a bodyguard 1

イラスト/拳銃と白薔薇 *今回の小咄の舞台は今わたしたちがいるlこの国、この 時代とは全然違うとご理解ください。どことなく似てしまってるかもしれないのですが、広い世界にはこんな場所もあるかな・・・ということで。某地域の大海 賊時代とも違います。平行して走っている可能性があるパラレルワールドのひとつとお考え下さい


 ボディガード。この言葉について本やメディアの情報から浮かぶイメージは、とにかくガードする対象の命を守るために自らの身体を張って行動する人間、 というものだった。一日中対象の人間のそばにいて勇気ある行動を示すチャンスを待っている熱血漢。このイメージは読んだり観たりしたものの影響でかなり 偏っているとは思うけど、どこかは当たっている部分があるのかもしれない。幼い頃にこの職業の存在を知った時、とんでもないと思った記憶が残っている。あ の頃のわたしは時間があれば自分の部屋で思う存分自分だけの世界を夢想していた怠惰な子どもだったし、大人たちの様子を見る限り『仕事』をしている時間さ えちゃんと表の世界に出ていれば、残った時間はこのままずっと自分だけの世界で遊んでいられるのだと信じていた。ちょっと先につい最近までの話をすると、 だから表の世界の練習のためにちゃんと学校各種にも行ったし、一般的な資格も幾つか取ってちゃんと就職した。わたしにはこの自分だけの世界にいられる時間 がこの上なく大切なのだということはこれで証明できてるんじゃないかと思う。
 その大事な時間には他人は入り込む余地はない。
 ボディガードの警護?とんでもない。
 だから、わたしは幼い頃からボディガードをそばに置かなければいけないような職業だけは持ちたくないと決めていた。首相?大臣?王族?社長?会長?と んでもない。モデルもアイドルも歌姫もダメ。とにかく他人より突出したところがある人間にはなりたくない。平均的な人間として『仲間』の中にぬくぬくと埋 もれていればいい。
 そんなわたしが突然職場の上司に呼び出されたのは、とある有名ホテルの最上階にあるラウンジだった。




「リストラ、というよりも早期退職依願制度という方が響きがいいと考えられているのはなぜなんだろうね」

 上司Nの爪はとても綺麗に手入れされている。打ち合わせのとき、それからちょっとした事務仕事を頼まれる時など、わたしの目はどうしてもその輝きに吸い 寄せられてしまう。スマート、を絵に描いたような38歳。職場の人間には無関心なわたしがスラリと年齢を思い出せるのは、昼休みに耳が拾っている数々の噂 話のおかげだ。この人には確かにムードがある。清潔感とムードを両方同時に漂わせるとはなかなか、とも思う。ぴったりと撫で付けられた金色の髪の裾が天然 のウェーブを隠しきれていないところが『いい感じ』だと言われている。仕事で必要とされる場面以外では鋭さには縁がないように見えるやわらかな眼差しも大 好評。確かに、確かに、と絵画の1枚を眺めるように鑑賞していたわたしは、自分に向けられた話題に今更のように気がついた。

「リストラ・・・ですか」

 半分だけ他人事のように呟いてみた。
 Nは少しだけわたしの表情を読むために身を乗り出した・・・気がした。

「あまり驚いた風でもないね」

「このごろ噂が増えてましたし、そういう場合その対象になることもあるかな、という生き方をしてきたので」

「自覚はあるわけだ。変わってるな、君は。やっぱりとても惜しい人材じゃないかと俺は思うよ。磨けばすぐに光りだしそうなのに全然磨く気がないみたいだ」

「・・・誤解がたくさんありそうです」

 Nは視線でわたしに断ってからタバコを咥えて火をつけた。
 吸うんだ、この人。
 初めて見た。

「君の若さじゃ退職金と名のつくものはせいぜい給料2ヵ月分がいいところだろう。来月から君はそれを頼りに面倒くさい就職活動をしなくてはならないわけ だ」

「そうなりますね」

 Nはぐっとわたしの顔を覗き込み、日頃のスマートさをちょっと置き忘れた感じの人間臭い笑みを浮かべた。

「ほんと、変わってる。文句は言わないのかな?俺の仕事の半分はそれを親身に聴くことだけど」

「そうすると取り戻せるものがありそうだったら、もしかしたらやってみたかもしれませんが。でも、もう決まったことなのでしょう?」

「決まった。君を含めた何人かには一人ずつ個人的に伝えようと思った。今夜は君で最後だ。で、最後にしたのにはちょっと理由もあって」

 Nはわたしからの質問を待っている。
 でも、わたしは疲れていた。来月といわずきっと明日から就職活動の前触れをやらなくちゃいけないってことになるのだろう。そう思うと全身脱力感でいっぱ いだった。
 そんなわたしの状態を察したのか、Nの顔に同情の微笑が浮かんだ。

「理由というのはね、提案がひとつあって。今の君にはもしかしたら悪い話じゃないかもしれない。さっきも言ったとおり・・・俺は君をとても惜しい人材だと 思ってる。これは本音だ。だから・・・それを磨いてみないかな?俺は個人的にその役割を買って出たいと思うんだが」

「・・・磨く?」

 囁くとNの顔に今夜一番のスマートな笑みが浮かんだ。それを見た途端に彼の提案の意味するところがわかり、全身の倦怠感は熱湯さながらの羞恥心に追いや られた。
 冷静になれ。Nは38歳独身。プライベートでは何も縛られるものがないらしいと噂されている。なぜ、とか勿体無い、とか何かと女の子たちの好奇心を刺激 する存在だったはずだ。だから、ちゃんと家庭を持っている・・・例えば課長Kあたりから言われるのに比べれば、何と言うことはないのかもしれない。もっと もっと極端に考えれば、これは一種の愛情表現というか告白の一種というかそういうものとも考えられ・・・・るわけない。
 何かとんでもない。
 何かとても嫌だ。
 余りに遠まわしに提案されているそれは、つまり。
 思わず首を傾げてしまったわたしの様子をNは完全に誤解したようだ。輝くばかりの笑みと艶やかな爪の光沢。こんな時に、と思いながらまたじっと見つめて しまった。

「君を磨いて一人前、というか、一流の女性にしたいんだ。何と言うか、ほら、ダイヤの原石を丁寧に磨く感じさ。大切に磨いて花開かせてみたいんだ」

 思わず唸った。
 何て恥ずかしい台詞。
 どうやったらこんな言葉をまともに口にする気になるんだろう。
 聞かされている方は驚きとか怒りを通り越してやたらと恥ずかしいというのに。
 お願いです。頼むから、もう・・・

「黙ってるのはいい返事、と解釈してもいいのかな。俺に全部任せてくれるね?」

 うわぁ、もう駄目。限界だ。このままあっという間に手を握られてしまいそう。
 足の長いスツールから飛び降りるようにして立った。そう言えば夜景をちゃんと眺めてなかったな、と思った。うん、とても人工的で無機質に美しかった。

「明日、必要な書類なんかを貰いに・・・・ええと、総務に行けばいいですね?」

 目を丸くする、というのはまさしく今のNの表情を言うためにある言葉だったし、呆けて口を半開き、というのも目の前のこれだと思う。

「よく理解できていないのかもしれないが・・・」

「いえ、多分理解できてると思います。ええと、わたしはこれまで日常生活では中性的な人間としてやってきたしその方が楽だと思うんです。何ていうか、そう いうことには余り向いていないし」

「向き不向きがわかるほど経験があるのかな?」

 Nの顔に面白がるような気配が浮かんだ。
 あ、この人は思っていたよりも面白い人だったのかも。わたしも多分同じような視線を返した。

「ないです。でも、向いていないというのはわかります。随分早くにその烙印を押されたし、自分の中に興味も湧きませんでした」

「変わってるな、本当に。君に今夜のことは誰にも言わないで欲しいと頼んだら、ちょっと図々しいと思うかい?」

「誰にも言えません、こんなこと。家族もいませんし、安心して大丈夫です。明日いっぱいで会社からも消えます」

「いや、社の規定通り、辞めるのはすぐじゃなくて一ヶ月先でいいんだ。その間、できるだけ次の仕事探しに時間を割けるようにするつもりだ。紹介できる場所 を探しもする」

 わたしは首を横に振った。

「Nさんと顔を合わせるたびに困ってしまう気がするんです。そういうの、お互いくすぐったいでしょう?残る一ヶ月を自分や周りの人がカウントダウンしたり されるのもあまり・・・。だから、明日でいいです。明日がいいです」

 Nは力ない笑いを含んだ溜息をついた。

「いろんな意味で本当に惜しい人だよ、多分、君は。今頃わかっても遅いんだけどね。そうやって、ずっと自分のペースを守って生きていくつもり?」

「子どもの頃から一人が好きなので」

 最上階から一気に下るエレベーターの中で、不意に脱力した。
 あっという間に失業してしまった。
 2ヶ月分の給料は退職金として貰えそうだし貯金がないわけでもないから今すぐ飢えて死ぬことにはならないけれど。だけど、どうする?大好きな自分の世界 を守るためには、このままではいられない。
 真夜中までまだ少し時間があるただの夜。平和で贅沢な空気を詰め込まれたホテルを出ると、仕事帰りやプライベートな時間を楽しむ人たちがそれぞれの速さ で歩いていた。
 同じなのにな。多分、昨夜だってその前だって、それに明日だってここに来ればこんな光景を見ることができるんだろう。なのに今目の前に見えているすべて は何だかとても大切なもののように思えた。大切にしたい、羨ましいもの。失業って変な感じ。歩き方までフワフワ頼りなくなってる気がする。
 こんな精神状態だったから、きっとわたし、相当おかしかったんじゃないかと思う。頭の中は色々考えているつもりな分空っぽで、見ているつもりで前なんか 全然見ないで歩いていたんだろう。だから。
 何が起きたのか、一瞬わからなかった。
 横断歩道を渡ろうと思ったのは、信号を見たというよりも音を聞いたから。
 1歩、2歩踏み出した時。
 気がついたら突然車が目の前に突っ込んで来ていて、目を瞑る暇もなかった。
 事故になるんだ、これから。もしかしたら死ぬのかな。そう思った時、わたしの身体は人の腕に抱えられていた。一度だけ地面を蹴るような音が聞こえた。自 分に向かって突っ込んできた車の屋根を見下ろすような錯覚。そして気がつけば、わたしの身体は横断歩道を渡った向かい側にいた。正確には、まだ誰かの腕の 中に。まるで荷物のように小脇に抱えられて。
 失業から死まで一気に下るはずだった流れを止めた人。
 そっと見上げるとその人の横顔が見えた。
 少し癖のある黒い髪が肩の辺りまで垂れている。
 走り抜けた車を追っているらしい視線が怖いくらい鋭い。
 独特な形に髭を刈り込んで整えてある形の良い顎。
 あとはコートから靴まで黒づくめのその人は、わたしの体の重さなんて少しも感じていない顔でただ立っていた。

「・・・残念ながら契約成立、というわけだ」

 呟かれた言葉はわたしに向けられたものではなさそうだったので、黙っていた。
 正直、まだ胸の鼓動が速く、力強い腕から抜け出したいとは思えなかった。すっかり心も身体も自分を見失っていた。
 なのに、わたしの視線に気がついたらしいその人は、今度も荷物のようにわたしを舗道に放り出した。ちゃんと立てなくて無様に尻餅をついた。
 それでもまずお礼を言わなくては。
 口を開けたのに何故か声が出なくて焦りを感じた時、何かがその人の肩から宙に舞い上がった。

「くるっぽー」

 見間違いではなかった。それは1羽の真っ白な鳩だった。その瞬間に連想したのはステージの上のマジックの1場面。その人の真っ黒な衣類と謎めいた空気も その連想の原因だったかもしれない。

「・・・あの・・・あの、ありがとうございました」

 やっと言葉を搾り出すとお返しに短い一瞥を貰い、その鋭さに気持ちが震えた。

「仕事の内だ・・・礼などいらん」

 深みのある声が言った言葉はやはりわたしには謎めいていた。

「・・・仕事?」

 その人は手を伸ばして指先に鳩をとまらせた。

「お前を警護するのが今の俺の仕事だ。ボディーガードと言えば理解できるか?」

 理解はすぐにできた・・・言葉の意味だけは。でも内容に納得できる部分はひとつもなかった。
 首相、大臣、国王、その他・・・今のわたしはその中のどれにあたるというのだろう。確かについさっき、わたしは命拾いをした・・・んだと思う。だけど、 この人はいつ、どこから現れたのか。契約っていうのは一体誰と?

「帰るぞ。さっさと立て。今のお前に人目について得はないぞ」

 尻餅をついたまま舗道に座り込んでいたわたしに男は背を向けた。
 うん。何となく幼い頃から想像していたボディガードとはかなり違う感じだ。

「ぽっぽー」

 飼い主がごく無愛想な分、鳩の身振りがとても雄弁だった。鳩はどう見ても羽ばたきながら早く、早くとわたしに合図を送っていた。

2008.12.8

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