対 顔

<こんにちは。時間どおりですね、お二人とも。・・・あら?あなたもいらっしゃいましたの、神父レオン?あと10分はいらっしゃらないと予想してま したのに>

 執務室のドアの前、左右から近づく3人の人影の前に立体映像を結像したシスター・ケイトは1人ずつに視線を送り、直立不動で冷たい空気を身にまとった小 柄な神父・・・別方向から来た神父に比較するとその体格の違いが際立つ・・・の横に立つ少女に向かって微笑みかけた。

<神父アベルから聞きました。最初の任務を立派に終えられたんですね>

 少女は居心地が悪そうに僧衣の中で身体を動かした。困ったように目を伏せ外見的な年齢には似合わない線をその唇が描いている。

<あ、それから、絵も拝見しましたわ。カテリーナ様をあんな風にみごとに描かれた方は初めてです。お見事ですわ>

 少女の顔に光がさした。それまでの印象を180度変えるような微笑を受けたシスターはにっこりと笑みを返し、様子を見ていた体格の良い神父はその奔放に 跳ねた髪ごと頭を横に振って苦虫を噛んだような表情を浮かべた。もう一人、小柄な神父は無表情のままドアが開けられるのを待っていた。



<今、お茶を差し上げますわ。カテリーナ様は会議が長引いていらっしゃるんです。先に資料に目を通しておいてください>

 3人に来客用ソファを示してからケイトは姿を消した。

「ったく、俺を出しただけじゃ足りなくて拳銃屋まで呼び出されてるときた。どのくらいのヤマかあんまり想像したくねぇな。それにこのお嬢ちゃんは何だ?ま さか子どもと仕事しろってわけじゃないんだろうな。やめてくれよ」

 ソファに身体を投げ出したレオンと向かい合って腰掛けたレイニアはトレスが無事に座るまで少々身体を構えていた。先日、別な場所で似たような状況になっ たとき、2人が腰掛けたソファは見事にトレスの尻の下で脚が折れて破損し、傾いた。全く予想していなかった事態に少女の身体は前方に投げ出され、無言で立 ち上がったトレスが手を伸ばして少女の僧衣を摘むように引き止めなければ頭からテーブルに突っ込んでいただろう。
 当たり前と言うべきか、ここ“剣の館”の執務室の備品はトレスの体重も考慮されて選ばれているらしく、わずかにきしむような音を立てただけで他にはなに も起きなかった。小さく息を吐いたレイニアは改めて自分の前に座って横目がちな視線を送ってくるレオンを見た。

「わたしの実年齢はきっとあなたと余り変わらない。肉体的には見た目どおりだが、『子ども』な部分はそれだけだ」

「そうなのか?ってことはあんたが噂の新入りなんだ。なるほど、可愛げはなさそうだ。勿体ねぇな。このまま育てばさぞかし・・・」

 遠慮なくズケズケと話しながら少女の反応を伺うレオンの言葉を無感情な声が遮った。

「卿と俺の任務はレイニア・スレイア・・このシスターの護衛及び情報収集のサポートだ、“ダンディライオン”」

 あっという間に1冊目のページを繰り終えたトレスはファイルをレオンに差し出した。レオンは頭を振って大げさに右手を左右に動かした。

「俺はあとでお前から中味を聞く。先ずは可愛いシスターにお茶を淹れてもら・・・・って、前にいたあの若くてピチピチのシスターはどこだ、シスター・ケイ ト?」

 一瞬、シスターのやわらかな映像に焔の色が重なったように見えたのは目の錯覚だろうか。

<シスター・ロレッタはカテリーナ様をお迎えする準備で忙しいんですのよ。下心むきだしの毛玉神父の相手などしている暇はありません!>

 少女は瞳を大きく瞬いた。上品で優しい実力者、というこのシスターのイメージに新しくてちょっとヴィヴィッドな色が付け加わったようだ。その隣の無表情 な神父は次のファイルの情報をインプット中につき顔も上げない。

「俺が外にいられる時間はどんだけ限られてると思うんだ。よし!今からちょっと中庭でも行って・・・」

 レオンはソファから腰を浮かせた。

<いけません!もうすぐカテリーナ様がお戻りになるというのに。まったく・・・少しは神父らしくしていらっしゃいませ>

「作戦確定と迅速な行動開始には卿の意見と身体が必要だ。ミラノ公が戻るまでこの室内で待機することを要求する」

 2人の口からほぼ同時に発声された言葉に押されて唇を尖らせながら渋々座りなおしたレオンの姿にレイニアは思わず声を出して笑った。華奢な身体を縁取っ ている波打つ黒髪が艶やかに光り、時に冷たい金属味を帯びる瞳が面白そうに明るく光る。レオンはその様子を眺め、仏頂面を解いた。

「へっぽこがお前のことを拳銃屋の弟子だって言ってやがったからどれだけお堅いシスターかと思ったが。何だ、結構物分りがよさそうな人間じゃねぇか」

「『化け物』と呼ばれることもありますが」

 レオンは大声で笑い、少女の口元に漂う皮肉の色を吹き飛ばした。

「ああ、そりゃあ俺もお仲間だ。そのせいで少々人生の中の選択を間違っちまったからな。でもよ、ほら、見てみろよ。ここにいるのは神出鬼没の戦艦シスター とガチガチお堅い戦闘人形、とどめが『抱かれたい神父No.1』の俺だぜ。普通の人間なんて一人もいないじゃねぇか」

 陽気な口調と生気溢れる瞳。それがレオンの口元にひっそりとあるアイロニカルな一筋の皺を消去する。レイニアは受け取った言葉をゆっくりと反芻し、やが て顔を上げた。その金色の瞳がレオンの顔を見ると、レオンは視線を逸らし、頭を掻きながら苦笑いした。

「良い香りですね」

 開いた扉から入ってきたほっそりとした姿に3人は立ち上がって一礼した。

<お帰りなさいませ、カテリーナ様。今日はお茶にたっぷりと蜂蜜を入れて召し上がってください。お疲れのようですわ>

 カテリーナは薄く微笑むと優美な動作で椅子に腰掛けた。

「ありがとう、シスター・ケイト。それで、今回は少し複雑なことになりそうですがどう思いますか、神父トレス?」

 微笑は消えその下から静かで鋭い知性の光を宿した瞳が現れ、自分を見守る小柄な神父を真っ直ぐに見る。

「問題はない。予測される障害は“ダンディライオン”と俺で阻止または排除可能と考えられる」

「では人選的にも問題はないということですね?」

「肯定。ミラノ公の懸念が執行官同士の能力のマッチングに関するものならば無用だ」

「そういう意味では・・・」

 カテリーナの視線は少女の色白な顔に落ちた。
 レイニアは美しい枢機卿に密かな憧れと他の気持ちを込めた視線を向けながら小さく頷いた。カテリーナは美しく彩られた唇の曲線でその視線に応えた。

「わかりました。では、これから細部を検討しましょう」

 室内に紅茶の深い香りが広がった。



写真/白い羽 「ここでの暮らしと・・・それから派遣執行官としての暮らしには慣れましたか、レイニア?」

 レイニアとカテリーナは互いを深く覗くような視線を送り合った。初めて顔を合わせた時に得た印象を確かめるように。あの時レイニアはこの“鉄の女”と呼 ばれる女の強さと線の細さを同時に感じ、この女性を護りたいと思った。その気持ちの原因の一部は自分をこの女性に引き合わせた小柄な神父がこの女性に向け た視線に感じたものにあるのかもしれないと心のどこかで思いながら。そして今日、レオンが言った言葉を思い出す。『普通の人間なんて一人もいない』とあの 神父は言ったが、この女性はその心の強さ以外はごく普通の人間なのだ。だからこそ余計に、と今思うのだ。
 カテリーナもまた、彼女に忠実な神父が連れ戻った少女に会った時、その少女の中にある謎とこれまでの悲劇を知ると同時に少女が・・・外見的にはそうとし か言い様のない少女がその神父に向ける光に満ちた視線を見た。その視線はこの、自分を機械と言って譲らない神父をカテリーナと非常に近い感覚、そして全く 別の感情とともに見ていると言う気がした。時の法則を冒す存在である少女はもしかしたらもっと別のものを超えることが出来るかもしれない。カテリーナは微 笑んだ。

「あなたは神父トレスから私と彼が出会ったときの話を聞きましたか?」

「いいえ。多分、それがトレスの“最優先事項”なんだと・・・そう推測は出来ますが、内容は知りません」

 微笑み返すレイニアの表情には他にカテリーナの心を小さく揺さぶるものがあった。

「神父トレスはあなたを名前だけでレイニア・スレイアと呼びますが、これは他には例がないことなのですよ」

「それは・・・わたしもトレスのことを名前で呼ぶことにしてしまったから・・・最初の時に」

「そうかしら。私には神父トレスがそのようなやり方で相手に合わせるところは一度も見た事がないですよ」

「カテリーナ様・・・」

 カテリーナが微笑みながら差し出した手を両手で受けてレイニアはほっそりとした白い甲にそっと唇をあてた。

「明日早いのでそろそろ失礼いたします。・・・ありがとうございました、カテリーナ様」

 カテリーナは片眼鏡を外して立ち上がった少女を見上げた。

「おやすみなさい、レイニア。良い眠りを」

 サイズは小さいが重々しい黒の僧衣に包まれた後姿は足音を立てずに部屋を出て行った。

 ドアの外にはトレスが立っていた。予想していたレイニアはその姿に笑いかけた。

「お話は終わった。カテリーナ様はまだ書類仕事をされるようだ。じゃあ、おやすみなさい、トレス」

 レイニアの予想に反してトレスは執務室に戻ろうとはせず、歩き出したレイニアの前に立った。

「明日は早朝に移動する。俺も今夜は警備の任を解かれ、自室で休息をとるように指令を受けている」

 そのまま先に立って歩きはじめたトレスの後を小走りに追いながらレイニアは首を傾げた。

「じゃあどうして・・・・・。もしかしてわたしを・・・・?」

 言った自分の言葉に苦笑しながら首を横に振るレイニアの顔をトレスの目が肩越しに見おろした。

「卿はまだミラノ公の執務室に2回しか来たことがない。単独の場合自室に戻るまでに迷う確率は77.9%だ。時間の無駄は休息の減少、さらに明日の任務の 実行に支障をきたす可能性を産む」

「・・・・うん、トレス」

 本当は他に言いたい言葉がいくつもあった。でもそれを言うと発言の再入力を繰り返し求めさせることになってトレスの休息時間を削ってしまうことになる。 だからレイニアは口元をほころばせながら心の中でそっと言葉を呟いた。
 トレスはそんな少女の様子を無表情なまましばらく見下ろしていたが、やがて顔を上げた。その歩調が僅かに緩んだのはただの偶然だろうか。レイニアは自分 の心の中の少女の部分がそれを偶然と呼び別の部分がそれを否定したがっているのを感じながらまっすぐにピンと伸びた背中を追った。

2005.9.14

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