒絶し否定されはしなかった言葉。
 溢れた感情の代わりに リリアの頬を涙が落ちた。

「・・・フン」

 耳元を通り過ぎた声と入れ替わりに熱い唇が少女の頬を拭った。

2007.7.14

クスコアさんからいただいたリクエストは「普段よりヒロインに優しいルッチ」

Copyright © ゆうゆうかんかん All Rights Reserved.