時 漂

イラスト/時計 その日、何度目かに唇を開きかけてまた閉じた少女の気配を感じた"教授”の口に咥えたパイプがゆるく動いた。これはさながら心の奥底に秘めておこうと思い ながらこみ上げるものをこらえている乙女の告白の衝動を見守る悠然たる人生経験豊富な一人の紳士。そんな空想を楽しんでしまう。それが証拠に、普段彼らの 同僚である機械化歩兵の修理を手伝うときには最初から最後まで彼に注がれている少女の視線が今日は己に向けられている割合が長いではないか。そう言えば無 感情な顔の機械化歩兵もそれを感じているのか、いつもは前を向いたままの顔を時折動かして視線を寄こす。これは悪い気分ではない。そこにあるはずのない機 械仕掛けの嫉妬を想像して楽しむのは。

「失礼します、教授〜ぅ!」

 ウィリアムの愉楽の時間を破ったのはどこか間延びした声で、ドアを開けて入ってきた姿はやせていてひどく背が高かった。

「トレス君が負傷したって聞いて・・・・ややっトレス君!よかった〜、今度はそんな大怪我じゃあなかったんですね」

 振り乱れていたアベルの銀髪も落ち着きを取り戻したように見えた。

「肯定。破損部分は即時修復可能部位に限定した」

 他人事のように答えるトレスに向いたアベルの瞳は一瞬深い青に沈んだ。

「弾が当たる直前までちゃんといろいろ計算してたんですよね・・・・君らしいです、トレス君。あ、レイニアさん、ご苦労様です」

 少女を見たアベルの瞳が和み、少女も小さいが心からの微笑を浮かべた。

「ああ、足りない部品があるな。トレス君、作業を続けていたまえ。シスター・レイニア、多分向こうにしまってあると思うんだがちょっと手伝ってくれないか ね」

「了解した」
「大丈夫、わたしがついていますから!」

 己の足の傷を冷たい横顔のまま修理し続けるトレスとそばでニコニコといらぬ手を出したり引っ込めたりしているアベルを残してウィリアムとレイニアは数 メートル離れた棚の前に移動した。

「・・・薬で背が大きくなることはできないかな」

 ぽつりと呟いた少女の声はすぐに空気の中に吸い込まれたが、ウィリアムはちらりと横目で少女の表情を確認しパイプを咥えなおした。

「成長するように、ということかね?」

「うん・・・」

 レイニアはガラス戸に映る己の姿を食い入るように見つめた。

「今はまだいいけど・・・・そのうちきっと誰かが言いはじめる。『あの子、なんだかちっとも大きくならない』とか『覚醒した吸血鬼ってあんな風に成長がと まるんだそうだな』とか。・・・段々、何か自分たちとは違うって目で見る人間が増える。そうしたら・・・・また別の場所に行かなくちゃいけなくなる」

 堰が切れたように続いた己の言葉を恥じるように口を閉じた少女は苦い笑みを浮かべた。

「人間じゃないと言われても吸血鬼でもないから・・・吸血鬼にしてもいい迷惑だな」

「君が人間であるということはこれまでに出たいろいろな検査結果から証明されているんだよ、シスター・レイニア。僕とほとんど変わるところはない。もちろ ん、年齢、性別は別だがね。君が特別なのはその年齢という部分だけだ。なぜか君の身体は君が今ある姿を維持し続けている。とても精密な設計図に従っている ように」

 困ったように顎を撫ぜている"教授”も定期的に少女のサンプルを送っている先の研究スタッフも何も答えを見出していないということを言外に感じ取ったレ イニアはガラス戸から視線を外した。

「部品は?"教授”」

「ああ、あった、これだね」

 そのまま修復技術についての会話を続けながら戻ってくる二人の姿をアベルの憂いを帯びた瞳とトレスのガラスの瞳がどちらも無言のままで鏡像を映し出し た。



「でも・・・急にどうしたんです?レイニアさん。わたし、ちょっとだけ驚いちゃいました。その・・・レイニアさんはいつもとても一生懸命で楽しそうだなっ て思って見てたので」

 大きな通りに面したカフェのひさしの下のテーブルで。
 アベル、トレス、レイニアは飲み物、料理、新聞をそれぞれ前にして向き合っていた。

「そんな風に言われたのは初めてだ」

 苦笑したレイニアは湯気が立つエスプレッソを一口含んだ。苦味が新鮮だった。子どもには毒だと言う人間もいるのでいつもはなかなか頼む気になれない飲み 物を頼んだ自分が意地を張っている気がした。

「・・・シスター・ロレッタに言われたんだ。『わたしくらいの年齢になったらお綺麗になって、とてもとても・・シスターをさせておいてもらえないかもしれ ませんね』って。善意とか好意で言ってくれてるのはわかる。・・・・だから、彼女よりも長く生きてる、とは言わなかったけど」

 自分は『言わなかった』のだろうか。それは誤魔化しで本当は『言えなかった』のではないか。言っても理解されないだろうと逃げ、もしも理解されたら相手 が離れて行くことを恐れて。
 目を伏せようとしたレイニアの顔の前にアベルの顔がのぞいた。

「わかりますよ、難しいんですよね、事実をどうするかっていうの。本当のことを説明するのが一番いいとは限りませんし。でも、自分のそばにいてくれる人に 嘘をつくのはとても心苦しいですしね」

 一瞬で心が軽くなってしまったことに戸惑いを感じながらレイニアはアベルの丸眼鏡の奥を見つめた。

「俺も卿らとは理由は異なるが修復不能に破壊されるまでは外見もOSも変転される予定はない。定期的メンテナンスと修復部品の補給が続行されているという 条件下に限定されるが」

 抑揚のない声で淡々と語りながらトレスはレイニアを見守っている。
 自分が笑い出したいのか・・・それとも泣き出したいのかわからなくなり、レイニアはエスプレッソを一気に飲み干した。その行動になぜか頬をゆるめたアベ ルと確認するようにごく僅かに頷いたトレスはそれぞれに手にフォークと新聞を持ち直し、補給作業に戻った。

「時々・・・目が覚めたら一気に年を取って見知らぬ顔の老婆になってる夢を見る。なぜかそれはひどく恐ろしい夢なんだ。やっと身体が年をとれたのに」

 レイニアは前にいる2人を見つめた。2人を見ているとこれまで思ってきた願いが突然反転してしまう気がした。それは異端であり奇跡の色を帯びた願いだ。

「ずっと、一緒にいられたらいいですね、レイニアさん」

 代弁するように囁いてやわらかな笑顔になったアベルが大きく頷いた。
 少しでも長く・・・そう願う少女はふと心に浮かんだ3人の上司である麗人の姿に、己の命に代えてもという決意を新たにした。そうすれば命尽きるときま で、願う相手とともにあることができるだろう。それが自分にとっての永遠かもしれなかった。
 そのレイニアの横顔をトレスのガラスの瞳が拾得し、自動的にメモリーのある区画に記憶が書き加えられた。

2005.10.5

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