発 見 3

 入れ物が成長をやめると中身も成熟への道を歩む事をやめるのか。大人になるということは言葉や視線を平気で受け止め時によってはね返す強さを得る事ではな いのか。己の中に膝を抱えて小屋の片隅に身を押し付けている少女の姿をいつまで見出し続ければよいのか。その幼い姿を見るたびに強く叫びたい衝動に襲われ る。立て、逃げろ、先へ進め。けれど衝動を堪えて振り向いた己の目に映るこれまでに歩んできた道らしいものはなく、視線を180度回転させても前方に見え てくる道はない。
 ならば。身体を小さく丸めている少女に心のすべてを任せてしまっても同じことなのかもしれない。過去も未来も、そこに何も感じることができないのなら。
 それでも。心に刻まれた場面を手で写し取っていく時、流れ続ける血の温度を感じることができる気がした。

「ずっと・・・お前を探していた。超越した者よ」

 瞼を持ち上げる直前に聞こえた男の声は記憶の中の一場面を引き出した。確かさっきまで描いていたはずの場面。破れてしまった部分にあったはずの第三の存 在。目を開けたレイニアは自分を見下ろしている男の顔に見覚えがないことを確認した。細い顎のライン、感情の高ぶりに震える薄い唇、闇を切り取ったような 黒い瞳。ただ、肩の線に達したまっすぐな髪が・・・規則正しい幅で銀と黒を交互に重ねたその色彩が記憶の扉を開く。

「その・・・背中の羽は何」

 少女の金色の瞳は男の身体を見た。くたびれた灰色のスーツに包まれた細身の身体は手足がひょろひょろと長めに見える。その他にはこれといった特徴はな く、もちろん、少女の方に身体を向けた状態の今、背中の様子が見えるわけはない。しかし、男は慌てたように上半身を覆う上着を確かめるように視線を走らせ た。

「見えるのか、これが。それが超越者の能力か」

 瞳を覗きこむように顔を近づけてくる男から逃れようと身じろぎしようとしたレイニアはその時初めて拘束された自分の身体の状況に気がついた。背中にあた る固い感触から身体を寝かされているのがテーブルか何か台のようなものであることがわかる。手首と足首はほとんど動かないように束縛されている。

「・・・欲しいのは心臓か?」

 問いかけられた男の顔が歪んだ。

「それは後だ。・・・不老不死を得る方法をわたしは二つ聞いている。超越者の心臓を喰らうこと、超越者との姦淫・・・どちらも超越者の仮の姿がそのように 幼い少女であることはわたしには幸いだ。欲するままに得る事ができる」

「・・・強姦と殺人が楽しいとでも言うのか」

 言葉を吐き捨てるように呟くレイニアの顔に男が手を伸ばした。頬に触れた手のひんやりとした感触に思わず閉じた目をすぐに開き、力が入った唇を引き結 ぶ。震えてはならない。恐怖を悟られてはいけない。この男の目に映る『超越者』を演じるほど胸を切り裂かれて心臓を摘出されるまでの時間をかせぐことがで きるだろう。
 男の手がレイニアの喉元に触れ、次の瞬間に上衣が左右に破り開かれた。食い入るように見つめている男の視線の先はその下に心臓があるはずの波打つ左胸だ ろうか。無意識の涙が一筋、レイニアの両眼から流れた。恐怖と屈辱がないまぜになった心の内に薄暗い帳が揺れる。いっそたけり叫び、命乞いの哀願をし、身 体の上を這う男の手に歯を立てることを狙おうか。どれだけ時間をかせいでも行きつく先が死であるなら、激情に身を任せて抵抗し暴力でねじ伏せられる方が血 の流れが速い分無用なことを考えずに最期を迎えることができるかもしれない。

「わたしが・・・何一つ超越していない・・・ただの奇病に冒された子どもだったらどうする・・・」

 己の行為の手順を迷うように首を傾げながら白い胸に存在する幼い頂点を指先で摘む男の顔に逡巡の色が浮かんだ。その間も小刻みに刺激を加え続ける指の動 きに唇を噛み更なる涙を落とした少女の顔を見つめる男の口はやがて半開きになり中の舌の動きをはっきりと見せた。

「・・どうでもいい・・・やるだけのことをやるまでだ・・・思ったよりも楽しめそうだしな」

 嫌悪に激しく身をよじるレイニアの身体を押さえつけた男はゆっくりと体を倒して唇にそれまで指先で弄んでいた部分を含んだ。
 己の歯で傷ついた少女の唇から血が零れた。全身を冷たく満たす無力感と恐怖、煮えたぎるような怒りはレイニアの身体と心が少女だからゆえのものなのか、 それとも女だから・・・。限界まで頭部を引き起こして男に頭突きを喰らわせたレイニアはその反動と一緒に強打された左頬に受けた衝撃で一瞬意識が遠のい た。

「・・・の・・・・め・・・」

 途切れがちに耳に流れ込んでくる男の罵りは空気をどす黒く染め、揺らめく視界の中で振り上げられた男の手がまるでスローモーションのようにゆっくりと打 ち下ろされてくるのが見えた。『化け物』。はっきり耳に届いた言葉の響きにレイニアの唇が自嘲の笑みを浮かべた。どうせ化け物ならこんな風に捕らえられる ための弱体ではなく、鋭い爪と牙で敵手の喉を掻き切ることができるくらいの身体に生まれたかったと願った。
 その時。
 見えていた男の手が一発の轟音とともに吹き飛ばされて視界から消えた。温かいものが上から降り注ぎ、反射的に目を閉じたレイニアは男の悲鳴に紛れかけた 低くて抑揚のない声を聞き分けた。

「そのまま目を閉じていることを推奨する、レイニア・スレイア。さもないと血液が目に入る。暫時そのままの状態を保て」

 その声を受け止めた時から震えはじめた身体を、溢れはじめた涙をレイニアは止めることが出来なかった。
 鈍い音と立て続けにあがった絶叫の後、騒音は止んだ。コツコツという靴音が近づいてレイニアの顔に何かが触れた。布の感触とその中にある手の動き。両頬 を包み込むようにして拭うその手は決して乱暴ではなく、優しくもなかった。そしていつの間にかレイニアの身体の震えも涙も自然と止まっていた。

「もう目を開けてもいい。拘束状態を解除する。損害評価報告を、レイニア・スレイア」

 鈍い音とともに両手足を開放されたレイニアはゆっくりと目を開けた。

「・・・トレス」

 半ば放心状態で呟く少女の顔と横たわった身体にトレスはちらりと視線を走らせた。殴打されたことが一目でわかる少女の左頬には血が滲み、上衣は破かれは だけられて白い胸元が露出している。それを見たトレスの顔には何の感情も表れなかった。

「起きることができるか」

 差し出されたトレスの手には白い手袋がはめられており、部分的に血の色に染まっていた。レイニアが右手を動かすとトレスの手が先回りをするようにそれを 迎えに行き、掴んで引き起こした。片腕がふらつく身体を支え、少女の傷ついた頬が黒い僧衣にあたった。

「あ・・・トレス!」

 レイニアが声を上げると同時にトレスの片腕が滑らかに上がり、獣的な唸り声とともに立ち上がって飛び掛ろうとした男の膝を銀色の銃から発射された弾が打 ち抜いた。反動で身体を回転させた男の背中が不自然に盛り上がって動いた。

「何・・・」

 瞳を見開いたレイニアの前で男の背中を覆っていた衣類が縦に裂けた。そこから白い翼のようなものが顔を出したと思うまもなく、その翼は男の背を離れて浮 いた。

「あの翼は・・・・」

 翼は羽ばたいて宙に登り、翼がはがれた後に残された生々しい穴の中から黒い物体が次々と飛び出しはじめた。

「虫・・・・・!」

「常駐戦術モードを殲滅戦モードで起動。戦闘開始。」

 トレスの瞳が赤く光り、2人を狙うように飛来する白と黒の的に向けてトレスの銃が立て続けに火を吹いた。やがて、羽も虫も銃弾に粉砕され、身体中から流 血する男の後ろ姿が床に崩れ落ちた。

「戦域確保。敵性体0。常駐戦術モードを・・」

 その先を続けようとしたトレスは自分の左腕の中に視線を落とした。戦闘場面のすべてを見つめていた少女が初めて気がついたように破られた衣類を胸元で掻 き合わせ唇を噛みしめて、傷ついた顔を隠すようにトレスの僧衣に埋めた。

「・・・卿の行動は理解不能だ」

 ほんの僅かな間をおいて発声されたトレスの言葉に反応した少女の身体はすばやく彼から離れた。自分の言葉を少女が『拒絶』という意味で受け取った事をこ の機械化歩兵は理解したのだろうか。

「ごめんなさい。・・・服に血がついてしまったかもしれない」

「否定。謝る必要はない。戦闘の結果に血痕はあって不思議なものではない。問題は卿の流した血液の方だ。場所を変更して迅速に処置する必要がある」

 トレスの腕が少女を抱き上げた。

「・・・歩ける。このくらい何でもない」

 慌てて腕を押し戻そうとした少女の力は通じず、トレスは少女を抱えたまま耳元を指先で弾いた。

「否定。卿は裸足のまま誘拐された。そのままの状態での歩行は推奨できない」

「・・・つまり、どっち・・・・。ああ、もう、今はいい。今は・・・」

 レイニアは身体の力を抜いてトレスの腕に身を任せるとそのまま自然な流れのように頭をそっとトレスの胸につけた。

「・・・卿の発言は意図が不明だ。再入力を」

 またほんの少しの間を置いてトレスは口を開いた。

「・・・それよりもさっきの男があの絵の中の三人目だっていう話の方がわかりやすいんじゃない?」

「肯定。遺体を収容し、卿の治療の後で詳細な情報提供を要求する」

「了解」

 少女が目をつぶった時、上空で何か大きなものが近づく重々しい音が響きはじめた。その音を聴き慣れないはずの少女は黙って目をつぶったままだった。それ を確認した後、僧衣をまとった機械化歩兵は片足でドアを蹴破って外に出て行った。

2005.9.7

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