夢絵


 目を閉じていると温かな空気がそっと頬を撫ぜて過ぎていく。
いま自分が横たわっているこの場所が、どこであるのか忘れているような錯覚。
 そういう時、人は記憶の中にちりばめられた美しい断片を、そっとまとめて一枚の絵画にしあげて満足することがある。淡い色で仕上げた心の奥の1枚・・・・・・。


 遠くで聞こえる波の音はいつしか彼の心を揺さぶりはじめ・・・・
 目を開けた途端、茶色のくせっ毛が目に飛び込んできた。
「フロド様、起きてください。もう準備もできましたし、お客さんだっておそろいですよ」
 ・・・・誰?この声を今ここで聞けるはずはない・・・・。
「・・・・おまえなのか、サム?」
「ほら、茸のシチューもいい具合にしあがっているし、さましてしまったらみんなが怒ります」
 ・・・・兎、は入っていないのだろうな。なぜかそんなことを考えてしまう。
 でもなぜ自分はこの懐かしい一人のホビットと向き合っているのだろう。いつのときも彼を癒してくれたこの・・・・・・。
 彼は言われるままにベッドから離れ、着替えをして広間に出て行った。

「おそいですぞ、偉大なるホビット殿!ビルボ殿はとうに席につかれたというのに」
「・・・・ギムリ・・・・?」
 大きなジョッキを前において彼に笑いかける豪胆なドワーフ。ひげの三つ編みが懐かしい。

「誕生日というのはなんだかあまり・・・しっくりしないですね。時はわれらの上を通り過ぎていくようだ」
 緑と茶の衣服に身を包んだ金色の髪の美しい青年。
「レゴラス・・?」
 本当はこの「青年」は彼から見れば気が遠くなるほど年をとっているはずなのだけど。その笑顔は記憶にあるとおりどこか飄々としているようで、何かを超えているような。

「小さい人に栄光あれ!」
 良く響く声と輝くような笑顔。
「ボロミア・・・・・?」
 胸の奥がひそかに痛む。どこか辛い記憶が彼の心をつついている。
 でもこの大きな人の笑顔を見ていると痛みは自然と遠のいていく・・・・。

「この時ばかりは剣はいらないだろう。お二人に心からの祝福を」
 落ち着いた物腰と静かであるが力のある声。でも、この人は一国の王になったはずではなかったか・・・・・。
「アラゴルン!」
 国王であるはずの大きな人はその身分とはまったく合わない衣服に身を包んでいた。荒野を彷徨ったあとのように傷んだ服。けれどその姿は王様の身分を忘れさせ、なんだか彼を安心させてくれる。

「なんだなんだ、起きてきちゃったんですか。とっととはじめて、あなたの分の茸もこの胃袋におさめてあげようと思ったのに」
「まったくだ!おわびに極上のワインをあけてもらおう!」
 懐かしい二人。でもあの不思議なほど伸びていた背丈はどこへいったのだろう。
「メリー、ピピン・・・・・」
 今の二人は一緒に飲んで騒いだあの頃と同じ姿で、その表情に光る機知と喜びの色も同じだ。

「みな、本当に変わらぬな。まこと、ホビットとは驚くべき種族じゃ」
 灰色の髪をした背の高い老人。銀のマフラーに長いパイプ、後ろの棚に置かれた青いとんがり帽子は・・・
「ガンダルフ!」
 慈愛と叡智に満ちた表情の中にいらずらっぽさが垣間見える深い瞳。灰色の賢者。色が元に戻っているのが不思議だ・・・・。

「私のフロド、さあ、並んですわろうじゃないか」
「ビルボ・・・・・。でも一体なぜ・・・・・」
「ずっと忘れていた誕生日の祝いだよ、フロド。もう、ずっとずっと忘れていた、な・・・・」
 大切な大切な彼の養父。近い記憶にある姿よりも肌の色艶が戻り、皺も浅く、彼を差し招く手の動きも軽い。その瞳だけはいつも変わらず陽気で澄んだ色を浮かべている。
 その姿がうれしくてたまらない気持ちになり、彼は速い足の運びで示された席に進んだ。

「さあ、グラスをおとりください」
 彼を起こしてくれたあの声が肩越しに降りてきて、透明なグラスを美しい色で満たしてくれる。
「ああ、ありがとう、サム・・・・・・。さあ、おまえもここに座って」
 いつも彼を信じてまっすぐに見ていてくれた茶色の瞳が、誠実な言葉をのせてきた唇が、驚くほど正直なその顔全体がうれしそうな笑みにくしゃっとくずれる。

(ああ・・・・・・)

 乾杯の音頭ともにグラスをあげながら、彼はふぅっと息を吐き出した。
 自分はこれを望んでいたんだ。光の中で皆とひと時笑いあうこと。許しもいらず、請われることもない。闇の記憶ははるか彼方だ。
「ねえ、サム、お前にね、ずっと言いたかったことが・・・・・・・」


 目を開けたとき、まだ空気は温かかった。
 なにかとてもうれしくて大切なものを見たような気がした。ここの時の流れがあまりにゆるく穏やかで、記憶を辿るのが難しい。
 けれど、彼は心満たされていた。
 唇に浮かぶ微笑は、光あふれるこの場所に来る前の、遠い遠い記憶の向こうで彼のものだった微笑に似ていた。
2003.9.22

お誕生日おめでとう、フロド、ビルボ!!!

現実ではかなうことがなかった指輪の仲間たちで祝う9月22日
本当の夢物語ですが、書いてしまいました<

一番悩んだのはサムの話し言葉です
「フロドの旦那」「〜ですだ」を最初は使ってみました
でも頭の中のこのお話の光景は原作と映画の両方の
登場人物たちが自分の中でまざっているものです
なので、こういう感じにしました