a bodyguard 2

イラスト/拳銃と白薔薇 ええと。
 立ち上がると自然と手が服についているかもしれない埃をはらった。
 これを見ていた鳩が、よしよしという感じに頷いた・・・ように見えた。
 ・・・それともまだ気持ちが落ち着いていないからなのかな。まるで自分だけの世界に半分戻ってしまったような気分だった。現実からふわりと離れて自由な 感じ。いつもはこの状態を精神的幽体離脱と呼んでいる。
 黒一色の後姿は靴音とともに数歩分離れていた。
 帰るぞ・・・あの人、さっき、そう言ったよね?歩いていけば地下鉄の駅がある。そこからわたしの部屋に帰るってことだよね?・・・一緒に?
 思わず身震いしてしまっていた。急に現実に引っ張り戻された。いや、まだボディガードという言葉がまったく現実的な色になっていないので少しもピンとは 来ていないけれど。でも、このまま、流れのままにあの人と一緒に部屋に戻る気はしない。大切にしてきたわたしの世界。あの部屋はその入り口。わたしの他に 1歩でも入ったことがある人はいない。

「あなたは誰?」

 気がつくと両足を軽く開いて踏ん張るようにして立っていた。振り向いたこの人の視線に耐えるにはそれくらいの構えが必要だった。一切感情らしいものを見 せない瞳。それなのになぜかわたしの中身を一瞬で覗かれてしまうような気がする瞳だ。

「名前がいるか?お前はTX・・・社内ではその通称で通っていたはずだ。俺にはそれで十分だが。職を失くした今はいずれ仮の番号が振られるだろうが、役所 に出向くのは急ぐ必要はない。少なくとも1週間は部屋から出るな。生きて次の番号を貰いたかったらな」

 TX。わたしはこの通称を実は結構気に入っていた。ティラノサウルス・レックスと呼ばれる大型で迫力満点な恐竜がいるのだけど、それの最初と最後の文字 をとったTXなのだと想像していた。そうか、会社を辞めるとなるとこの2文字ともお別れなんだ。わたしのことをこの2文字で呼んだことがある人は、もしか したら今後顔を合わせることがあったらまた呼んでくれるのかもしれないけれど。

「ごめんなさい、突然名前を尋ねるような質問をしてしまって。あなたの文字か番号でいいの。知らないと落ち着かないから」

 男は返事をしなかった。すると、鳩が男の肩の上で一度大きく羽ばたき、首を回して男の顔を覗いた・・・ように見えた。

「・・・ZZZだ。面倒だから一文字でいい。お前が俺の組織に行くことはまずないだろうからな」

 『ズィー・ズィー・ズィー』と聞こえた発音はとてもぶっきら棒に口から零れた。あんまり自分の通称が好きじゃないのかもしれない。確かに何となく意味あ りげに思えてしまう文字の並びだ。

「じゃあ、Z?」

「そういうことだ。突っ立ってないでさっさと歩け。あの車、引き返して来ないとも限らん」

 ・・・え?
 さっきの車・・・ぶつかりかけたあの車は・・・つまり、わざとだというの?
 わたしがフラフラ呆けて歩いていたのが原因なんじゃないの?
 Zの口から流れ出る言葉はどれも現実までかなり遠い気がした。突然こんなことがあり得るのだろうか。失業の方がまだ現実的だ。
 Zの目が鋭さを増した。見えないほど素早く彼はわたしの手首を掴み、遠慮ないスピードで歩き出した。どこかへ『連行』されるってこんな感じだろうか。掴 まれた手首の痛みがまたフラフラしかかるわたしの頭を現実にとどめてくれた。

「あの・・・Z?」

 何だ、と問い返す代わりにZは2分の1秒だけ足を止めた。
 再び半分引きずれらながら、わたしは必死で問いかけた。

「あなたを雇った人はどんな人?どうしてわたしに・・・ボディガードなの?」

 Zがほんの小さな溜息をついた。

「お前は何も知らないのか。思い当たることはひとつもないか?」

「・・・ない」

 キッパリと答えてしまった。

「自覚がないわけだ。呆れるほどに」

 Zはホームに入ってきた地下鉄にスタスタと乗り込んだ・・・勿論わたしを引きずりながら。鳩は、と思って探すといつのまにかZのコートの懐に潜り込んで いる。何と言うか、とても世慣れた鳩だ。感心した。

「今ここで話すような内容じゃない。部屋に着くまで静かにしてろ」

 ええと。小さな疑問が頭をもたげた。ボディガードってこんな風に愛想がなくて冷ややかな話し方をする人ばかりなんだろうか。想像してたのとはこれまた全 然違う。もっともっと礼儀正しすぎるくらいの四角張った感じを想像していた。
 なぜか、そんなに不快ではなかったけれど。Zの存在そのものがまだ現実離れしているからかもしれない。
 困ったな。このままだと本当にわたしの部屋までまっしぐらだ。
 わたしはまだ、ただ呆然としてるだけ。失業して車に轢かれかけて生まれて初めて本物のボディガードを見た。それだけ。

2008.12.9

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