四季 1

 女の目に関心も好奇心も、その他ほんの些細な揺らぎも現れなかった。見えはしなかったが感じたもの。それは「敵意」に似ている気がして、肌の表面がそれに対して僅かに反応した。
 珍しい。どう見ても短すぎる漆黒の断髪。その気になればさぞかし感情を豊かに表現できそうなくせに極めて無表情な大きな目。色白というよりは血色の薄い肌。細い首から薄い肩、さらにそこから繋がるボディラインは少年のものといっても十分通用するだろう。今は磨き抜かれた木製の机に隠されて上半身しか見えてはいないが。化粧気皆無の顔の中で唯一、通っている血のおかげで色づいている唇。その両端はまっすぐに結ばれ、やはり意味を隠しているようだ。
 身に着けている衣類にも性別を感じさせるものは皆無。シンプルなラインの純白のシャツの縦に並んだボタンは喉もとまでかけられ、一部の肌も見せていない。装飾物を排除した姿のおかげで傍らに立つ秘書らしい男の姿が妙に引き立って見えるのが可笑しい。

「やっぱりうちと一緒にやる気にはならねェか?シン。おやじさんには随分世話になった。そろそろ恩返しのチャンスをくれねェか」

 市長といえば街の名士の代表と言える。しかし、その名士である年上の男の言葉を聞いても女の表情は動かなかった。

「仕事はありがたく請けさせていただく。それだけで十分。今日も、これからも」

 シンというのが女の名前のようだが、これもまた性別を判別しずらい響きだ。どこまでこれが徹底しているのか。思いがけず小さな好奇心を持たされてしまい、男は内心苦笑した。そう、女は声も低かった。音量も高さも抑えて完璧にコントロールされている。別の状況で出会ったならどこかの組織に属する同業者ではないかと疑いをもっただろう。
 今も現役としてトップの腕を持つ船大工であり町一番の造船会社の社長であり、さらには新米市長である「上司」と、数人の職人を抱えた町工場と呼んだほうがふさわしいごく小さな会社の女社長。2人の関係の中に任務に関する情報が隠されている可能性を探る・・・それが男の目的だった。まさに少年と呼びたくなる姿のこの女は実際は男より2歳年上だとデータは言う。本当だろうか、と男は笑いたくなる。このガチガチに己を隠し、己の人生を細い一本道に定めているらしい頑なな女に、どれほどの人生経験があるというのか。覗くだけの価値ははたしてあるのか。

「ンマー、何かあったらいつでも声をかけてくれ。俺でできることならドンと請け負うからな。でな、シン、これがうちの新しい職長の1人、ロブ・ルッチだ。まだちょっと若いがいい仕事をする。肩にのっかってる鳩も含めてよろしくな。パウリーじゃお前には騒がしすぎるだろうし、これからはカリファが急がしい時、このルッチに連絡をまかせようと思う」

 改めて男を見た女の目にはやはり変化はなかった。探ることもせず、探らせもしない。この視線を潔いというべきか、頑固さを笑うべきか。
 しかし、女の視線が男の肩の小さな姿に向いた時、大きな瞳に幽かな疑問の色が過ぎって消えたように見えた。そういうことなら、今回も男の相棒は大いに役立つかもしれない。彼はいつもこの相棒にはそこら辺の海兵100人よりはるかに価値があると考えている。特に人間を見極めるその直感には侮れないものがある。
 男は肩の上の相棒が小さく首をかしげる気配を感じた。
 まだ見えないのか、お前にも。
 男はほんの僅か、口角を上げた。

『俺はハットリだ。よろしく頼むっポー』

 男の腹話術に鳩はいつもの通りぴたりと人間らしい仕草を合わせた。
 どうだ。
 男は揺るがない女の目の光を見て取り、同時に傍らに立つ男の方にはその顔に動揺と不審、軽い侮蔑の色…予想通りの反応を見とめた。
 珍しい・・・ということは、もしかしたら面白い。積極的に興味を持つ気はないが、この女の存在は記憶の片隅にしまっておいても悪くはないかもしれない。
 女は視線を数センチ上げ、男は視線を数センチ下げた。出会ったというよりはかすったその視線の刹那、通ったものはやはり何もなかった。



「船大工ロブ・ルッチよりも無口な女、か?珍しいタイプじゃのう。ならばあれか、目や表情でものを言うタイプ。それはそれで面白そうじゃが」

『いや、扉を全部閉め切った女だ。中に家具調度の類があるのか、空き家なのかも見えない』

 ”空き家”のところで首を傾げて羽を小さく動かした鳩の姿に、カクは彼の大きな特徴である丸い目をくるりと動かし、笑った。

「ご苦労さんじゃのう、ハットリ。さて、わしは良き同僚としてパウリーのやつの飲みっぷりを褒めてから釘を刺してこようかの。このパーティ、まだお開きまで時間がある。ハットリを少しばかり休ませてやっといたらどうじゃ?」

「フン」

 ルッチは気配を消した滑らかな動きでテラスに滑り出た。空の月が雲の奥に隠れている今、テラスは格好の休憩場所になるはずだった。しかし、1歩踏み出した瞬間に感じた人の気配に、ルッチは眉をひそめさらに影の中に溶け込んだ。

「男嫌い、てのは単なるポーズなんだろう?そんななりをして見せて、面白いか?それとも、女が好きか。そんな噂も聞かないけどな」

 明らかに嘲笑めいた男の声と、一見体を寄せ合っているような2つの影。しかしよく見ると、背の高い影がもうひとつのほっそりした姿を無理やりその太い腕で捕らえているのだとわかる。
 それから数語続いたくだらない侮蔑に対する声は聞こえず、ただ身を振りほどこうと動く気配が空気を揺らした。
 男の声が笑った。

「もっと利口にふるまえよ、シン。お前が赤っ恥をかいたあの有名な日のことから何から俺は大抵の事は知ってるが、その俺がお前を口説いてやってるんだぞ?ウォーターセブン名物のガチガチ氷女を見事おとして溶かしたら勝ちだ。賭けに勝たせてくれたら少しは分け前もやるし、まあ、ちっとはその細っこい身体の方にもいい思いをさせてやれるかもしれねぇぜ?」

「…くだらない」

 呟いた低い女の声は、ルッチには聞き覚えがあった。なるほど、と冷笑する。聞こえた短い言葉には男に対する反感と敵意が溢れ、それは初めて感じたシンという女の感情の動きだった。
 ”正義の男”らしく女を助けに割り込むのは簡単だ。それが切っ掛けで安易で安っぽい縁と付き合いが生まれる可能性もないとは言えない。
 しかし、ルッチは動かなかった。壁に背を預けて弛緩し、ただ眺め続けた。
 細い体はもがくのを止めた。

「なんだ、賢く降参、か?」

 男の声に笑みが混ざったその時、パンっという小さな爆発音が響き、男の身体が細い身体を突き飛ばすようにして離れた。

「何しやがる…お前、正気か?こんなことぐらいで…」

 呻きながらさらに数歩離れた姿に向かって細い姿は静かに1歩、踏み出した。

「やめろ、来るな!俺に近寄るなシン!」

 男がふらふらと、やがて小走りに動き出した時、雲間から月が現れた。
 左手で右腕を抱きしめるようにして走る男の腕から滴り落ちる鮮血。
 流れてきた硝煙の匂い。
 ルッチの姿に気がついて焦りと希望の色を浮かべた男の顔。
 対照的に感情を消したまま玩具のような銃を、身につけたシンプルな黒いスーツのポケットにしまった無表情な女。
 すべてを見て取ったルッチの冷笑は僅かに大きくなった。

「お前、ガレーラの船大工だな。見ただろう?あの馬鹿女、銃で撃ちやがった。こんな場所で。狂ってやがる」

 ルッチは無言のまま男を眺めた。
 やがて男の頬に差した朱は怒りのものか、それとも羞恥の色か。男はまだよろめきながら室内に姿を消した。それと同時に中から喧騒が沸き起こった。
 シンはまだ熱を帯びている銃の形をポケットの上からなぞった。それから、顔を上げて歩き出した。

『逃げも隠れもしないというわけだ。正当防衛だと言うつもりなら、俺の証言が必要になるかもしれないな』

 足を止めたシンはルッチを見上げた。その瞳に揺れる感情の正体を隠したまま。

「誰にも、何も、言うことなどない。見世物になる気もない。ただ、あの筋肉に勝つために撃った。それだけだ」

 再び歩き出したシンの前をルッチの手が静かに遮った。

『正々堂々もいいが、そこから帰ったら騒ぎが大きくなるばかりだと思うが。下ろしてやろうか?テラスの下に』

 その時シンの顔に浮かんだのは確かに笑みだった。その顔はその夜、数度、ルッチの記憶の中で小さく瞬いた。極めて冷ややかで誰に向けたのか分からない微笑。

「今更、だ」

 すれ違ったときに聞こえた呟きはすぐに夜に吸い込まれた。そして、その姿はそのまま真っ直ぐに進んだ。1度も振り返ることなく、姿勢のよい頭と身体を左右に揺らすことさえなかったかもしれない。

『ポッポー』

 やわらかく鳴いたハットリが傾げた丸い頭がルッチの頬に当たった。

「確かに、想像の余地がある女だとは言える」

 囁いたルッチは壁にもたれ直し、ようやく確保できた休憩場所でハットリを宙に飛ばせた。

2009.9.20

書いてみたくなった年上ヒロイン+ウォーターセブンのお話でリハビリ開始。
こんなに趣味文を書かずに過ごしたのははじめてかもしれません。
2ヶ月ぶりの更新になるんですね。
いろいろあるのが人生だとわかっていても、時々そのいろいろに戸惑う。
そんな感じの2ヶ月でした

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