闇 華 1

イラスト   耳を澄ますと後方にかすかな靴音を聞くことができた。
 どこからか、つけられていた。
 狙いがわからないまま人通りの多い場所を選んで歩いて来たのだが、町外れの宿と繁華街の間には小規模ながら手入れの行き届いた公園があり、予想通り、夜 の今、人通りは絶えていた。そしてこれも予想通り、靴音からその存在を隠す様子がなくなり一気に距離をつめはじめた。振り向くと迫る黒い人影が見えた。
 走るにはまだ距離がありすぎる。そう判断した少女の右手には銀色に光る小型の拳銃、左手には鋭い刃の輝きがあった。単なる物取りなら少女には撃退できる だけの技量があった。しかし、強盗目的なら子どもを狙うはずもない・・・それが黒い僧衣に身を包んだ少々毛色が変わった少女であっても。
 少女の指が撃鉄を起こした時、走る人影の動きが変化した。

「何・・・」

 獣のように跳躍しながら近づく姿に照準を合わせ、白い指は引き金を引いた。しかし、予測を超えた素早い動きで影は左右に移動しながら一息に少女の目の前 に飛び込んできた。肩のあたりを引き裂く鋭い感触を冷たく感じた少女の身体は体当たりで弾き飛ばされ路面に叩きつけられた。

「く・・・」

 霞んだ視界の中に入ってきた姿を見上げた少女の瞳は大きく瞬いた。

「・・・羽・・・・?」

 見えたと思った対象を確認しようとした少女の傷ついた肩を大きな手が力を込めて掴んだ。漏れそうになった声を噛み殺しながら身体を宙に引き上げられた少 女は、左手に残っていたナイフを相手の眉間と検討をつけた場所を狙って投げた。

「甘いな、筋は悪くないけどね」

 不意に耳に入ってきたその低めの女の声を少女と影は同時に驚きを持って聞いただろう。声とともに伸びてきたほの白い光に包まれた手が影の胸部に侵入する 様子を見た少女は響き渡る苦鳴とともに投げ出され、再び地に落ちた。

「何だ、こいつ、心臓がないじゃないか。空っぽじゃないみたいだが・・・」

 遠ざかる意識の中で少女は必死で警告を伝えようと唇を動かした。

「・・・気をつけ・・・・羽が抜けたら虫が・・・・・」

「なんだって?おい、お嬢ちゃん・・・・って、ははァん、こいつのことを言ってんのか」

 崩れ落ちた影の背中からふわりと浮き上がった白い翼とともに溢れるように湧いた黒い粒たちを見た女の手にはいつのまにか2本の刃が光っていた。それは飛 来する黒い点をみじんに切り刻んでいく。逃れた虫たちはことごとく女の身体を貫いていくように見えたが、不思議と女の身体を包む黒衣には裂かれたあともほ ころびひとつ見られず、蛍光色をまとった虫は次々と刃にかかった。しかし、虫たちが狙ったのは悠々と立つその女だけではなかった。目を閉じた少女のぐった りとした身体に向かって10匹あまりの虫が加速する。

「あらら、あんた、祈った方がいいらしいよ」

 女が投げた短剣は半数ほどの虫を切り飛ばしたが残りを止める手段はない。粒の先端が今にも幼い身体に潜り込み・・・・・
 その瞬間、連続した轟音が響いた。

「なんだ、いたんじゃないか。久しぶりだね、お人形ちゃん。相変わらず腕前は落ちてないみたいだけど、面白味がなさそうな人形面だ」

 女が後ろを振り向くと薔薇のつるの模様が光を受けた胸元のチョーカーから浮き上がった。

「損害評価報告を、“ブラックウィドウ”」

 靴音高く歩み寄る小柄な姿は両手にまだ蒼い煙が立ち上る銀色の拳銃を握っていた。

「ふん。あたしはダメージ0だけどね」

 小さく鼻を鳴らした女は足元の少女の前に膝をついた。

「このちびは何なんだ?冗談みたいにカソックなんぞ着やがって」

 少女の顔を覗き込んだ女は赤く塗られた唇の両端を上げた。

「あんたを呼んでるよ、イクス神父。意識はないみたいだけどさ」

 2人の傍らまで来たトレスは腰のホルスターに拳銃をおさめた。それからややゆっくりとした動作で少女の身体を抱き上げた。

「レ・・・“セカンド・サイト”だ、“ブラックウィドウ”・・・シスター・モニカ・アルジェント」

「なるほど〜、そいつがお前が連れてきた新入りか」

 短い髪を揺らして立ち上がったモニカの顔には面白がるような色を含んだ冷笑が浮かんでいた。

2005.9.28

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