男は革製の袋をひとつ、肩にかけて船に上がってきた。手には大きな工具箱を提げている。
袖に炎の印が染め抜かれたジャンバーに作業ズボン、渦巻き模様のシャツ。
オールバックに流した金髪にゴーグル。
口にくわえた葉巻には今は火はついていない。
水の都ウォータセブンの中心、ガレーラカンパニー1番ドックの職長、パウリー。まだ明けきらない薄暗い光の中を静かな乗船だった。
「荷物はそんだけか?」
サンジが1歩進み出ると、パウリーはうなずいた。
「下に案内するぜ」
「いや、いい。まず船を見たい」
返す声が硬いことに誰もが気づいた・・・・・船の船長を除いては。
ルフィの目はパウリーの手の大きな工具箱を見つめていた。
「すげーなぁ。それ、弁当か?」
パウリーの表情が一瞬ゆるんだ・・・・100分の1秒ほど。
「んなわけねぇだろが。ここにいるので全員か?ハレンチ娘はどうした?」
「ナミたちは下でまだ寝てる」
ゾロとパウリーの視線が出会った。互いに相手の力量を測る。再び緊張感が漂い始めた。
わけありで船に乗り込むことになったパウリーの心は落ち着かなかった。
ルフィーたちの麦わら海賊団は海賊としてつかみどころがなかった。これまで船の整備や支払いがらみでごねたりたてついてきた海賊たちとは空気の色が違 う。
「ちょっと見させてもらうぞ」
パウリーが歩き出そうとした時。
彼は見た。
メインマストの陰に隠れ・・・ているようにはちっとも見えないが、気分だけは隠れている1匹の生き物を。
2本の足で立つ小さい背丈。ほわほわとした毛。シルクハットに青い鼻。
(人形か?)
パウリーの足は自然とひかれるようにマストの方へ歩いていった。
(お、俺を見てる・・・・・こっち来る・・・・・!)
チョッパーは自分がなぜか見つかったことを知った。心臓がドキドキして身体が動かない。
(俺・・・・・俺・・・・・・)
チョッパーが思わずランブルボールをひとつ、蹄にもったその時。
目の前にたった大男・・・・パウリーが上からじっと見下ろした。
とうとうチョッパーの足が震えだした。それを見たゾロは刀に手をかけ、サンジはトン・・・とひとつ、靴のつま先を床で鳴らした。
(だいじょぶだ・・・みんないるし・・・・・俺・・・・・・)
恐怖で金縛り状態になったチョッパーが思わず目をつぶると。
温かなものが顔に触れた。
「なんだ、こいつ!無茶苦茶・・・・」
(可愛いじゃねぇか〜〜!)
言葉の続きを心の中で叫ぶと、パウリーは少し屈んでチョッパーの頬に手を触れていた。
一瞬飛び上がりかけたチョッパーだったが、その手の感触は意外といやでもなかった。
「おい・・・くすぐったいだろ、やめろよ」
「やめろったってよ・・・・」
パウリーは青く光る鼻にそっと触れ、それから肩を軽く叩いた。
手の中にある奇跡。
恐らくは悪魔の実の能力なのだとわかっていても、それは関係ない。その姿、存在そのものがパウリーの心を鷲掴みにしていた。
(こう、ギュ〜ッとよぉ・・・・・・・)
抱きしめてみたい。
シルクハットに隠れた頭をモシャモシャしたい。
パウリーは必死で衝動を抑えた。
「そいつ、おもしれぇだろ〜。七段変化トナカイだ!」
ルフィの陽気な声が聞こえ、パウリーはゆっくりと身を起こした。
「でもって、うちの大事な非常食だ」
サンジが煙をふっと吐き出す。
「船医だろ」
ゾロが呟いた。
(おいおいおい・・・・・・)
パウリーの頭に三者三様の情報がしみわたった。そのどれもが確かに面白かったけれど。
パウリーは黙ってチョッパーの顔を見た。警戒心を解いたその顔には好奇心がいっぱいだ。
「ちょっとこいつ、借りるぞ」
パウリーはその手でチョッパーの身体をすくいあげて、肩にのせた。
「お、おい!」
慌てるチョッパーの足をしっかりとつかまえた強引な肩車のまま、パウリーは見張り台への縄梯子に近づいた。
「しっかりつかまってろよ」
そのまま登り始めたパウリーの動きはとても身軽だった。
「すげぇな〜、あいつ」
「ったりめぇだ、船大工だぞ、あいつ」
「うちのトナカイが気に入っちまったみたいだな」
下から見上げる3人の顔に、すでに緊張感はなかった。
見張り台に降り立ったパウリーはチョッパーを静かに下ろした。
「ほら、船の説明をしてくれよ」
「船の?」
「俺はこれからこの船にしばらく乗るんだからよ」
「そっか。そうだな!」
チョッパーは張り切った様子で話し始めた。見張り台から身を乗り出すようにしてあちこちを指差す。そのたびに、パウリーは落ちるんじゃないかとハラハラ しながら、それでも一生懸命話し続けるチョッパーの声をぼんやりと聞いていた。
船の様子は本職のパウリーには一目瞭然。「あの部屋はサンジの大事な場所で、いつもご飯やおやつを作ってくれるんだ。残すと殺される」なんていう説明よ りも専門用語のひとことで足りてしまう。
けれど。
チョッパーの言葉の中には海賊団のメンバーひとりひとりに対する気持ちがあふれていて、耳に心地よい。
パウリーはそのまま黙って半分だけ言葉の意味を聞きながら、見張り台のへりに肘をのせていた。
「パウリー」
ふと気がつくと、彼の名を呼ぶ声がした。
それもとんでもなく愛らしく響く声が。
パウリーが視線を下げると彼をまっすぐに見上げているチョッパーの顔があった。
「なんだ?」
「今度はさ、パウリーの街の話をしてくれ!俺、あの噴水が好きなんだ」
パウリーの口元に笑みが浮かぶ。
「なんだ、おまえも登ってみたいのか、あれに?」
「登る?登れるのか、あれ?」
「あれに登らないで大人になった男はこの街にはいねぇ」
「ほんとか〜???」
無邪気に目を見開いて喜ぶチョッパー。
パウリーはマストに寄りかかって胡坐をかいた。
「一番最初にあいつに登った時なんかなぁ・・・・・」
ひとたび口を開くと、言葉は不思議なほど途絶えず。パウリーは懐かしい1日の話を語り続けた。
「・・・・で、ルッチの野郎が・・・・・」
話が進むにしたがって嬉しくなったチョッパーは段々とパウリーに近づいてきた。自分もちょこんとパウリーと向かい合って座り、パウリーの膝の上に身を乗 り出して話に聞き入っている。
こうまでされて嬉しくないはずはない。
パウリー、なぜかエピソードが膨らみ始める。
「・・・・そこで、カクの奴がよぉ・・・・」
話が終わりに近づいたとき、パウリーの膝の上にはあたたかいものがのっかっていた。 嬉しそうに笑いながら半分眠るチョッパーの身体。
(寝ちまうのかよ)
パウリーは、ポンとひとつ、小さなシルクハットの上を叩いた。
彼の膝で本格的な眠りに入った七段変化スーパープレミアムスペシャルグレート・トナカイ。
(参ったなぁ)
降り注ぐ朝日の中。
パウリーはちょっとだけ足を動かそうとした。すると、チョッパーがぶつぶつ寝言で反応したので、あわてて動きを止める。
(やべぇなぁ)
パウリーの両足は、とっくに痺れはじめていた。
でも、自分の膝の上で安心しきって丸くなるこの生き物の眠りを邪魔したくなくて。
彼は限界を超える決心をかためた。
が、しかし。
「あの二人、何やってんだ?」
朝食の仕込を終えたサンジが甲板に現れた。
「なんだか知らねぇが、登ったままだ」
ゾロは朝のトレーニング中。
「よし、見てくる!」
ルフィーが腕を伸ばした。
全身の震えを、額に噴出す汗を。
パウリーは歯を食いしばってこらえていた。
すべてはこの小さな生き物を守るため。
(くっそぉぉぉ〜〜〜〜〜〜!)
パウリーの口から噛み切られた葉巻が落ちたその時。
「お〜〜〜〜〜〜い!」
下のほうから声が近づいてきた。声ばかりでなく、見覚えがある麦わら帽子と赤い上衣も視界の中を飛んでくる。
「おい・・・待て・・・・・」
思わず呟くパウリーの目の前に、ルフィの身体が勢いよく着陸した。伝わる振動にマストが、そして見張り台が揺れ、パウリーの身体が数センチ飛び上がっ た。
「あ、悪い」
ルフィが麦わら帽子を押さえていた手を放した瞬間。
「ぐおぉぉぉぉぉ〜〜〜〜〜〜!!!!!!」
船中に、そして朝焼けのウォーターセブンの街の中に、この世のものとは思えない雄叫びが響き渡った。
「あいつ・・・・・・今度は何をやらかしたんじゃ」
早朝のランニングを楽しんでいた一人の男は、足をとめて港を見下ろした。
その頭上を白い鳩が飛んでいく。黒いネクタイが目をひく。
こうして、船出はなんともにぎやかな見送りつきの大げさなものになってしまった。
もっとも、見送られる当の主役はいまだ見張り台の上にいた。
「血の巡りをよくしなくちゃいけないんだ」
小さな船医が真面目な口調で説明しながら、慣れた手つきでマッサージを繰り返す。そのたびに口から漏れ出しそうになる叫びをなんとか噛み殺しながら耐え ていたパウリーだったが。
「ここがツボだ」
チョッパーの蹄がその場所をぐっと押した。
「うおぉぉぉぉぉ〜〜〜〜!!」
叫んだパウリーは思わずその腕の中にチョッパーの身体を抱きこんだ。
温かな毛皮は太陽の光を連想させる匂いがした。