例えばそれが適うはずのない祈りに近いものだとしても。
自分の心の中にあるはずのない気持ちの悪戯にしか思えなくても。
存在に気がついてしまった以上、それを否定することの方がまやかしということになる。
笑わない男。
1度でいいから笑顔を見てみたいと言われ続けている男。
その男ルッチは剥き出しの床の1点に無言の視線を投げていた。
もしかしたらと思ったのが、そうだったのかと気づいた時とどちらが彼らしかっただろう。今となっては思い出すのも意味がない。
1週間ほど前だっただろうか。ちょうど月が替わって新しいガリオン船の設計図が下りてきた頃。あの頃から1番ドックの片隅でこっそり交わす囁き声が聞こ えるようになった。
「1度借金をチャラにしてやるってのはどうだ?」
「それは無理じゃろうなぁ。できたとしても結局はあいつのためにはならんじゃろうし」
「今年こそは逃がさないぞ。それにしても全然気がついてないように見えるんだが、どうしていつも最後は逃げられるんだろうなぁ」
ルッチはなんとなく聞こえてくる声を耳に通しながらカナヅチをふるっていた。彼には関係のないことだ。昨年の今頃も彼の周りはちょうどこんな雰囲気だっ た。何を騒いでいるんだか、とあきれながら仕事をした。巻き込まれなかった一方で疎外されたわけでもなかったから、人一倍観察力に優れた彼は周りの状況を 完全に把握していた。そして彼の予想通りその隠れた騒々しい1週間のおかげで仕事は遅れ、7月の2週め以降は毎日残業になった。迷惑この上なかった。
(今年もか)
そう思うと、今から追い込みをかけておくかいっそ気力を失くすかのどちらかにした方が得なような気もしてくる。こんなことを思ってみても結局彼はペース を乱さずに仕事をしてしまう性分だったが。
そうして大の大人の男たちの中で交わされる秘密、秘密の愚かしいほど滑稽な空気の中で数日が過ぎて行った。
(明日は休みだったな)
ルッチはその視線で仕上がり具合を確認し、この板の分だけ処理してしまったら仕舞いにしようと心積もった。周りに不自然に人の気配がないのは、その明日 が休みだと言うことに理由がありそうだった。明日は彼らにとってのXデー。何かかにかの行動をとらずにはいられないのだろう。普通は逆だろう、という気持 ちもある。休み前ならキリの良いところまで進めておいた方がいいのは明らかだ。なのに、ここの連中ときたら。
(まあ、いい)
たまには静かな中での仕事も悪くない。誰も彼に話しかけず、彼も気を配る相手がいないから肩の上の1羽の相棒に心ゆくまで惰眠を楽しませることができ る。
だから、再び作業をはじめたルッチは眉をひそめて顔を上げたのだった。
心に騒々しく響く気配がどこからともなく伝わってくる。誰のものかわからずにはいられない。そのくせ足音がしない。それが妙に気に障る。
「おぉ〜っと、しくじっちまった」
上から落ちてきたその姿はルッチの真後ろで鈍い音をたてた。その音と同時に首に回された腕から思いがけない熱さが伝わってくる。
「お前、もう仕事もいい感じに終わりだろ。ちょっとつきあえよ。助けてくれ」
鼻腔に流れ込む葉巻の匂いと陽気な声。
なぜここにいる、と不思議に思う。このところの騒ぎの標的であるはずのこの男が。
『帰ったんじゃなかったのか』
あっさりその腕を振りほどいて目をやると、パウリーは小さくため息をついた。
「帰ったさ。でもここの連中が山ほどどっからか湧いてきやがる。こいつは絶対俺の部屋も誰かが張ってるに違いねぇからなぁ。何とか巻いて逃げてきた。まっ たく借金取りより怖いぜ、あいつら」
パウリーの声を聞きながら予定通りに仕事を終えて、ルッチは道具を作業台の端に並べた。自分の動作をひとつひとつ見守るパウリーの視線が肌の上を通り過 ぎる。何を待っているのだろう、とルッチは思う。彼はこういうのは好きではない。煩わしさ、時には嫌悪を感じることさえある。それが人には伝わって、ごく 少数の人間を除いてはみな、彼に目をやるときは短い視線を送ってくるようになった。街人たちの無邪気としか言い様のない視線も正面から来ることは滅多にな い。
その暗黙の了解をもっとも大胆に破ってくるのがパウリーだ。
いや、パウリーはその「了解」に気づいてすらいない。視線どころか平気な顔でさっきのように彼の首や肩に腕を回す。そして、笑う。強引にどこかへ連れ出 そうとする。温かな体温を押し付ける。
『祝われてやればいいだろう。お前、他人の時は先頭に立って騒ぐくせに』
昨年も不思議に思ったのだ。年中お祭り男のパウリーがなぜ主役の座を約束されている年に1度の日を避けるのだろうと。あの顔全体に広がる笑顔で諸手を挙 げて歓迎するほうがパウリーらしいはずだ。
そのパウリーは頭をがしがし掻きながら葉巻のはしを何度か噛んだ。
「いいじゃねぇか。苦手はものは苦手なんだよ。よし、終わったな。行こうぜ!」
『どこへだ。俺は帰るだけだ』
「うん、だからよ、」
パウリーの葉巻を咥えた口が限界を超えそうな曲線を描いた。
「ほら、ちゃんといろいろ買ってきたからよ!行こうぜ、お前の部屋」
なぜ、そうなる。
ルッチは言葉を返す気にもならず、工場の灯りを消した。
「だから、そっちはマズイって」
いつもの門に向かおうとしたルッチの腕をつかんでパウリーはズンズンと全く別のほうへ歩き出した。
どこへ行こうと言うのだろう。ふりほどくのは簡単だったが興味のほうが先にたち、ルッチは引かれるままに黙ってついて行った。いくつもある作業場の間を 縫い、積み上げられた材木の山の後ろを通り。ルッチの頭の中ではドック内の地図上の自分たちの位置が展開されていた。
『なるほど。ここから入ってきたわけか』
ドックのはずれの何気なく置かれた廃材の小山。その横を通って後ろに潜り込むと植え込みにトンネルができていた。そこをくぐると2人の前に細い水路が広 がり、パウリーのヤガラブルが浮いていた。日ごろ借金取りに追われることが多いパウリーがいつの間にか見つけておいた秘密の出勤路。
「乗れよ、遠慮すんな」
少なくとも自分は部屋に戻るのだから。ここで別れてもごねるパウリーの相手をするのは面倒だ。途中まで送らせる間に部屋への侵入をあきらめさせてどこか 適当なところで降りよう。ルッチは音もなくブルの後ろの席に身を置いた。
「よし、頼むぞ、お前!裏道の裏道を通ってぶっ飛ばせ」
パウリーが飛び乗るとブルの周りにあがった水しぶきがルッチの頭を濡らした。頬にたれてきた雫を拭う間もなくすべる様に進みだしたブルはそれ以上の波を たて、パウリーの笑い声とともに2人を運び去った。
『おい、パウリー』
「ああ?悪いな、よく聞こえねぇ!あとで聞くから」
荒っぽい手綱さばきでブルを操るパウリーの背中。本当に強引な男だ。陽気で強引で無頓着で鈍感で無邪気な愚か者。本当なら関わりたくない、関わるはずの ない、ルッチとは正反対の男。子どもの頃はきっと絵に描いたようなガキ大将だったに違いない。太陽の下で駆け回る姿を想像するのは容易い。ただ、自分がど うしてそんな想像をしなくてはいけないのかがわからない。
濡れた色を見せはじめたパウリーの肩と背中。気がついたルッチは彼の肩にしがみついていた鳥を腕の中に入れた。
「いやぁ、よく走ったなぁ、お前。ここでしばらく休んでろよ」
ルッチの部屋まで歩いてほんの数十歩という水路の端でブルは止まった。陸に上がるとパウリーは買い物が入っているらしい大きな袋からいくつか取り出し て、ヤガラの前に置いてやった。それからポンポンと数回ヤガラの頭を軽く叩いて鬣をすくように撫ぜてやる。ヤガラは嬉しそうに身をよじり一声鳴いて、早速 食事に取り掛かった。あの暴力的ともいえるパウリーの手綱さばきになぜヤガラが逆らわないのか、それどころか主人がそのまま乗り移ったように生き生きと張 り切って水路を進むのか。答えが見えた。1枚の絵になって。
ルッチは自分のブルを持っていない。必要なときに必要な時間だけ借りる。同僚たちはそれは不経済極まりないと口を揃えるが、彼はそうは思わない。心を通 わせれば気持ちが磨り減る。それこそが無駄だと思う。
「待たせたな、行こうぜ!」
さしずめこのパウリーは金だけではなくて心も浪費しっぱなしだろう。つきあってなんのメリットも面白みもないはずの自分にまでこんな態度を見せるなら。
結局部屋の前まで送らせてしまった。偶然の事故のようなものだがこうなるとここで無下に追い返すのはルッチにしても後味が悪そうだった。
『女のところへでも行ったらどうだ』
言った瞬間に馬鹿なことを言ってしまったと思った。
「ば、馬鹿じゃねぇのか!そんなもんいるわけねぇだろうが!もしいたら・・・・ってそんなアホくさい想像すんな!」
紅潮した顔で一気に話す様子は、ルッチの想像したとおりの反応だった。不思議な男だ。ヤガラを操る、金をギャンブルにつぎ込むその強引さを異性に向ける ことがない。それどころか古臭い女性観をしっかり持ってふりかざす。
『・・・少しだけだぞ。俺はしっかり眠りたい』
「おう。飲めばよく眠れるってもんだ」
喜色満面。パウリーのためにあるような言葉だ。何がそんなに嬉しい。どうしてそう簡単に喜ぶことができる。
ルッチはポケットから取り出した鍵をゆっくりと鍵穴に差し込んだ。
「うお!今日も美味そうだな〜」
部屋に入ったパウリーはルッチを追い越して、ポツンとひとつカウンターにのっているシチュー鍋の蓋を開けた。中には昨夜煮込んだ水水肉のシチューが入っ ている。
それにしても。パウリーはこの部屋に来るのは2度目だ。この前は酔いつぶれてどうしようもなくなったパウリーをタイルストンとルルが彼に押し付けたとい う事故だった。広場の真ん中にでも捨てて行こうかと思ったが、なんとなくそれもできずに連れてきてしまった。あれが間違いだった。ガレーラカンパニーの中 で彼の部屋を知る者は他にアイスバーグくらいしかいない。彼は孤独を好みわずらわしいものが嫌いだ。酒場に行くときは大抵パウリーに無理やり連れて行かれ るときだ。あの時、目を覚ましたパウリーは彼が半分ほど食べた残りのパイを見つけて大喜びした。それが彼が焼いたものであることをなかなか信じようとはせ ず、放っておいたら瞳を輝かせながら全部食べた。
「食おうぜ、食おうぜ!」
勝手に温めはじめたパウリーは本当に嬉しそうだった。
部屋中にシチューの香りが漂いはじめる。悪くはないな、とルッチは思う。彼は決して料理が好きなのではなく、食べることにも執着はない。必要なときに気 が向いただけ作る。外ですませることも多い。パウリーがこの部屋に来た2回とも彼の料理がある時にぶつかったのは偶然に過ぎない。それを幸運と呼ぶのはパ ウリーの勝手だ。
「ちょうどいい皿が1枚しかねぇなぁ」
皿を山盛りにしながらパウリーは部屋の中を見回した。
「ほんと、ここは何もない部屋だよなぁ」
ドア、二つの窓、カウンター、ベッド。空間があまった中で部屋の中心は窓敷居に置かれた鳥籠のように見える。
「ほら、食うぞ、ルッチ!」
そう言いながらパウリーは袋からゴソゴソと酒のビンやらつまみやらを出して湯気が昇る皿の隣りに並べた。それからルッチの方に笑いかけ、早く早くと手招 きをする。
『何をしてる?なぜ座らない』
カウンターの横に突っ立つパウリーの姿にルッチは首を傾げた。
「いや、椅子は1個しかねぇからよ。お前、座れよ。俺は立ってても平気だ。皿も1枚しかねぇからよ、一緒に食おうぜ。男同士だ、気にすんな」
それが男と女にしても別にまずくはないだろう。パウリーの台詞はルッチの耳には子どもじみて聞こえる。そしていかにもパウリーらしいと。
『俺は今はいい。勝手に食べてろ』
ルッチは脱いだ帽子をベッドの上に放り、鳥籠の横に立っている古いラベルのボトルから濃い色の液体をグラスに注いだ。
「そうかぁ。悪いな。じゃあ、いっただっきま〜す。あ、こっちにつまみや酒もあるからよ、お前、食いたくなったら遠慮しないで来いよ」
パウリーは上着を脱いでスツールの背にかけるとまたがるように座って食事にとりかかった。
ルッチはベッドに腰を下ろすと手の中のグラスを軽く揺らした。彼はパウリーとは違って酒の量に喜びを感じない。好みの味の、喉の奥まで熱を伝えてくれる 酒をゆっくり味わう方がよかった。口から鼻に抜ける香りを楽しめる間の量がちょうどいい。
一口含んで飲み下す。重ねるごとに深まる。
『お前、なぜ祝わせてやらない』
口からこぼれた言葉は彼自身にも偶然のように思える。偶然。パウリーが関係してくるとなぜかこの偶然が多い。
パウリーは空にした皿を満足そうに脇に寄せて酒瓶の栓を抜いていた。丸くなった目が驚きを表しているのだが、その原因がルッチにはわからない。
「お前、そんなことに興味があんのか?つまらねぇことだろ?」
『すこしばかり不思議に思う。それだけだが』
「俺にはお前の方がよっぽど不思議だけどな〜」
パウリーは酒瓶を数本抱えて歩いてくるとルッチの前の床に胡坐をかいた。そうして彼を見上げるパウリーの顔に見たことのない表情がよぎった気がした。
「俺、慣れてねぇんだよ。誕生日なんてガキの頃から祝ったこともねぇ。お前は知らねぇだろうがよ、この街は俺がガキの頃はこんなににぎやかな街じゃなかっ た。誤解すんなよ、楽しい事だっていっぱいあったさ。毎日があっという間だったしよ」
ボトルを傾けたパウリーの喉が音をたてた。
「でも、俺の周りにはよ、誕生日を祝ってる連中なんか一人もいなかった。祝い事は新年1度。その新年だって笑って迎えられなくなっちまった奴がたくさんい た。・・・祝うのはいいんだ。嬉しそうな顔を見られるし、酒飲んで騒いで楽しいじゃねぇか。でもよ・・・」
パウリーの顔はわずかに俯いた。
「俺はダメだ。俺はいらねぇ。逃げ出しちまった方が楽だ」
束になって追いすがる強面の借金取りたちを笑いながらかわし切る男が。海賊に刃を突きつけられても作業の手は止めないこの男が。
ルッチは無言のまま金色の頭の天辺を見下ろしていた。
「だから、」
再び上がったパウリーの顔には見慣れた笑顔が溢れていた。見慣れるということは必ずしも平気になるということではない。無関心になるということでもな い。ルッチはそれを確認した。
「俺、お前のところに逃げ込んでやれって随分前から決めてたんだ。お前は祝い事が嫌いそうだし、何かほっとけない奴だし、料理がうめぇしな」
ずっとそのつもりだったのか。たまたま逃げてきたところに彼が居合わせたわけではなかったのか。
ルッチは深く小さく息を吸った。追い返さなくて・・・よかったかもしれない。
「ほら、飲むぞ!酒屋を3軒回ったんだからな。お前の好きそうな奴ってなかなか転がってないのな〜。俺なんかいっぱいあったぞ」
『お前は飲めれば何でもいいんだろう』
「馬鹿だな〜。葉巻との相性って奴が大事なんだよ。これがなかなか難しいんだぜ」
そう言えば、とルッチは思い出す。この間もパウリーの葉巻の匂いが何日も部屋の中に残った。普段から慣れているはずのその残り香は、自分だけの領域の中 で触れるとまるで目新しく思えた。それがまた、こうしている間にも部屋の壁に、カーテンに、空気に刻まれていく。そのことを自分は嫌なのだろうか。それと も。
『少しだけ、と言ったぞ』
「何だよ、朝までなんてすぐじゃねぇか」
パウリーは大きくボトルから呷った。グラスは彼の手の中のひとつだけ。仕方がない。
ルッチはグラスを干した。
「ほらよ」
渡された酒は彼が飲んだことがないものだった。
「店のオヤジの一番のおすすめだ。いやぁ、驚いたぜ。お前がいつも飲んでる奴を教えてよ、そういう好みの奴が飲めそうな酒を教えろって言ったんだ。そした らこれを出してきたんだけどよ。こういう酒って安くねぇのな!」
誕生日に人の酒を選んでる場合か。
出掛かった言葉はルッチの喉元で止まった。
しっかりはまったコルクを緩めると癖のある香りが流れ出した。緑の葉と木のヤニ。味わいよりも香りを楽しむタイプの酒だろう。
ルッチはグラスに4分の1、透明な酒を注いだ。確かめるように表面を見つめ、持ち上げて香りを吸い込む。
また、パウリーの目が彼の動作をひたすらに追っている。珍しいものを見るように。大人を見る子どものように。
ルッチは唇にグラスをあてた。
「うまいか?」
まっすぐにかけられる言葉と視線。それは意外にもどこか心地よかった。
『悪くない』
言った時の心のどこかにあった気持ちに答えるようにパウリーは満面の笑みを返してきた。
(ああ、この笑みを、俺は)
ルッチは今度は少し大きくグラスを傾けた。
その瞳は静かに閉じられていた。
そして、ルッチは剥き出しの床の1点に無言の視線を投げていた。
薄明かりが射しはじめた窓の外から少しずつ街の音が目覚めはじめたのが聞こえる。
床の上には金色の頭とがっしりとした身体が転がっていた。
飲んだ量はパウリーの方が多い。アルコールの度数を考えると彼もかなり飲んだ。それで、パウリーだけが簡単にあっけなく眠ってしまった。
安心して、口元に笑みを浮かべて。
数時間前、日付が変わったその瞬間にパウリーが言った。
「俺、来年もここでこうやって誕生日って奴を迎えてぇなぁ。・・・・お前になら、おめでとうとか言われても・・・多分嫌じゃないしよ。言う訳ねぇけど」
あのパウリーの言葉があれからルッチの頭の中に何度もふっと浮かび上がる。
2人でそれぞれに酒を飲んだだけだ。交わした会話の9割はパウリーのものだ。なのにパウリーはああ言って、それから間もなく眠ってしまった。
「好きなことを言うだけ言って・・・」
彼の口から本来の声が漏れた。
光を受けて温かく光る髪はパウリーそのものだ。眩しくて目を逸らしたくなる時もあるが、気がつくとその姿を探している時もある。
心惹かれるということに、理屈も主義も信念も割り込む余地はなく。胸のうちを認めるしかない彼がそこにいた。
思いがけない言葉を与えられて簡単に開いてしまった堅固な鍵。
「おまえの誕生日なら、それもいいか」
今ひとときの。
ルッチは窓を開けて空を振り仰いだ。
金色の光と青い空。
目に映るすべてが足元で眠るその男に似ていた。