片手で軽々と

碧空・白い雲の写真 最初にあいつに会ったのはもう誰も乗ることがない船が打ち捨てられている橋の下の倉庫前、廃船島。俺が知る一番偉大で懐が広い船大工がいた小さな会社、ト ムズ ワーカーズのひと部屋だった。

「なんだ、手下は子ども1人かよ。おっさん、船大工って言ってたけどちゃんと腕前あんのか?」

 ギョロ目でやせっぽちで晴れた日の海を切り取ったような水色の頭をしたそのガキは、ドアを開けて入ってくるなりそう言った。やたらと癇に障る甲高い声 で。
 ンマー。トムさんをつかまえて何て言い草だ。

「さっき下で拾ってきたこれからドンと一緒に暮らす仲間だ。よろしくな」

 トムさんは笑ったけど俺は笑えなかった。ボロボロの汚れた全身。鼻水垂らしてるくせに目だけはガンガンこっちに視線をぶつけてくる。
 こういうガキは苦手だ。
 すぐにわかった。



「ちょっと待てよ!」

 あの甲高い声がまた俺を止めた。

「ンマー!なんだよ、さっきから。ちっとも仕事にならないじゃねぇか」

 振り向くとやっぱりあいつが立っていた。小さな身体の仁王立ち。

「それ、貸せ」

 フランキーは俺の肩の上を指さした。

「馬鹿言え。お前には無理だ。この丸太は結構重いんだぞ」

 さっきはノコギリだった。少し離れたところから俺の手元を見ていたこいつは、突然ノコギリを貸せと言った。職人の道具は玩具じゃねぇ、そう言ったが聞か ずに無理矢理奪い取り、思ったとおりすぐに板の途中で動かせなくなっちまった。
 そして今度はこれだ。

「いいから貸せよ!」

 ムキになって歯をガチガチさせるフランキー。俺は断るのも面倒になって丸太をあいつの目の前に置いた。

「よし・・・・・」

 太い丸太を抱え込んで腰を落とす姿はなんとも頼りなかった。馬鹿だな。無理に決まってる。だってそいつは・・・・・

「くそ!くそ!なんで持ち上がらねぇんだ!このバカ丸太!」

 悪態のつき方だけは一人前ってやつだ。

「俺だって・・・・俺だって・・・・・」

 ムキになって全身で力んでみても結果は知れていた。
 ・・・・たく、この馬鹿は。

「お前、手袋はめてねぇじゃねえかよ、フランキー」

 フランキーは丸い目をさらに丸くして俺の顔を見た。

「なんだよ、それ」

「なんだって・・・・・お前、自分の手を見てみろ」

 フランキーは丸太から離した両手を広げた。思ったとおり、血の色が何箇所か見えた。

「うわ、なんだこりゃ!痛ぇ!」

「こいつは切り出されて運ばれてきたばかりの丸太なんだよ。表面の皮が思いっきりささくれ立ってんのが見えねぇか。それを力いっぱい素手で引っ掴みやがっ て。船大工になりたいなら木の性質くらい覚えろよ」

 フランキーはそのまま自分の手の平を見ながら立っていた。
 細い体が震えはじめ、そのうち手をトゲだらけのまま握りこむ。
 泣くほど痛いのか。やっぱりガキだ。
 そう思った。

「この野郎〜〜〜〜!」

 突然フランキーが殴りかかってきた時、俺は完全に不意打ちをくらった気分だった。
 だから、気がついたら手加減なしに1発お見舞いしていた。
 フランキーは頬を押さえて地面に座り込んでいた。

「くそ〜〜〜〜!なんでだよ!お前だってまだ子どもなのに!俺とたいして変わらないのに!」

 悔しがって地面を殴るあいつの目に涙があった。
 負けず嫌いのフランキー。
 突然俺たちの目の前に現れてなんだかんだと引っかき回す小悪党。

「子どもだから何歳かの年の違いがドンと出ちまうもんなんだ。そいつは仕方ねぇってもんさ」

 俺たちの頭の上から大きな影が被さってきた。
 トムさん。世界一の船大工。俺の先生だ。

「でも俺はいつだってちゃんと生きてきたんだ」

 そうだ。捨てられても放り出されてもこいつはトムさんという身も心もでけぇ人に自分から拾われた。それで十分じゃねぇか。
 バカンキー。

「たっはっは。お前もアイスバーグも自分でできるだけちゃんとやってる。大体な、この大きさの丸太をアイスバーグが1人で運べるようになったのはほんの ちょっと前のことだ。お前は知らねぇだろうがな。だから、アイスバーグにはお前の気持ちもちゃんと伝わってるってことだ」

 そう言うとトムさんはまた笑った。
 そして俺たちの間に転がっている問題の丸太をヒョイと片手で軽々と持ち上げた。

「ついでだ。ドンと運んどくぞ」

「片手で・・・・」

 フランキーはまた目を丸くしてトムさんの後姿を見つめた。達者な口を半開きにして。

「いつか・・・・」

 俺の口から言葉が漏れた。でも続きは言わなかった。俺の目もトムさんの大きな背中を見ていた。

「・・・そのいつかってやつは、ぜってー俺が先だからな!」

 憎たらしい口がまた叩きやがった。
 これから2人であの大きな背中を見て、大きな笑い声を聞いて。
 こいつはどこまでついてくるんだろう。どこまで一緒に行くんだろう。
 顔をしかめながらトゲを抜くフランキーの顔はおかしなくらい幼くて、でもちっとも可愛気はなかった。

2005.11.21

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