異 魂 2

 国務聖省本庁舎“剣の館”。その門にいたるまでの道筋で二人の機械化歩兵はこっそりと、或いは時に無邪気に堂々と正面から向けられる好奇心に満ちた視線を 浴びていた。
 歩く姿勢、歩幅も同じならリズムも同じ。一方は外観は神父、もう一方は特務警察という違いはあれど口を閉じた無表情な顔はそこだけならば見分けはつくま い。互いに視線を合わさずに真っ直ぐ前を見ている同じ色の瞳。身体を取り巻く空気の流れに逆らわずに動く髪。
 やわらかな陽光の中で情熱を語り合う恋人たちも花を売る老婆も噴水の周りをグルグルとただ走る子どもたちも。二人を見かけた顔たちがほんのひと時それま での日常を停止して視線を向けた。
 独特の雰囲気を持ったその二人連れは見事にその視線を無視して歩き過ぎていく。
 束の間の不文律を破って最初に声を掛けたのは“剣の館”の門に立つ衛士だった。

「・・・・イクス神父?」

 トレスの顔を知っている衛士は思わず門を挟んで立つもう一人の衛士の方を向いたがそちらはすでに口を半分開けたまま絶句した状態にあったので慌ててトレ スに・・・黒の僧衣を着た姿の方に視線を戻す。

「ええと・・・・その・・・そちらのイクス神父とそっくりの方は・・・ええと・・・」

「肯定」
「否定」

 重なる声が正反対の答えを返した。

「Xというのは俺たちの開発コードに共通する。よってイクスと言う呼称はどちらにも当てはまる」

「否定。俺の現在の呼称はブラザー・バルトロマイだ。開発コードを使用する必要はない」

 耳になじまない言葉を受け止めきれない衛士の顔が今にも泣きそうに歪んだ。彼らにできるのは脇に避けて開かれた門へ二人のイクスを通すことだけだった。 通り際にトレスの方がちらりと視線を向けたが何も言わずに前を過ぎた。

 門を抜けてから長官執務室に到着するまでに結局およそ3578秒の時間を要した。予想外にかかったその時間の原因は二人の前に現れた複数の人物が彼らに とって理解不能な言動を行ったことといえるかもしれない。

 最初は、研修中と思われるシスターの集団だった。まだ幼さの残る者から恐らくつい先日までまったく異質な世界に身を置いていただろうと思われる者までを 含んだ女性の集団は二人を見た途端にそれまで元気よく動かしていた口を止めた。そして殺気と紙一重の強い視線を放ち正体丸出しの稚拙な尾行で後をつけはじ めた。二人は同時に歩調を速めた。国務聖省の職員しか入る事を許されないエリアいたるまでその意味不明な追尾劇は続行された。途中、なぜか戦闘用散弾銃に 幾度か手を伸ばしかけたバルトロマイを見たトレスだったが、自分も両手をホルスターに掛けていたため言うべきことは何もなかった。
 同じ顔が二つ並んで歩いていることに対してこれほどの反応が起きたことがトレスには理解できなかった。世の中の一卵性双生児たちは日々この周囲の過剰反 応をかいくぐって生存しているということなのだろうか。
 バルトロマイが大きく一度首を回した。その動作はトレスの目に少々人間じみて映った。

 次は通路ですれ違った金色の髪が特徴的な神父だった。その神父はすれ違うその直前まで翡翠の色をした瞳にどことなく陰を漂わせながらまっすぐ前を向いて いた。それがすれ違ったその瞬間、物憂げだった瞳の色に光がともり大きく見開かれたそれと唇から漏れた呻きとも叫びともつかない声が静寂さを壊した。

「・・・“ガンスリンガー”か?」

「肯定。これからミラノ公のところに出頭する」

 答えながらトレスは思う。ユーグ・ド・ヴァトー、“ゾードダンサー”は間の距離が30センチメートルになってはじめてトレスとバルトロマイを視界に入れ たと推測できる。深い思考を展開中と見えたあの表情はブラフだったのだ。今後チームを組んで任務につく場合等に備えてこの情報は彼のファイルに付け加えて おいた方がいい。
 バルトロマイはその対象を“ソードダンサー”というコード名の派遣執行官であることを認識した。情報不足のファイルに付加されたのは『若干天然』という 項目に分類されるフラグをオンにすることだった。
 ユーグはそのまま離れていく二人を見送りながら開きかけた口を閉じ、また開いて閉じ・・・それを数回繰り返した。今目にした事態に彼の師が関係している 可能性を思い浮かべながら。

 次は遠目でも背が高く、長い髪が銀色に輝いていることをセンサーが感知できた神父だった。この神父はさっきの“ソードダンサー”とは異なって約30メー トル離れた地点で二人に気づいたらしく、走って一気に距離をつめてきた。

「うわ、トレス君ですか?!どうしてトレス君が二人並んでるんです?うわ〜〜〜〜、不思議で何だか心浮き立つ眺めなんですが・・・・・」

 言葉を最後まで言い終わらないうちに己が踏んづけた僧衣の裾が原因で顔から床に突っ込んで二人の前に滑り込んだその神父はダメージのために倒れたまま小 刻みに身体を震わせはじめた。その光景を見慣れているトレスも初めてのはずのバルトロマイも揃って冷たい視線でアベルを見下ろしたが、やがてトレスがアベ ルの腕を掴んで引き起こし、細かい埃で白くなった僧衣を軽く手で叩いてやった。

「卿の発言は理解不能だ、ナイトロード神父。俺が二人いるわけではない。・・・そっちはブラザー・バルトロマイ。異端審問官だ」

「・・・ブラザー・バルトロマイ・・・・?」

 小さく繰り返したアベルの顔を見たのは彼とバルトロマイの間に立っていたトレスだけだった。アベルの青い瞳にふと浮かんで消えた驚きと痛み。トレスは何 も言わなかった。

「肯定。IIIXとともにミラノ公のもとに出頭するよう命令を受けている」

「・・・IIIX、ですか・・・・」

 呟いたアベルの顔にあった沈んだ色はすぐに消え、頭を掻き掻き笑顔になった彼は改めてバルトロマイの顔をまっすぐに覗きこんだ。

「いや〜〜〜、何だかいろいろ訳ありのお二方のようですが、わかりました!トレス君そっくりのあなたは他人とは思えません。わたしが責任持ってお世話しま しょう!」

「「否定」」

 ぴったりと重なった声が響いた。

「卿と俺は他人だ、ナイトロード神父」

「そんな〜〜、水臭いですよ、トレス君!わたしたちは息がぴったりの相棒で、同じ釜の飯を食った仲間とかいう感じで、とにかくものすごくいい感じ の・・・」

「否定。俺は卿と同じ意味の食事は必要としない。従って一つの調理器具内で調理されたものを分け合ったことはない」

「いや、だからね、そういう『感じ』ですよ、感じ!もし一緒のお鍋のご飯を食べることになったらトレス君にはちゃんと真ん中辺の美味しいところをあげます よ、絶対。で、わたしは底のおこげの部分をいただいて・・・」

 口を挟むタイミングを逃したバルトロマイは理解できない現実を黙って分析しつづけていた。アベル・ナイトロード、派遣執行官、コード名“クルースニ ク”。異端審問官の中で彼を知る者はその実力を決して侮ってはいけないと言っていた。しかし。この何処から見ても脳天気な神父の実力とは何だ?同型機に向 けられた人間同士のような親愛の情は何だ?トレスが事実を告げてもそれを言葉で捻り伏せ続ける思いがけない強引さと根性は何だ?ひょっとしてこれが侮って はいけない実力、というものなのだろうか。この捉えどころのない思考形態と言動が。

「理解不能」

 呟いたバルトロマイはちょうどアベルを振り切って早足で歩き出したトレスの横に並んだ。

「あ、トレスく〜〜〜〜ん、ドゥオく〜〜〜〜ん、あとで一緒にまたお話してくださいね〜〜〜〜!」

 ドゥオ?
 バルトロマイの開発コードに関する情報を与えられていないはずの神父がそれを呼んだ。まるでひとつの呼称のように。感じた強い違和感に関する疑問を口に しようとしたバルトロマイは己に向いてすぐにまた前に向いたトレスの瞳の動きを感知した。今はこれまでにかかってしまった予定外の時間を挽回するために急 いだ方がいい。そう判断した理由を追及することは保留してバルトロマイは再びトレスに並んだ。

 最後は長官秘書室にいた青い僧衣のシスターだった。よく男性型としては『小柄』と形容される二人よりもさらに小柄で華奢なシスターは元々丸い瞳をさらに 丸くして小さな唇を震わせた。

「あの・・・・神父トレスがお連れと一緒に戻られることは先ほど・・・カテリーナ様から・・・あの・・・」

 日常顔を合わせる事が多いシスターの様子を確認するためトレスは一歩踏み出して紅潮した顔を見下ろした。

「脈拍、顔色の両方に急激な変化が認められる。体調がすぐれないなら医務室へ行くことを推奨する、シスター・ロレッタ」

 トレスが手を伸ばして指先でロレッタの左手の脈に触れるとそれはなお一層速さを増した。

「あ、ありがとうございます、じゃないです、大丈夫ですから、神父トレス!・・・いえあの、やっぱりちょっと医務室に行って落ち着いてきます。・・・ええ と、お入りになってください。あの・・・・あの、失礼します!」

 秘書室に残された二人の前で扉が大きな音をたてて閉まった。

「理解不能」

 無言で扉を見たトレスの横でバルトロマイが呟いた。トレスは同じ言葉を繰り返す必要はないと判断して口を開くのをやめた。医務室へ行けば医療スタッフが 今の状態のロレッタに最適な処方を行うだろう。

「その扉が長官執務室に通じているのか?」

 奥の扉に視線を向けたバルトロマイにトレスは頷いた。

「肯定」

 トレスは規則正しいノック音を響かせた。

「お入りなさい」

 凛とした声が静かに答えた。
 この声がこのIIIXの主人のものなのだ。バルトロマイは主人の声を聴くトレスの横顔をセンサーでサーチした。彼自身と同じ表情のない顔。そこにほんの 一瞬彼とは異質な何かを見たように思ったのはセンサーの故障、或いはOSのバグだろうか。戻ったら視覚センサーに関連する部位についてメンテナンスを受け ること。バルトロマイはメモリ内のスケジュールに自発的な項目を書き加えた。

2005.11.8

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