比類なき

イラスト  人には二面とは限らずいろいろな面がある。
 0と1で構築された枠にすべてを当て嵌めることは到底不可能。
 そのことを開発コードHC−IIIX、今は"ガンスリンガー”と呼ばれるどこからどこまでも無駄のない殺戮人形に知らしめたのはもしかしたらある一人の 神父、に見えてその中味がどこまでも謎である存在の平和時の日常かもしれない。



「いや、もう、ウチの上司、ものすごく厳しい人で、こんなとこを見られちゃったらあとで何て言われるかわからないんですぅ〜」

 差し出された包みから手を遠ざけるように上腕をまげてヒラヒラと振る背が高い神父の顔にはオーバーなほど慌てた表情があり、その後ろに困ったような笑み が見え隠れしていた。

「でも・・・。あの、これは寄付ということにすれば受け取っていただけますか?神父様への個人的な・・・・」

 首を限界まで傾けて神父の顔を仰いだ娘は、そっと助けを求めるように神父の背後に立つその神父に比べると小柄な姿に視線を送った。
 視線は受け止められた・・・かもしれなかった。しかしそのもう一人の神父の禁欲的にも見える無表情な顔は何の反応も示す様子はなかった。一瞬娘を捉えた 視線はすぐにまた冷たいまま同僚の姿に向けられる。

「どうしてもだめですの?私、毎日神父様が店の前を通らないかと心待ちにしておりますの。背がスラッとしてらして敬虔でお優しいお顔で・・・今度会えたら とずっと思っておりましたのに」

 娘の声音に熱意がこもればこもるほど、神父の青い瞳は静かに深く沈んだ。

「申し訳ありませんが受け取るわけにはいかないんです〜。今度、お給料が出たらぜひ・・・・あの、ちゃんとお財布に残高があればですが、ぜひお店の方に伺 いますから!」

 華やかなリボンに一瞬視線を落として微笑んだ神父は上半身を深く折って一礼するとそそくさと早足で場を離れた。規則正しい足音がそれに続く。

「いやぁ、こんな風に突然モテちゃうと驚いちゃいますね〜。わたし、あんな風に想っていただけるような人間では全然ないのに・・・」

 後半を口の中で小さく呟いたアベルは追いついて隣に並んだトレスを見下ろした。

「早く戻らないとカテリーナさんにほんとに怒られちゃいますね。わたし、先週の任務の時の領収書を今朝発見したんですよ。カテリーナさんがご機嫌いい時に 出して受け付けてもらえないと今月はそろそろ飲まず食わずの覚悟をしなくちゃいけないんです。そうなったら、もう、おしまいです〜」

 トレスはちらりとアベルの顔を見上げたが、そのまま無言で今度は彼が半歩先に立った。

「あれれ、トレス君、質問とか何もなしですか?『その領収書の額は高額か?』とか『俺がミラノ公に提出代行することが可能だが?』とか・・・・」

「否定。任務は報告と事務作業のすべてを終えるまで完結したとはいえない。速やかにミラノ公に提出することを推奨する」

 トレスの歩調が崩れることはない。哨戒中ということで恐らく備わっている全センサーを日常モードで働かせながら一周する彼の目的地は、ただまっすぐに主 人の元、その一箇所だ。そんな姿は猟犬というよりも見えない姿を慕う子犬の空気を纏っているようで、アベルの口元をゆるませる。一撃必殺という言葉が命を 持ったような存在をそんな風に感じるのは自分だけかもしれないと思いながら。

 二人が"剣の館”に帰りつくとトレスは階段で足を止め、アベルに振り向いた。段差1段分は二人の視線の高さをちょうど水平にした。

「卿はその領収書を今所持しているか?ナイトロード神父」

「あ・・ええ、今朝ポケットの奥で見つけたままですから」

 答えたアベルは左腕をトレスの手に掴まれて目を丸くした。

「あの・・・トレス君?」

「このままミラノ公の執務室に先導する。同行を、ナイトロード神父」

 しまった、と思った時にはすでに遅く、アベルはそのままトレスに腕を預けたまま引かれていくしかなく、その『連行』光景を笑顔で迎えた二人のシスターそ れぞれに助けを求めることも出来ず、そのまま二人の神父は長官執務室の前に到着した。

「お入りなさい」

 中から聞こえてきた声を耳にしたアベルは違和感を感じてトレスに目を向けた。見ればトレスもドアノブに手を掛けたまま1秒ほど動きを止めている。これは 通常ではあり得ない行動だ。

「哨戒終了だ、ミラノ公」
「あの〜、ただいま戻りました、カテリーナさん」

 開けたドアから部屋に入った二人は、背を向けて窓辺に佇む細やかな姿に目を向けた。差し込む陽光を受けて明度を倍にして返すような金色の髪。陶器のよう な白い肌。丁寧に彩られた唇。真紅の法衣を纏った姿は見慣れた高貴な麗人のものであったが、近づく二人の足取りは揃えたようにゆっくりと音をたてなかっ た。

「・・・カテリーナさん?」
「気分がすぐれないのか、ミラノ公?」

 はっとしたように肩を震わせて振り向いたカテリーナの瞳には消しきれないそれまでの憂いを含むような煙った色が浮かんでいた。

「ああ、ごめんなさいね。ご苦労様でした、神父トレス、アベル」

 落ち着いた、そしてほんの僅かに甘やかな声を口にした時、すでにカテリーナの顔には普段の静謐さと切れ味が戻っていた。それでも二人の神父に向けられた 瞳の中にはどこかホッとしたような気配があった。

「疲れちゃってるみたいですね、カテリーナさん。ケイトさんにおいしいお茶をお願いしたらどうでしょう。きっと元気が出ますよ」

 カテリーナは視線をアベルの顔に置いたまま机に向かって腰を下ろした。そうして見上げる角度が変わった事を微笑むように口角を上げ、片眼鏡を外してハン カチを取り出した。

「僕がやりますよ。前はよくやっていたでしょう・・・覚えてますか?」

 やわらかく微笑んだアベルが手を差し出すとカテリーナは手の中のものをそっと彼に渡し、重なった二人の手が一瞬触れ合った。二人はどちらからともなく小 さく笑った。

 丁寧にレンズを拭くアベルの手とそれを見守るカテリーナの瞳。
 トレスはただ二人の傍らにあってその光景に目を向けながらまっすぐに立っていた。

「ほら、きれいになりましたよ、カテリーナさん」

 包みこむようなアベルの声は普段よりも深みを増して響く。それを耳にしたカテリーナは一瞬の後、目を細めて視線を外し、受け取った片眼鏡を静かにかけ た。

「で、アベル。あなたもお茶をお相伴してくれるというわけですね?」

「はい、それはもちろん、喜んで!早速ケイトさんに頼んできますね。あ、お茶菓子なんかもあったらしあわせ・・・いえ、カテリーナさんに元気が出ますよ ね!」

 飛び出して行こうとしたアベルをまたトレスの手が捕らえた。

「シスター・ケイトには俺が伝言を伝える。卿はミラノ公に報告すべき事由があるはずだ、ナイトロード神父」

「ああ・・・う・・・」

 口ごもったアベルの視線が床に落ちた。

<いいえ、神父トレスはそこで神父アベルの見張り・・・いえ、補助をなさっていてくださいませ。お話は全部聞いています。お茶は10分後にお持ちし ますね>

 透明感のある声が宙から響いた。

「そんな〜。これから10分が運命の分かれ道ということですか、ケイトさん〜。おお、主よ!何だかいろいろ突然でお先があまりに真っ暗です〜」

 ぴったりと通常に戻った執務室の中でトレスはアベルに視線を向け続けていた。



「卿の言動は理解不能だ、ナイトロード神父」

 司祭寮に戻るアベルの横を歩いていたトレスが足を止めた。

「へ?まだ何も言ってませんが・・・・トレス君?」

 アベルは生真面目に見える無表情で端正な顔を見下ろした。

「卿はミラノ公のことを部外者に対して『厳しい上司』『恐ろしい』と表現する頻度が高い。ミラノ公の前でも確かに心拍数が上がり言葉に詰まる場面が多い。 だが、同時に卿の言葉とは正反対の印象を受ける場面も少なくはない。これはどういうことなのか、回答の入力を要求する」

 流れるトレスの言葉はもしかしたらアベルがこれまでに聞いた中で一番長い言葉の連なりだったかもしれない。アベルの口元が緩んだ。

「真剣なんですね、トレス君」

「肯定。俺は機械だ。冗談の類は任務内の義務がない以上口にすることはない」

「ええっ!じゃあ、任務で必要になったら冗談を言うってことですか?!トレス君!」

「・・・肯定。だが、卿の発言は本題から著しく逸れている。回答の入力を、ナイトロード神父」

「いや、それよりもそのトレス君の冗談の話を・・・・ああ、わかりました、この話はやめますね」

 トレスの手が腰のホルスターに伸びたような気配を感じたアベルは小さく咳払いをした。

「でも・・・ここからの話は自分でもよくわからないままに話すことですから、上手くは答えられないと思います」

「肯定。上手く答える必要はない。卿の答えを要求する」

 見下ろすアベルと見上げるトレスの視線がまっすぐにぶつかり、互いを受容した。

「あのね、トレス君。人はなかなか本音だけじゃ生きていけないものなんです。・・・わたしはカテリーナさんやトレス君をとても大切に思ってますけれど、こ ういうのって面と向かって言われたり態度で示されたりするともちろん嬉しい場合もありますが、困っちゃう場面もあると思うんですよね」

「肯定。俺はミラノ公の機械だ。卿が俺を重要視する必要はない」

「・・・ね、そうでしょう?」

 寂しげに微笑んだアベルは視線を宙に向けた。

「わたしはカテリーナさんのおかげで今在る姿でいられるわけなんですが・・・これまでの時間を大切に思っていつだって感謝も忘れていなくて・・・でも、そ れは無理に伝える必要はないんじゃないかと思うんです。きっとカテリーナさんはわかってくれてるし、わたしだってカテリーナさんを・・・・・。まだほんの 少女の頃から今のカテリーナさんになるまでの10年があって、これからまた先へ進んで行く10年があって。きっとカテリーナさんはどんどん綺麗になって強 くなっていくんですよね。で、トレス君やわたし、他にたくさんの人が彼女を守りたいと願う。・・・こういうのって言葉で口から出すと相手も自分も弱くなっ てしまうことがあると思うんです。そして逆にしっかり伝えないといけない時もある。弱いところを見たり見せたりしたくなくて全然違う顔をする時もあ る。・・・わたしは、人はそういうものだと思うんです、トレス君」

 低く小さく語るアベルの言葉をトレスは直立したまま聞いていた。
 アベルはふぅっと息を吐くと照れくさそうに頭を掻いた。

「やだなぁ、トレス君が『否定』『理解不能』とか口を挟んでくれないから、なんだかついついべらべら喋っちゃったじゃないですか」

「肯定。卿のミラノ公に対する考え方は理解した」

 トレスは小さく頷いた。

「理解・・・ですか?」

 驚いたように眉を上げたアベルに背を向けたトレスの足元から規則正しい靴音が響きはじめる。

「肯定。最優先事項・・・そういうことだ」

 離れ、主人の元へ戻っていく後姿にアベルはまた頭を掻いて笑った。

「そうか、君にはその一言で良かったんですね、トレス君。ただ・・・わたしの『最優先事項』は一人に限定することができないのが時々とても嫌なんです が・・・」

 囁きに変わったアベルの声は無人の廊下に吸い込まれるように消えた。

2005.10.9

思い出すのはカテリーナにセスのことを報告しようとしたエステルを
アベルが邪魔して阻止したあのときの衝撃
あれはかなり辛かったんです
アベルは何をどこまでカテリーナに話し、心を預けているのでしょう
大好きなカテリーナを突き離されたように思えて悲しかった・・・

トレスとアベル、2人はいつもカテリーナを大切に思っていて欲しい
それぞれが違うカラーで互いの存在を受け入れ信頼していて欲しい
ずっと、ずっと
このページを飾らせていただいた素材は自分の中での
「カテリーナとアベル、そしてトレス」です

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