微 温

 殺人人形。
 鋼の猟犬。
 機械化歩兵。

 いくつもの呼称を持つ彼は己のことを機械だと言う。
 確かに、偶然その指先が触れる事があると手袋の布地を通して伝わってくるのはひんやりとした硬さだった。
 だから思っていた。彼の身体にもきっと温もりはない。体内を流れる皮下循環剤は冷やされたワインと似ているかもしれない。
 でも。
 そうではなかった。



 覚醒しはじめた意識の中に柔らかな温かさが流れ込んだ。それは直前まで記憶していた吹きすさぶ風と白い冷たさとは全く違うものだったから、少女はそれを 夢だと思った。目覚めたくない心地よさと安心感。夢を消さないようにそっと寝返りを打った少女は硬いようでそうでもないような不思議な対象に額をぶつけ た。

「ん・・・・」

「・・・損害評価報告を、レイニア・スレイア」

 抑揚を欠いた声には聞き覚えがあった。しかしその距離に違和感があった。その声はまるで・・・頭の真上で発せられたような・・・・

「トレス・・・・・?」

 目を開けたレイニアは一瞬眼前のそれが何なのかわからなかった。人の肌のような、しかし肌にしてはあまりに滑らかでシミ一つ、傷一つ見当たらない。

「肯定」

 良く知っている口調とともに、以前目にした光景を思い出す。傷ついて捲れあがった背中の人造皮膚を剥離して新しいものに貼りかえられている後姿。それは 少女にとって忘れられない一人の・・・・・

「・・・ええと」

 身体の周りを囲うトレスの片腕と頭の下にあるもう片方の腕、額が触れている胸。すっぽりと包み込まれたままそっと顔を上げると感情が見えない視線とぶつ かった。

「わたし、どうして・・・・・トレス?」

 上半身むき出しの状態であるというのに機械化歩兵はいつもと変わらぬ無表情で、腕の中の肌着姿の少女が顔を真っ赤にしてしどろもどろになっているのを意 識する様子はまったくない。

「卿は吹雪の中で意識を失った。俺とナイトロード神父は卿をこの宿に搬送し低下していた体温の回復の促進につとめた」

「温めてくれたの?」

「肯定」

 雪をはじめて体験したレイニアは必死で歩きながら足がもつれるのを感じていた。突然力が伝わらなくなってがくりと折れる膝が地についた時、風の勢いが増 した。息をさらわれて前を向いた状態だと呼吸ができなくなり、顔を逸らして懸命に空気を吸った。足取りに寸分の狂いもない小柄な神父と背の高い神父が少女 の前に立って風から守ってくれようとしたが、渦巻く風と下がり続ける気温は小さな身体をこわばらせた。重くてたまらなくなったコートと僧衣に押しつぶされ るようにレイニアはついに両膝をついた。立ち上がろうとする努力が何のためなのか見失いながら風に逆らってもがいているうちに段々と視界が暗くなった。

「・・・何も怖くなかった」

 死がすぐ隣に立っていたであろうに。感じていた冷たさも痛みもあの瞬間にすべて消えて、眠りにつくときのように身をゆだねて意識を失った。そのことが 今、肌を粟立たせはじめたような気がしてレイニアは小さく身震いした。

「損害評価報告を。体温はまだ完全に回復していない」

「ああ、あの・・・気分は・・・いいのか悪いのか・・・よくわからない」

 レイニアの答えを受けたトレスがそれを判断しかねて一瞬表情が虚ろになる。それがいつもの無表情に戻るのを待ってレイニアはそっと手を伸ばした。

「あたたかい・・・・トレスの身体」

 トレスは少女の指先を見ながら短く頷いた。

「肯定。俺は機械だが体内の各部の動作に伴って放熱する。起動中は人間の平均的体温に比べて80パーセント程度の温度がある」

「心の中はもっと・・」

 口の中で呟いてからレイニアは身体を抱いているトレスの腕を持ち上げて外し、腕枕から頭をずらした。その時にほんの一瞬滑らかな人造皮膚に触れた唇を意 識しない顔のままトレスと視線を合わせる。トレスは無言のまま役目を終えた腕を引き上げた。

「ありがとう」

 万感の思いを短い言葉に託した少女は返って来る答えを予期して薄く微笑しながら目を伏せた。

「無用だ、レイニア・スレイア。俺は明日からの任務に支障がないように卿をサポートしたに過ぎない」

 トレスの言動にはいつもちゃんとした理由がある。けれど彼は「ありがとう」をそのまま受け取らない理由は言わない。それが時折レイニアの気持ちを震わせ る。それからすぐに、そんなトレスだからこそ、と思いなおす。
 トレスはそのまましばらく少女と視線を合わせたまま横たわっていたが、体のどこかでスイッチが入ったように起き上がった。部屋に近づいてくる足音があっ た。

「トレス君、レイニアさんは目を覚まし・・・・・ああ!レイニアさん!よかった〜。わたし、グッドタイミングですね」

 片方の手に湯気が立つカップを、もう片方には大きな紙袋を持った銀色の髪の神父はほとんど体当たりするようにドアを開け、部屋の中にまろび入った。

「宿のご主人が熱い紅茶を入れてくださったんですよ。それからですね、血行を良くしてくれる薬草酒に元気が出る甘いもの、焼きたてのジャガイモ・・・あ、 あと、レイニアさんの服は今全部乾かしてもらってますから。レイニアさんのコート、ずっしり重くなってましたよね。あれは歩くのも大変だったでしょう〜」

 自分の今の服装を思い出したレイニアはそっと布団を引っ張り上げた。トレスはアベルの横で無駄のない動作で衣類を身につけていく。

「・・・ごめんなさい、あのコートが薄すぎた・・・気候をちゃんと判断できてなかった」

 普段使いのケープを少しだけ厚くしたような布地のコートは雪と風の前ではほとんど役に立たなかった。むしろ解けた雪の水分をそのまま含んで冷たく身体に 纏わりついた。

「いやいや、レイニアさん、こういう冬は初めてだったんですね。トレス君から聞きました。こういう自然の力って言うのは体験してみないとちゃんとわかるこ となんてできないものですよ。レイニアさんのせいじゃありません」

 アベルはやわらかく微笑んでレイニアの傍らに立った。
 受け取ったカップはまだ熱く、一口飲むと熱さと香りが喉を下った。

「あのねぇ、レイニアさん」

 アベルは身をかがめて口元を寄せた。

「目を覚ました時、びっくりしたでしょう?いや、わたしもね、ベッドにレイニアさんを寝かせた後でトレス君が上着を脱ぎはじめたときは驚いちゃったです よ〜。レイニアさんの身体は氷みたいに冷え切っていたからトレス君はぱぱっと判断して一生懸命あなたをあたためたんですよね。」

 そこで一旦言葉を切ったアベルはレイニアの耳元に一層近く顔を寄せた。

「なんだかね、お二人の姿を見てると微笑ましかったですよ・・・街で見かけた身体を寄せ合って暖を取っている子犬みたいで」

 レイニアは深く青い瞳を見た。いたわるような包み込むような、そしてどこか見守るようなアベルの瞳。

「今言ったこと、トレス君には内緒ですよ」

 ふふっと笑った神父の声に耳をくすぐられて少女も笑った。
 完全に僧衣に身を包んだ神父はちらりと視線を向けたが、すぐに腕を振りながら袖の奥の予備弾倉の確認をはじめた。

「ほんと、仕事熱心なんだから」

 アベルの瞳はやわらかく輝いた。

2005.9.18

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