譫 言

「大丈夫ですか、レイニアさん?なんだか、顔色が・・・・」

「大丈夫、一番集中力を使うのは5分程度・・・一晩予定が狂ってしまったし」

 春を知らない街の一角で。
 舞い踊る雪片の中、先頭に立つ小柄な神父が素早く後方を確認した視線の中に『防寒対策万全』の小さな姿とその後ろを歩くとても背が高い神父の姿が入っ た。
 今回の指令の中心は実はその小さな少女であり2人の神父は少女を援護しサポートするための存在だ。潜入し少女の『目』であるものの正体を確認する・・・ その結果によってはいずれその地で戦闘シーンが繰り広げられることになる可能性があるが、今回はあくまでも秘密裏に進めることを含んだ指令だ。昨夜に続い て風が舞いはじめた夜は作戦遂行には適した状況と言えた。

「やっぱりもう一晩身体を休めた方が・・・」

「大丈夫です、神父アベル。無駄な支出も人員もなるべく避けないと」

 強く言い切った少女の声はあっという間に風にさらわれていく。しかし。精度が高いトレス・イクスのセンサーは少女の言葉の語尾に抑えようとして抑え切れ なかった震えを確認していた。



「ほらやっぱり。熱が出てるじゃないですか、レイニアさん〜。すぐにケイトさんに連絡取りますからね。風邪は万病の元って言うんですから。トレス君、頼み ましたよ」

 自分の首から外したマフラーをトレスの手に落とすとアベルは2人から少し離れて立ちイヤーカフスを弾いてなにやら早口に喋り出した。
 小さな街の郊外、森を超えた丘の上。悪天候のために迎えに来ているはずのシスターとなかなか連絡が取れず、任務を終えた3人は合流予定ポイントに先に着 いた。

「神父アベルも寒がりなのに」

 呟くレイニアの首にアベルのマフラーを巻きつけたトレスは、彼の身体を踝まで覆っていた黒いレザーコートを脱ぐと少女の身体を包み込んだ。

「トレス、これは・・」

「俺の身体はこの程度の外気温ならばこのままで十分作動可能だ。心配は無用だ、レイニア・スレイア」

 トレスを見上げた少女の口が微かに開いてひとつの言葉を紡ぎ出そうとしたように見えた。けれど言葉は発せられないまま唇は閉じ、複雑な微笑が通り過ぎて 消えた。それからレイニアは無言のままそっとトレスの左手に触れた。拒絶を予想しているようなためらいがちな動きで小さな手が己の手を握る感覚を時に殺人 人形と呼ばれる彼はどのように感じたのだろう。目を伏せてしまった少女を無表情な顔で見下ろしたトレスは手を少女に預けたままで視線を戻して周囲の警戒を 続けた。



<お一人になりたいんですって。お薬も半ば無理やり飲んでいただいたんですけれど、吐かれてしまって。最初に会った時にも思ったんですけれど、レイ ニアさん、お見かけした時の印象とは違う面をお持ちの方でいらっしゃいますよね>

 アイアンメイデンの艦内。
 医務室の壁を抜けるように現れた泣きぼくろが印象的なシスターは心配気に重ねた手を動かした。

「ああ・・・彼女は謎めいたところがいっぱいありますからねぇ。でも、笑うととても可愛らしいですよね、ケイトさん。僕とトレス君はちょっとだけお顔を見 たらすぐに出てきますよ」

 室内に姿を消す2人を見送るケイトの顔には何かを期待しているような笑みが浮かんだ。

<その笑顔を一番たくさん見ているはずなのは神父トレスですしね>

 そのたおやかな姿は言葉を半分言いながらどこへとともなくすっと消えた。



「苦しそうですね・・・レイニアさん」

 少女は布団の下で身体を丸め顔の半分まで潜り込んでいた。額に汗を浮かべ閉じた瞳の上で瞼が時折震えを見せる。

「何だか・・・すべての人を拒絶してるみたいに見えてしまいますね。手負いの野生の獣ってもしかしたらこんな感じかもしれません。一人きりでひっそりと自 分の傷を癒すんです」

 そう言うアベルの瞳には理解とともに記憶の中にある何かを思い出しているような気配があった。

「すいません、僕はちょっと先に行ってますね。トレス君はもう少しここにいてあげてください」

「いや、俺も・・」

 アベルの後姿を追おうとしたトレスはセンサーが捉えた微かな声に足を止め、振り向いた。名前を呼ばれたと思ったのはセンサーのミスだろうか。少女は変わ らず目を閉じたまま細かく身体を震わせている。

「・・・トレス・・・・」

 再び少女の口が彼の名を呼び、それからもうひとつ、言葉を呟いた。
 冷静そのもののトレスの顔が見下ろしたとき、寝返りを打った少女がぼんやりと目を開けた。

「否定、レイニア・スレイア。卿が今入力した言葉は俺に入力しても意味がない。俺は機械だ。その言葉は人を相手に発するべきものだ」

 突然低く響いたトレスの声を聞くうちにレイニアの瞳は大きく開いた。

「・・・わたし・・・何か言った・・・?」

 トレスは小さく頷いた後言葉を続けた。

「或いは卿がもしもその言葉を物品に対する人の感想の意味で使用したのならば、それも不適当だ。俺は機械だが不特定多数に共用される公共物ではない。俺は ミラノ公の機械だ」

「・・そうか」

 納得したように囁いたレイニアの唇は震えていた。夢の中で思わず言ってしまったはずの言葉は・・・現実では絶対に言うはずがない言葉は、無意識のうちに 放たれてなぜか対象のところへ飛んで行ってしまったようだ。そして・・・返ってきたのは予想通りの言葉だった。見事なほど予想通りだ。笑えてしまっても不 思議はないほどに。なのになぜ自分は・・・・こんなに動揺しているのだろう。レイニアは深く息を吸った。心を抑えて頭の方だけ動かそうと、もう一度呼吸を 整えた。

「トレス・・・お願いが・・・ある」

「それは何だ?レイニア・スレイア」

 一言一言を慎重に言う少女の口元をガラスの瞳が見下ろした。

「さっきの言葉と・・・それからその言葉に関する会話の記憶を、この部屋から出たらトレスの中から消して欲しい。・・・わたしはもう2度と言わないから」

 絞り出すように言うレイニアをトレスは予想よりもほんの少しだけ長く見つめた。

「それは、卿も自分の記憶から消すということか?」

「・・・わたしは人だから・・・そう簡単に自分の記憶を選んで消すことなんてできないよ・・・・。できるのは同じことを2度とはやらないって・・・自分に 言い聞かせることくらい」

 レイニアは目を閉じた。
 ふと、額に触れるひんやりとした指先を感じた。

「・・・了解した。睡眠をとることを推奨する、レイニア・スレイア」

 遠ざかる足音を聞きながら安堵のため息をついたレイニアの頬を涙が落ちた。
 記憶を消してくれと頼んだ理由を問われたらどう答えるか。レイニアはその質問を恐れていた。その言葉には嘘も偽りもない。過ちでもない。間違っていたと すればタイミング悪く言葉が外にこぼれてそれをトレスに・・・よりにもよって一番聞かれてはならない相手に聞かれてしまったことだ。そしてそれは予想通り トレスにとってはひとつの『間違い』に分類された。
 その『間違い』だけを消そうとしている自分はもしかしたら卑怯なのかもしれない。レイニアは涙をぬぐった。それでもこれからもずっとこの言葉を心の底に 抱いていこう。そう思った。出会ったときにすでにトレスはカテリーナの機械だと自分のことを言っていた。それからも幾度となく自分を機械と呼ぶトレスの言 葉を聞き、カテリーナを見守る忠実な瞳と己を投げ出して救う姿を見た。そう言う中で心に積もっていった感情の欠片はやがてレイニアの中でひとつの言葉に結 晶した。

 『好き』と。

 使い慣れないその言葉を自分に認めるまでにどれだけ時間がかかっただろう。いや、本当はほんの一瞬だったかもしれない。

 『否定』

 予想通りのトレスの言葉。それが予想以上に心に突き刺さった。けれどそれ以外が返ってくるはずはなかった。それがレイニアの知っているトレスだ。だか ら・・・傷つく必要はないのだ。涙もほんの10分程で十分だ。
 レイニアは枕元に置かれた時計を確認した。10分。その間だけ涙で気持ちを流してしまうことを自分に許した。



「レイニアさん、寝てました?・・・・どうしたんです?トレス君」

 アベルはいつもに増して表情がないように見える同僚が返事を返さないことに首を傾げた。

「・・・否定。何でもない。レイニア・スレイアは目覚めたが今はまた眠っていると推測する。」

 平板な声が答えた。

「ああ、じゃあそっとしといた方がいいですね。ケイトさんにお茶でもいただいて・・・」

<用意はできてますよ、神父アベル。もちろん、お茶菓子も一緒に>

 いつの間にか2人の神父の後ろに現れたシスターはにっこりと微笑んだ。

「ほんとですか〜?ケイトさん!いやぁ、ありがとうございます。これでローマに着くまでにたっぷり元気回復できます〜」

 躍り上がるように早足で歩き出したアベルの後姿に笑いながらトレスに目を戻したケイトはそっと神父の顔を覗きこんだ。

<あの・・・・神父トレス、どうなさいました?何か・・・失くしものでも?>

 トレスは無言のまま自分の手の内側に視線を落としていた。その様子はケイトがこれまでに見たトレスのどの姿とも違った。

「失くしもの?卿の質問は理解不能だ。再入力を要求する、シスター・ケイト」

 ケイトを見るトレスの顔には普段と同じ鋼に似た冷たさが戻っていた。

<あ、いえ・・・気になさらないでください、神父トレス。私の勘違いですわ>

「・・・了解した」

 背を向けて歩き出したトレスに思わずケイトはもう一度声をかけた。

「神父トレス、むこうにお茶の支度が・・・」

「俺は補給の必要はない。部屋で報告書をまとめる」

 規則正しい足音が遠ざかって行った。

2005.9.24

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