白い石畳の1枚1枚が降り注ぐ太陽の光を乱反射していた。
昼下がり、海岸近くのその街にはのんびりと旨い昼食を楽しもうという大人たちやギリギリになってしまった買い物を急ぐ大人たちが溢れていた。カフェの店 先に並べられたテーブルの上には冷やされていたグラスが運ばれ美しい赤の液体が気前よく注がれる。この街の名物であるこの果実酒は凍る直前くらいが一番飲 み頃とされている。
「あ」
小さな声とともに石畳の表面に何かがぶつかって擦れるような音がした。
振り向いた大人たちの目に入ったのはオレンジ色の髪の幼い子ども。陽気な太陽に逆らうように長袖のシャツに身を包んだ姿。けれど短いズボンから足がむき 出しになっていた。
真っ白で平らな石の上に紅の雫が浮かび上がった。最初のひとつ、そして少し間をおいたふたつ目は最初のものよりも小さめだった。
「あらあら、大丈夫?」
擦りむいた膝小僧を見つめている子どもにひとりの女が駆け寄った。手を差し伸べる様子や声の調子からこれまでにきっと自分の子どもでこういう場面を何回 も経験しているのだろうと察しがつく。
しかし、今回は女にとって初めての経験になった。
傷ついた膝の持ち主は顔を上げて女を見たが、その瞳にはすがるような表情は勿論何の感情も見つけることができなかったのだ。むしろ、これがもし大人が浮 かべた表情だったならそれは恐らく『拒絶』と呼ばれたかもしれないと思えるようなもので。そして・・・驚いたことにその子どもは次の瞬間にこれ以上はない というくらいの笑顔を見せた。瞳だけはなにも映さないままで。
女は足を止めて1歩退いた。
女のスカートが揺れた。
風が吹いたように見えたが、揺れたのはその豊かで明るい色の生地だけだった。
「あ・・・」
しゃがんでいる子どもの前にいつのまにかもうひとり少年が立っていた。
少し長めの黒い髪に白い肌。おそらくオレンジ色の髪の少年より何歳かだけ年上だろう。色違いに見える長袖のシャツと短いズボンを身につけているのに雰囲 気ががらりと違う少年だった。
「あのね、その子、転んじゃったみたいで・・・」
女は口ごもった。黒髪の少年が彼女をちらりと一瞥したあとはすぐに背を向けてしまったので。
そして女は見た。
しゃがんでいた少年の無表情だった瞳に光が射した。口元が一度に綻んで感情がこもった愛らしい笑みが溢れた。
「ルッチ、さがしてくれたのか」
「・・・血が出てるな」
ああ、と傷口に触れたのか先が赤く染まった指を何気なく口へ持っていこうとした幼い手を黒髪の少年は静かに止めた。
「何してる、カク」
それでも表情を崩さないルッチに向かってカクはまた大きく微笑んだ。
「あれににてるじゃろ?うまいかもしれん」
移動したカクの視線の先には濃厚で冷たい酒が満たされたグラスがあった。
「おまえにはまだはやい」
差し出された小さな手にさらに小さな手が重なった。
「なあ、ルッチ」
2人の子どもは手をつないだまま海岸に向かって歩いていた。
「なんだ」
「このあいだ、ミリーのやつがあたまに花をつけてたじゃろ?それからリーダーにもつけようとしたとかでなんだかえらくおしおきされとった。あれはなんで じゃ?」
数日前に施設からいなくなった子どものことだった。
1年に何人か施設を出て行く子どもがいる。それが実は『出された』のだということをルッチは知っていた。もう2度と戻ることは出来ずどこに行ったのかわ からない。明るい場所へ行ったのか、それとも先が見えないほど暗いところへ行ったのか。
「心がこわれたからなおしに行ったんだ」
「心ってなんじゃ?わしやルッチにもあるのか?」
見上げるカクの大きな瞳をルッチは黙って見返した。空の青が映って輝くようなその瞳。
当たり前の子どもより何年も先を歩いているはずのルッチだったが、その彼が離れる気持ちになれないのがいつのまにか彼のそばにいたカクだった。
自分とはちがう幼い姿の中に見え隠れする透明で危ういもの・・・それがカクの心だと感じていた。
でも、それを言葉にすることはできなかった。
ただ、できるだけカクにいろいろなものを見せてやろうと思った。壊れている部分を、最初から失くしてしまったものを埋めるために。
「心はあると思えばあるしそうじゃなければなくなる」
カクは首を傾げた。
「じゃあ、ルッチにはあるのか?」
「めんどうだけどな」
「それなら、わしもあることにしよう!」
カクは嬉しそうに笑った。
2人の互いの手を握る力がほんの少し強くなった。
「なあ、ルッチ。わしはおまえがあたまに花をつけたらきっときれいじゃと思うぞ」
「やめておけ」
のんびりと進む2人の耳に波の音が聞こえはじめた。