真昼間。自宅から少し離れたコンビニエンス・ストアの前を通りかかった
ゆりかは自転車の集団を見た。思い思いに自転車を止めてスティックアイスやドリンクを楽しんでいる集団。
珍しい、と思った。
一見、中学生か高校生か迷う雰囲気の制服姿の男子の中に、知った顔を見つけたのだ。
ゆりかの近所に住む・・・・実際、一番近い、番地は1番違いの隣人なのだが・・・・その高校生は春に進学したばかりで、まだ入学する前 から大好きな野球に専念している様子だった。だから、
ゆりか自身の生活パターンの変化もあってその姿を見かけることは最近ずっとなかったのだ。
3歳年下の隣りの男の子。
ゆりかはひとつ溜息をつきながら荷物を小脇に抱えなおした。そして、見つからないように静かに早足でコンビニの前を通り抜けた。
こんなこと、誰が予想する?
大き目の本屋に寄るために普段より一駅早く降りたら商店街ではくじ引きをやっていて、シリーズ10冊の文庫本を買ったら抽選券を1枚貰い、ちょうど ティッシュを使い果たしたところだからちょうどいいと思いながら抽選場所に行ったら3等賞が当たり、その商品が無洗米10キロだったりしてしまうなど。
午前中の講義の分のテキスト・・・・ちなみに、この春から大学生になった
ゆりかは1年目ということで基礎教養の講義をびっしり取らなければならず、午前中だけの今日も鞄は結構な重さがある。
買ったばかりの10冊の本。
派手な拍手喝采と共にポンと渡された一袋の米。
どうやって身体の左右のバランスを取るか悩みつつ試行錯誤しながら
ゆりかはとにかく歩いていた。時々ふらついてしまうのは履き慣れない高さの細いヒールのせいに違いなく、このすべてが自分が撒いた種な のだからとにかく歯を食いしばっていた。
速く、進まなければ。
気持ちだけは500メートルも先へ行っているだろうか。
ゆりかは見つかりたくなかった。
米と荷物を抱えてフラフラ歩いている女子大生の姿など見せたくない。恥ずかしいとかそういう可愛らしい気持ちとは少し違う。とにかく、とにかく、見られ たくない。
焦る気持ちに無理をした足が、ふと小石を踏んだ。途端に変な感じに足首がくねり、ボキッという嫌な音と感触があった。
・・・・骨はこんな簡単に折れたりしないだろうし、痛みもこんな中途半端なものではないだろう。
瞬時に一応冷静に判断して己の足を見下ろした
ゆりかは、99パーセント折れ剥がれ、無様に数ミリだけ靴の底と繋がって転がっているヒールを見た。
ええと。
状況への理解は役に立たなかった。
このまま歩いていくのは無理だとわかっているが、荷物を抱えたこの状態で何ができる?
とにかく、今の状態の第一の原因はこの米の袋だ。
ゆりかは八つ当たりしたい気持ちを抑えながら重い袋を地面に下ろそうとした。
「・・・・・お前、何やってんの」
驚きに身体が弾んだ表紙に手から袋が離れた。それが地面に着く前に器用に掴んで持ち上げた手から視線を伝わせた
ゆりかは、自分を見下ろして首を傾げているその高校生の姿を黙って見上げた。
大体。いつからか越されてしまい、そこから差が開くばかりのこの身長差が苦手だった。
さして重くもなさそうに10キロの袋を持っているその様子も苦手なものに数えることにしよう。
それから。
「・・・隆也」
ぽつりと名を呼ぶと、その高校生・・・阿部隆也は
ゆりかの足を見下ろして納得の表情を浮かべた。
「そんな慣れねぇ靴、履いてるから。ほら、荷物、全部寄こせ」
大丈夫だから、とはとても言えない状況に
ゆりかは無言で抵抗した。
隆也は眉を小さく顰めた。
「早くしろ。あいつら、来ちまうだろ」
つまり、隆也は
ゆりかの姿を見つけてあの楽しそうな集団から抜けて来たということなのだろう。
「おい・・・
ゆりか!」
そしてつまり、隆也は
ゆりかと一緒にいるところを仲間たち・・・・多分野球の・・・・に見られたくないのだ。
相変わらず感情表現が下手ですぐに声を荒げる隆也。
ゆりかは思わず小さく笑った。
「何だよ」
訝し気にさらに眉を顰める隆也の顔。
「ううん。本当はホッとしたのかな。このままだと家に着くまでにまだ何かあるかも、と思えてたから」
隆也は米の袋をサドルにのせ、大きなバッグは後ろにのせた。それから自転車が手を離してもちゃんと立っていられることを確認し、
ゆりかの方に向き直った。
「ちょっと・・・裸足になれ」
「裸足?」
「いいから、急げって」
ストッキング越しのアスファルトの感触は熱いのにどこか冷ややかでひどく不思議だった。
「ええと・・・・・隆也?」
隆也は
ゆりかが履いていたパンプスを片方ずつ手に取り、ポキンパキンと綺麗にヒールを折り取った。
こんなに簡単に折れるものなのだろうか、ヒールというのは。
それとも、隆也の手がいつの間にかとても力をつけていたということか。
ほら、という視線に促されて地面に並べられた靴に足を入れた
ゆりかは、これまでとは比べ物にならない安定感を感じ、素直に感動した。
「すごい。これなら走れそう」
「走らなくていい。・・・・ほら、行くぞ」
自転車を押しながら早足で歩き出した隆也に1歩遅れて
ゆりかはついて歩いた。
「顔合わせるの、久しぶりだよね、そう言えば。高校、楽しい?」
「・・・・自分は卒業しましたって言い方、するな」
「そんな風に言ってないよ?・・・・怒ってる?もしかして」
「・・・怒ってねぇ」
一気に手ぶらで身軽になった開放感とともに感じたくすぐったさは何だろう。
ゆりかは大きく1歩踏み出して隆也の横顔を見上げた。
「さっきコンビニで見かけたみんなで野球、やってるんだよね。何か、みんないい顔してた。まだ肌が白い子もいたけど、きっとこれから同じ色に焼けるんだ ね」
吹き抜けた風が
ゆりかの髪の甘い香りを隆也の鼻腔まで運んだ。
シャンプーだ、とすぐにわかった。
コロンや香水とは違う、
ゆりかが高校生の頃から気に入って使い続けている清潔な香り。
ちょっと無理をして履いていたらしい大人びた高いヒールも今はなく、パタパタと軽い足音が聞こえてくる。
なんだ。
隆也の顔に小さな笑みが浮かんで消えた。
変わったふりして、そうでもない。こうしてさらに見下ろせるようになった分、追いついている。確実に。
「・・・・なにか、追い抜きたくなった」
ゆりかが早足になった。
「誰の荷物だと思ってんだよ」
隆也の呟きに今度は
ゆりかが微笑した。
それでもやっぱり言わないね・・・・お前が持て、とかそういう風には。
面倒臭そうな顔だけはたくさん見せるくせに、隆也は結局はいつも最後まで人の面倒を見る。見てしまう。そんなところは小さな子どもの頃からちっとも変 わっていない。
ゆりかがまた足を速め、すぐに隆也が追いついて。
2人はそれでも走らなかった。
あくまでも歩く・・・・それがルールなのだと無言のうちに了解しあっていた。
「空が青いね〜」
「関係あるのか、今」
パタパタと2つの足音が重なりながら道を行く。
日に日に強くなり始めた日差しが、季節の移ろいを告げていた。