気がつくと舌に唇の表面がざらざらとあたっていた。
 恐らく口を半開きにして呼吸していたのだろう。喉の奥が焼けた。

「眠ってたのか・・・」

 呟いた声はかすれ、自分のものではない気がした。

(俺はなんでこんな時に)

 サムワイズの瞳が不意に潤んだのは発熱した身体の状態のせい・・・だけだっただろうか。

(明日はあなたとビルボ様の誕生日なのに)

 顔の半分まで掛布を引き上げてサムワイズは身体を丸めた。ホビットの標準からすると決して小さくはないその身体が熱く火照りながら縮んでしまったような気がした。
 目を閉じたサムワイズの唇は一直線に引き結ばれていたがやがてまどろみのなかに引きこまれるにつれて少しずつ綻びていった。



 そういえば、同じようなことがありましたね。
 あなたはいつも熱の出はじめは何でもない顔をなさってかえってはしゃがれるけど、俺にはなぜかすぐにわかりました。俺を見るあなたの瞳がなんだかいつもとちょっとだけ感じが違って、ほっぺたの辺りに赤みが増して。そして笑いながら言うんです・・・『どうしたんだい、サム?』って。いたずらっこみたいな顔で、きっと最後まで俺に隠そうと思ってたんでしょうけれど、だめですよ、フロド様。最初っからわかってしまってるんですから。
 散々はしゃいだあと夜になるとあなたは静かに言うんです、『おやすみ、サム』。俺はどうしようもなくておやすみなさいの挨拶をしてから丸い戸口をくぐるけど、坂の途中で決まって思い直してそっと、できるだけ静かに戻るのでした。足音を殺してお屋敷に入り音を立てないように水と薬湯を準備して。十分なだけの時間が過ぎたなと思ってから、俺はそっとあなたの部屋のドアを開けました。
 寝台の上のあなたの頬は蝋燭の灯りの下でもとても赤くて、口からこぼれる息がとても荒くて。そっと額に手をのっけるとびっくりするくらい熱くて。そしてあなたは俺の手を冷たいと思うんでしょう、ちょっとだけ身震いして目を開けます。

『サム・・・戻ってきたのかい?僕は大丈夫なのに・・・また隠せなかったのかな』

『どうしていつも隠そうとするんです、フロド様。俺にはわかっちまうって知ってなさるのに』

 フロド様は不思議な顔で俺を見てそれから笑う・・・

『おまえに心配させたくない・・・・って思ってるからだと言えばそうなんだけど。でも、もしかしたら逆なのかな。おまえが気づいて戻ってくるのを確かめたいからかもしれないね。どうせ熱が上がるのは夜にきまってるから』

 じゃあ。もしも俺が戻らないままで家に帰ってしまったら。
 あなたはそれでも朝になって顔を出す俺におんなじように笑ってくださるでしょう。俺が戻らなかったことへの気持ちは全部上手に隠して。
 俺はほっとして、何だかひとつやり遂げたような気分になって持ってた盆を差し出します。『苦そうだね』ってあなたが顔をしかめるところを見るために。俺がお護りしてさしあげられることを伝えるために。それが俺の役目だから。俺の誇りだから。
 なのにその俺が。



 サムワイズは目を閉じたまま身をよじり、寝返りを打った。関節が痛むと同時に気だるい身体がいとわしかった。いつだって丈夫だったはずの彼がなぜよりにもよって、という思いが遣る瀬無く溢れて心を占める。

(フロド様・・・)

 その時、サムワイズは自分の額に触れるひんやりとしたものを感じた。それは確かに色白な、彼が良く知っているあの手であるように思えた。その感触は彼が目を開けたときには失せていた。それでも彼の目には涙が浮かんだ。そして同時に唇はやわらかな曲線を描く。

(俺は大丈夫ですよ、フロド様)

 束の間のあの手が熱を吸い取ってくれたのかもしれない。サムワイズは眠る前よりもすっきりとした頭を枕の上で動かした。

(明日はちゃんとあの木のところに行きますから)

 なくなってしまったお誕生日パーティの木のかわりに彼がそう決めている1本のマルローン樹。身体の向きを変えて窓を見ると緑の枝葉の間から細い月が見えた。今頃あの木は清浄な月明かりの下で神秘的な美しさで輝いているだろうか。もしかしたらその木の根元にほっそりとした姿がいらずらっぽい笑みを浮かべて立っているかもしれない。
 ほんの少し身体を起こしたサムワイズの鼻腔にかすかな甘い香りが流れ込んだ。焼き上がりが近いことを知らせるケーキの香り。いつもロージーが焼き立てよりも一晩寝かせた方が美味しいと言っている丸いケーキだ。香りと同時に隣室のにぎやかな気配も伝わってきた。多分、ケーキの匂いに誘惑された子どもたちが一口だけとねだっているに違いない。そしてロージーはそれを見越してきっと2つ、ケーキを焼いている。

(あなたも大好きでしたよね、フロド様。明日、ちゃんと持って行きますね)

 再び枕に頭を沈めたサムワイズは満足そうなため息とともに目を閉じた。
 もしかしたらもう一度。
 彼の口元には子どものような微笑が浮かんでいた。


2005.9.21

明日がフロドとビルボのお誕生日なのに・・・・・!
風邪をひいている自分の気持ちをサムに託しました
ぶっつけ本番一気書き
これからまたベッドに戻ります
フロド、ビルボ、ちょっと早いけどお誕生日おめでとう!