四季 2

 ウォーターセブンの夏は祭りの季節だ。それは過去にこの街が経験してきた冬の季節の記憶を一気に吹き飛ばすためのものかもしれないし、或いは目には見えない速度で大海に沈んでいくこの街に刻まれる一刻一刻の時を最大限楽しむための知恵なのかもしれない。
 その流れは年中活気に溢れているこの造船会社、ガレーラ・カンパニーにも当たり前のように影響する。広い敷地の一角が市民に開放される夏祭。ズラリと並ぶ出店も夜のメインイベントとなる打ち上げ花火も、そのすべてをカンパニーの職人が交代で行う夏一番の名物祭。
 ルッチは鋸を引く手を止め、切り出した透明な氷と瞬く間に解けていくその白い削りカスを眺めた。この氷をさらに砕いたものをマシンに放り込んでハンドルを回すと、氷は一気に積もった残雪に似た外観に化ける。そこに極めて怪しく毒々しいシロップを注ぐと「かき氷」という一品が出来上がる。シロップの色と味は数種類あるのだが、恐ろしく甘いその味わいは暗殺のための毒を仕込むのに最適なほどだ。そして、それが不思議なほど人気がある。氷の塊をボックスに仕舞い終えて顔を上げれば、台の向こうに並んだ列から鬱陶しいほど期待に満ちた視線を投げかけられる。
 こんなもののどこがいい。
 ルッチは意識の半分以上を場内の観察に向けながら、機械的にハンドルを回し、適量のシロップを注ぎ続けた。
 祭りのためにどこからか調達された巨大なトランポリンの上で、子どもたちを指導しながら宙に浮かぶカク。
 大げさな動きで何種類かのロープアクションを披露しているパウリー。
 ただ突っ立って髪の寝癖を直しているだけなのに、いつの間にかその周りに人だかりを作っているルル。
 リングの上で組み手を組んでは相手を高々と持ち上げたり、時にはコロリと負けてやっているタイルストン。
 煙と匂いに取り巻かれながら焼き物の屋台を一手に引き受けているブルーノ。
 お祭り男も訳ありな人間も盛り上がり一色に見える光景に、ルッチは唇を薄く歪めた。
 その時、先にルッチの鼻腔に届いたのは清潔感と微量の甘さを含んだ香りで、その「秘書用の」香りに続いてカリファが向かってくるのが見えた。もちろん、その半歩先にはアイスバーグの姿があった。

「美味そうだなァ、ルッチ。見た目、涼しそうだし、なかなかいいぞ」

 何がだ。
 掴みどころのないこの男に対する軽い苛立ちと好奇心を隠したまま形ばかりの敬意をこめて小さく会釈したルッチは、カリファの身近な意味ありげな微笑を黙殺した。
 ルッチが差し出した深紅のシロップをかけたかき氷を受け取ったアイスバーグは、礼儀正しくそれを先にカリファに渡した。それからもうひとつ受け取り、濃い色の唇をさらに染めながらスプーンを口に運ぶ。その様子を笑顔の市民たちが遠巻きに見守る。
 「人望」を絵に描いたような男。
 ルッチは久しぶりに手ごたえのあるターゲットに視線を向けながら、ふと思い出した。この人気者の市長と言葉を交わしながら、笑顔どころか感情をひとつも見せなかった女。背丈は2倍近く、体重ならほとんど3倍はありそうな男向かって躊躇いなく小型の銃を撃った女。やはりあの女は珍しい部類に入るらしい。
 と、まるで空気がシンクロしたように、間の距離を静かに詰めたアイスバーグが口を開いた。

「なァ、ルッチ。噂が小耳に入ったんだが、お前、夕べ、シンに何があったか知ってるか?お前が確かな証人だと言いながら噂を広めてる野郎がいるみてェなんだが」

 あの「筋肉」か。ルッチは黙って話の続きを待った。

シンを訴えるとかなんとか、どうやらとにかく今夜あたり、俺が直接話を聞くことになりそうだ。どうせならシンも呼んで両方の言い分を聞こうかとも思うんだが。野郎の方は怪我をしてるってことらしいが、あの華奢な娘が何をどうしたもんだかな。俺はちょっと狐につままれた気分だぞ」

 アイスバーグの目にあの女はどう映っているのだろう。ルッチは好奇心を覚えた。もう少し女のことを知るのも悪くないかもしれない。後で利用価値がでないとも限らない。

『直接話を聞かれるのがいいと思いますが。よければ同席して、必要が生じたら口を挟みましょう』

 アイスバーグは見るからにホッとした様子で口角を上げた。

「そうしてもらえると有難い。じゃあ、2人が揃ったらカリファを寄越すからな。ああ、その時はかき氷を2つ、持ってきてやってくれ。野郎は食わないかもしれねェが…ンマー、シンは食べるかもしれない。今は滅多に賑やかな場所には姿を見せないが、もっと前にはなァ…」

 アイスバーグは口を閉じ、頭を振りながら場を離れていった。あの男の目にあの女はどう映っているのだろう。ルッチは再び同じことを思った。伝説の船大工チームの中でただ1人今もこの街に生存している人望高い新米市長。その慎重さを切り崩す小さな楔となり得るだろうか、あの女は。
 面白い。
 その時、ルッチの中に、小さな真の好奇心が生まれた。




 先を歩くカリファに従うルッチの左右の手にはガラスの器に盛られたかき氷がのっていた。
 政府の殺し屋にしては随分としまらない図だ。
 応接室に入ると、そこにはすでにあの「筋肉」がいた。どうやらすでにアイスバーグに向かって一席ぶった後らしい。腕組みをした市長の眉間に見え隠れする小さな皺がその証拠だ。

「やっと来たな、ロブ・ルッチ。言ってくれよ、市長さんに。あんた、見てただろ?夕べ。あいつが突然俺に向かって…」

 男の声は尻すぼみに宙に吸い込まれた。

「…仕事の話ではなかったんだな」

 いつの間にかルッチの記憶に残っていた声が背後から低く響いた。

「帰っていいな?」

 シンの声には確認するというよりも宣言したに近い響きがあった。僅かに顔が動いたことを示す揺れる真っ黒な断髪。室内の誰も特別に映してはいない瞳。夏だというのに長袖・スタンドカラーの純白のシャツに黒いスラックス。きっちりと紐を縛った皮製のスニーカー。
 今夜もポケットかスラックスの裾の中にでもあの銃を潜ませているのだろうか。
 ルッチは軽く1歩身体を引き、傍観者の位置についた。

「ンマー、待ってくれ、シン。夕べあったらしい騒ぎについてお前からも話を聞きたい。まあ、まずは座ってかき氷でも食ってくれ。ルッチの手製だ。溶けたら勿体ねェ」
 シンは一瞥でそれを拒絶した。普段が無表情だと些細な視線の動きが随分と雄弁になるものだ。ルッチはごく小さく口角を上げた。

『ポッポー。ポー?』

 その時、ハットリが自分で行動した。ルッチの肩から舞い上がり、シンの顔の前で羽ばたきながらルッチの手にあるかき氷の皿を指し示す。

『ポー?』

 鳩の柔らかな鳴き声を聞いたシンの顔に、一瞬、何かが浮かんで消えたようにも見えた。錯覚だったかもしれないが。シンの白い手はゆっくりと動いてハットリを追いやった。

「…いらない。特に話すこともない。わたしはその男を撃った。それだけだ」

「だがなァ、シン、撃っただけ、じゃすまねェのはお前もわかるだろう。撃つには理由があったはずだな?」

 アイスバーグは手を差し出してシンをソファに誘ったが、細い姿は1歩も動かなかった。

「俺はそこの不感症女にちょっと話しかけただけだ。そしたらそいつが突然撃った。おかげで俺は全治2ヶ月の大怪我だ。これは黙って済ませられることじゃねェ。そうだろ?」

「いや、だが、シンが理由もなくそんな…」
 
 言いかけたアイスバーグを女の声が遮った。

「順番で言えばその通りだ。認める。ということで、もう帰っていいな?」

 感情を見せずに淡々と言葉を口にする女。
 困惑に包まれたアイスバーグ。
 己の有利の気配を感じ取ってニヤニヤ笑いを堪えようともしない筋肉男。
 ルッチは内心諦めのため息をつき、傍観をやめた。

『全治2ヶ月。そう言ったっポー?』

「あ、ああ、そうだ。それがどうかした。」

 油断と隙だらけの男にはルッチの意図は読めず、その行動を避けることも当然無理だった。
 男が気がついた時には包帯を巻いた左腕を捻り上げられ、慌てて振り向いた先にはハットリを肩にのせたルッチの姿があった。
 カキ氷は。呆けた視線で男はいつの間にか目の前のテーブルに置かれた大半が液体となった二つの皿を見つけ、それからようやく自分が置かれた状況に気がついた。

「ま、待て!俺の傷に触るな…」

 もがく暇もなく男の腕の包帯がほどかれ、傷にあてていたガーゼが剥がされた。

『多少の出血をしてはいたが、所詮は薄皮とその下の肉を少しかすめたかすり傷だ…っポー』

「…なるほどなァ。せいぜい瘡蓋がはがれてきれいになるまで1週間ってとこだな。いいぞ、ルッチ。放してやれ。ンマー、あんたはどうして事を大げさにしたいのか説明してくれるだろうな?これは1歩間違うとセクハラだと思うが」

「セ、セクハラ?」

 ルッチが慌てて声が裏返った男の腕を放したとき、シンの姿は廊下に消えていた。

シン!…ったくあいつは。すまない、ルッチ。送ってやってくれ」

 その必要はあるだろうか。少なくとも女が歓迎するとは思えない。
 ルッチが廊下に出たとき、女の姿はもう見えなかった。

『ポッポー。』

 舞い上がったハットリが一足早く外に出た。宙を滑っていく白い姿を追って出たルッチの耳に、空気を震わせる低音が響いた。
 打ち上げ花火。
 空に開いた華やかな光の下、シンは小さく振り向き、自分の肩に止まった鳩に何か短い言葉を囁いた。ルッチの目も耳もそれを捉えることはできなかった。

「ついて来なくていい。すぐそこにブルをとめてある」

 シンはルッチには背を向けたまま言った。
 色とりどりの光の下、確かに懸命に首を伸ばしてニー、ニーと鳴くヤガラの姿が水路に見えた。
 人間より動物が得意か。
 ハットリがまだ戻る途中だったため、この問いは声にならずに終わった。

「どうとでも考えればいい」

 声にならなかった言葉を受け止めたようにシンは囁き、歩き出した。
 ルッチに後を追う気はなかった。
 一応、細い姿がブルに乗り込むのを見届けた。
 ニー、ニーと大歓迎するヤガラたちに特に声をかける様子なく、ブルは動き出した。
 面白い。
 ルッチは肩にとまったハットリが名残惜しげに羽を振る様子を眺めた。

「お前の基準には合格したか」

『ポー!』

 胸を張る姿は真剣そのものだ。
 仕掛けるよりも偶然に任せるのが良策か。そして時間を掛ける方が。
 水路を進む影は水しぶきを上げて曲がって行った。
 立て続けにあがった花火の明かりがルッチの横顔を照らし出した。

2009.9.20

地味が好き。
ハットリとヤガラが好き。
W7は祭りが似合いますね。
ついつい今年は書き損なった「夏」を。

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