a bouquet

 俺、来年もここでこうやって誕生日って奴を迎えてぇなぁ
 ・・・・お前になら、おめでとうとか言われても・・・多分嫌じゃないしよ
 言う訳ねぇけど



 ほとんど1年前に耳にした言葉と声が心の中に蘇る。ふとしたときにまるで肩の後ろから聞こえた気がして背筋に微細な信号が走る。『止まれ』なのか『逃げ ろ』なのか。その信号の意味はわからない。
 そいつは根っからのお祭り男にしか見えない脳天気な船大工だが、なぜか自分の誕生日を祝われるのだけは苦手だという。そのくせ彼の誕生日を知りたがって 煩かったりもしたため海に落ちる羽目になり不器用な人工呼吸をほとんど受けかかったりもした。そしてそいつはあれから誰かを相手に唇を合わせる練習をした 気配はない。顔に出すなという方が無理な男だからすぐにわかる。
 あの後数日はそれまでのようにからんでくることがなかったのでこれはかなり薬が効いたかと考えた。一週間ほど経つと今度はケロリとした顔で昼休みや仕事 の後に声をかけてくるようになったのだが、彼が誘いをことごとく断るとかなりいじけて顔を合わせれば頬を膨らませて見せるようになった。ガキだ。放ってお きながらもどこか自分が楽しんでいる気がして落ち着かない気分を味わっているとそのうちまたあの時期になった。パウリーの誕生日を祝おうと虎視眈々と狙っ ている連中とそれを避けようとするパウリーとのチェイス。本人たちの真剣さに比例して傍観者である彼の中に冷めた気分が増していった。

 今、どこにいる、パウリー

 ルッチが立っているそこからは雲がとても近い。
 全身にあたる海風と頬にあたるそれとの間に差があるような気がした。肩にとまっていた相棒を腕の中に入れるとクークーと感謝の意を示された。町並みとそ の間を走る歩道と水路を俯瞰する。細かなところが見えない人間の動きはあいまいでどこかコミカルだ。ざっと見渡した限りでは追う者も追われる姿も見当たら ない。
 だから、何だ。
 唇が自嘲に歪んだ。
 仕事が終わってから30分ほどかけて道具を整理した。普段から仕事の前と後には乱れ一つなく整然と並んでいる道具たち。そばを通りかかった職人たちは彼 がどこの何を整理しようとしているのかわからずに首を傾げた。もしも真っ正直な質問をぶつけてくる者がいたら・・・恐らくルッチ自身にも答える事はできな かっただろうが。
 機械的に場所を入れ替える事にも飽きてそれから30分は一番ドックの中でハットリを運動させた。羽で軽々と空を飛ぶハットリにはわざわざドックで運動す る必要性は少しもなかった。逆に言えばそこではダメだという理由もないということだ。そんな風に自分で自分に言い聞かせていることに気がついてすぐにその 場を離れた。
 トンッ
 軽い靴音ともに着いた高い建物の屋根の上はよくわからない今の気分にピッタリであるように思えた。

 今年は祝われてやったのかもしれないな

 パウリーを追っている連中の中にはカクがいる。少し本気を出せばあっという間にあの粗忽者の首根っこを掴み上げられるはずだ。くだらない追いかけっこに 参加しているのは周囲の人間たちに溶け込むための手段にすぎないだろうし、あの身体能力をこれ以上見せるわけにはいかないという制限からこれまでパウリー が無事に逃げられてきた理由はわかる。だが、カクは・・・不思議なところで負けず嫌いを見せる人間でもある。ルッチはカクがその負けず嫌いを彼以外の人間 に向ける場面を数回目撃している。

 どうでもいいか

 ルッチが隣りの屋根に飛び移るとハットリが傍らに舞い上がった。
 腕の中にあった小さな熱が離れた事をなぜか意識した。
 ずっとパウリーとまともに話をしていない。いじけさせて放っておいたのは他ならぬルッチ自身だ。あのふくれっ面のどこに面白みを感じていたのかなど今は もうわからない。

 トンッ・・・トンッ・・・トンッ

 カクとは違って『山風』めいた姿をこれまでこの街で見せた事のないルッチがこうして屋根の上を進む事・・・それは何かへの馬鹿げた反抗心のようにも思え た。振り仰ぐとハットリが気持ち良さそうに羽を動かしていた。ルッチの視線に答えるように小さく一度首を回した。



 ト・・・ン

 靴音をこれまでになく意識した。
 眼下に見えるのは間違いなくオレンジ色のゴーグルをつけた金色の頭・・・パウリーだった。胡坐をかいて座り込んでいる場所はルッチの部屋のドアの前。腕 の中に抱えている大きな紙袋の中身は間違いなく、また、酒とつまみだろう。
 こんなところで。
 パウリーは荷物を脇に置いて大きく腕を伸ばした。同時に顔いっぱいの欠伸をし終えると、また袋を抱え込んだ。
 そんなに大切なのか、その買い物が。
 ルッチはしばらくそのまま静かな視線を落としていた。
 それから音をたてずに屋根を蹴った。

「うわっ!お前、どっから湧いて出た!ここはブルで水路を来るしか来れやしねぇところだろ?」

 建物の間から姿を現したルッチの前でパウリーが目を丸くした。しかしそれは一瞬で、すぐに顔全体が綻んだ。

「遅かったじゃねぇか〜。腹は減るし喉乾いたし。今日もよ、お前の好きそうなやつ、選んできたからよ!」

 パウリーはしっかり抱えていた袋をルッチの前に勢いよく差し出した。
 ルッチの手が反射的に数センチ動いたがすぐに重力に任せて下りた。

『・・・鍵を開ける。邪魔だ』

 パウリーは機敏にルッチの傍らに移動した。

「すげぇ。お前、覚えてたのな、去年の約束」

『・・・何がだ』

「だってよ、じゃなかったらこんな簡単に鍵開けてくれるわけねぇもんな」

 喜色満面とはやはりパウリーのためにある言葉だ。ルッチは真っ直ぐに自分を見る瞳に浮かぶものから目を逸らしたくなった。約束などしていない。待ってい たわけでもない。ただ・・・どこにいるか知りたいと思っただけだ。まさかこんなところにどっかり座り込んでいるとは思わなかったから少々驚いた、それだけ だ。
 ルッチが冷ややかな視線を向けるとパウリーは首をすくめて笑った。

「怒んなよ。忘れてたんならそれでもいいさ。俺はず〜っと楽しみにしてた。おかしいのな。自分の誕生日を待ち焦がれてる普通のガキみてぇにさ」

 ・・・ガキみたい、じゃなくてガキそのものだ。
 ルッチは黙って鍵を回し、ドアを開けた。
 予想とは違ってパウリーはルッチが中に入るのを待っていた。陽気な声であいさつをがなりながらもルッチから数歩遅れて部屋に入った。

「やっぱ何にもないのな、お前の部屋。覚えてたまんまだ」

 ぐるりと部屋を見回したパウリーの声はどこか嬉しげだったからルッチは怪しみながら目を向けた。

「ほらよ!ここに・・・」

 言いかけたパウリーは一瞬言葉を止め、一気にカウンターに走った。

「すっげぇ!鍋二つ!うおぉ!」

 二つの鍋の蓋を取ったパウリーの雄たけびを無視してルッチは帽子をベッドに放り、腰を下ろした。その口元をあまりに小さな微笑が通り過ぎて消えた。
 水水肉のシチュー。酒で似た果実を皮で包んで焼いたパイ。
 鍋の中にあったのはそれぞれ、これまでに2回だけルッチの部屋に来た事があるパウリーが来るたびに勝手に平らげてしまった料理だった。

「なあ、ルッチ・・・・これってもしかしてよ」

 パウリーの顔をルッチの氷の視線が貫いた。おとなしく口を閉じたパウリーは頭を掻いて笑った。

「まあいいや。そういうことにしとこう。・・・でさ、ほら来いよ!俺だっていろいろ準備してきたんだぞ〜」

 パウリーはカウンターの上で紙袋を開いた。
 大き目と小さ目の皿が2枚ずつ。
 厚めで大ぶりのグラスが2つ。
 フォークとスプーンが2本ずつ。
 酒各種。つまみ各種。小さな花束。
 ・・・花?
 ベッドに座ったまま無感情に並べられていく品物を眺めていたルッチは眉を顰めた。パウリーが花を買う光景はおよそ想像できないものだった。そんな金があ れば酒かケーキを買い足しそうなものだ。
 パウリーはその花束を見てそっと手に持った。その瞬間彼の顔に浮かんだのは似合わないほど穏やかなあたたかさだった。

『・・・お前が買ったのか?』

「お、気になるか?なんも興味ねぇって顔してよ!」

 破顔したパウリーは弾む足取りでルッチの前に歩み寄った。そしてポン・・・と花束をルッチの膝にのせた。

「これ、やる。どうやらそういうもんらしいからよ」

 意味がわからん。
 ルッチが目で問うとパウリーの顔全体が一気に紅潮した。

「訊くな!俺だってよくわからねぇんだ。街角で細っこいガキにつかまってよ・・・そいつが俺に言ったから・・・」

 今日は何か嬉しいことがある日なんでしょう?だったらこの花を大切な人にあげるといいよ。そしたらその人にもすっごく嬉しいことがあるから

「ああもう〜、だからよ、もう訊くなって!」

 何だか不思議な目をしたガキだったんだ、とパウリーは言う。
 すべては花売りの客引き言葉だろうとルッチは思う。
 嘘くせぇよな〜、と呟きながら顔を赤くしているパウリーを愚かなほど単純だと思う。そして。なぜか唇が曲線を描きたがる。
 ルッチが立ち上がるとパウリーは一歩引いて不思議そうな顔をした。

「ルッチ・・・?」

『水に入れる』

 しばらく考えてようやくそれが花のことだとわかったパウリーはすぐにルッチに追いついた。

「じゃあよ、ほら、お前んところのグラス使えよ。あれ、お前1個しか持ってないだろ?今夜は俺が買ってきたこっちのグラスで一緒に酒、飲もうぜ」

 ルッチはパウリーが指差した2個のグラスを見た。厚手で見るからに重そうなごつい風合いはルッチの好みではない。限りなく薄くて触れた途端に唇の一部と 化すものが本当は好きだ。だからそういうグラスを一つだけ持っている。部屋ではそれでしか飲んだことがない。

「さ〜て、どれから飲もうかな〜。お前、花入れちまえよな。俺は酒を作っとくから。え〜っと氷は・・・」

 無邪気にどんどんテリトリーを侵していく後姿を見るルッチの目は細くなり、それからゆっくりと緩んだ。
 いいのか、そんなに無防備で。素手で身体を引き裂ける殺し屋の前だというのに。
 ふわり、とルッチはパウリーの後ろに立ち、手を伸ばした。

「うわ、なんだ、お前!」

 妙に慌てたパウリーが真っ赤になって振り向いた。ルッチはそれを無視して手を伸ばすと棚からグラスを取った。カウンターの上の水差しから水を満たし花を 放り込んだところでパウリーがそのまま硬直していることに気がついた。

『・・・キスされるとでも思ったか?』

「ば・・・!んなこと、期待してねぇ!・・・って・・・いや・・・あの・・・」

 体中の血液が顔の血管に集中してしまったのじゃなかろうか。
 自分が発した言葉を引き戻そうとでもしているように口をパクパクさせているパウリーをルッチはただ、眺めた。愚かだ、と思った。この感じだとあれから一 体何度ルッチの唇を思い出したのだろう。他人の心にそうさせるように修練されているのだからそれはただの当たり前の惑いだと・・・言ってやろうかと思った がやめた。愚かで単純で無垢な者はそのままにしておいた方が面白い。それがパウリーである場合だけは。

『もう、しない・・・俺からは』

 与えても意味がない口づけなのだから。
 言ったルッチの顔にはやわらかな微笑があった。
 パウリーは息をすることを忘れてそのルッチの顔を見た。

「・・・ルッチ」

 ルッチは視線を落として水の中で揺れる花に指先を触れた。
 嬉しいこと。
 そんなもの、彼には一生縁がない。花が呼ぶそれは熱い生命の終焉と血潮によって生まれる病的なそれとは違うだろうから。
 パウリーは目の前の姿を見つめながら一歩、近づいた。
 無感情で冷ややかで冷静この上ない男の姿に彼は時折わけもなく胸をつかれる。もっと違う出会い方をしたかったと思うこともある。もしもまだガキの頃から 互いを知っていたら、もっと簡単にガキ大将だった彼の世界に巻き込んでいろんな冒険をし、ともに一流の船大工を目指して並んで歩いてこれたかもしれない と。
 友情、愛情、性愛。灰色がかった雲の写真
 パウリーの心の中にある想いはそんな言葉による区別とは縁がなく、ただ、『好き』という言葉に集約されていた。
 もう一歩近づこうとするパウリーにルッチはいつもの皮肉を含んだ笑みを向けた。

『焦るな。動揺した勢いで馬鹿をやっても後で後悔するだけだ』

 ルッチはパウリーの手から氷が入ったグラスを一つ奪い、無駄のない手つきで酒の封を切って静かに注いだ。

『一応・・・お前の誕生日に』

 軽くグラスを上げたルッチはゆっくり一口含んで飲んだ。誕生日を祝うことが嫌いな男にはいらない言葉だったと苦笑した。初めて言った祝いの言葉はあまり に、いかにも不器用に思えた。
 見ればパウリーはじっと視線を返してきた。そこにある感情が含羞に気づかせるものだったのでルッチは小さく咳払いをした。

「・・・やっぱ、お前に言われるのは悪くねぇな」

 ぽつりとパウリーが呟いた。

「俺、がんばってみよっかな〜」

 何をだ。
 訊かない方がいい。言葉を飲み込んだルッチにパウリーはまたあの満面の笑顔を見せた。



 もう年齢的にはたっぷり大人の船大工が迎えた誕生日の日。
 彼はひとつだけ年を重ね、そしてひとつだけ自信をつけた。

2006.7.6

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