異 魂 3

 窓から差し込む明るさとそこに置かれた家具調度の重厚さが調和した広い室内に三人の人の姿があった。一枚の書類も見あたらない艶やかな広い天板の執務卓。 その前に立つ神父とシスター、そして机の向こう側からトレスとバルトロマイを見つめる緋色の法衣に包まれた枢機卿。
 トレスと並んで歩いていたバルトロマイは一瞬、足を止めた。長い金色の髪と緋色の法衣、白い肌と銀灰色の瞳。微細なパルスが中央演算機構を刺激する。現 国務聖省長官、カテリーナ・スフォルツァ枢機卿・・・その公にされている個人データは彼の中にある。けれどパルスはまるでそれ以外の記憶が存在していた可 能性を伝えているようだ。聖天使城。建物の名前とそこで起きた10体の『殺戮人形』が起こした事件の概要は彼のメモリーにある。それはあくまでひとつの事 件の記録として第三者が書いたものに過ぎず、その10体の中に彼自身が存在していたことも関連した事実として認識しているだけである。当時の詳細な記憶は 彼にはない。彼にはない・・・けれどそれはトレスの中にも存在していないのだろうか。
 バルトロマイは立ち止まった彼を置いて執務卓の前に歩き、そこでどこかいぶかしむように肩越しに振り返ったトレスを見た。トレスのメモリーの中にある最 優先順位を付加された記憶。彼はそれを知っている。その記憶の中でトレスを『モノ』として救い上げたのがカテリーナ・スフォルツァなのだ。少なくともトレ スは自分が主人に出会った場面を記憶している。そしてそれは自分が破壊されかかったことで終わるあの事件の最終場面なのだ。

「神父トレス、哨戒ご苦労様でした。こちらへいらっしゃい、ブラザー・バルトロマイ。この場合、はじめましてと言った方がいいのでしょうね」

 『この場合』。バルトロマイは別の可能性に思い当たった。カテリーナ・スフォルツァ・・・この枢機卿こそ恐らく聖天使城で多くのことを見て記憶している 人間なのだ。もしかしたらバルトロマイ自身と顔を合わせていた可能性もある。恐らく。

「いやあ、想像していた以上にそっくりな二人だねえ」

 全身に素早い視線を走らせてからさらに彼を注視しつづける神父、ウィリアム・ウォルター・ワーズワースの手には火が点いていないパイプがあった。データ にあった習癖と一致する。

<本当に驚きましたわ。お茶を差し上げたいところですけれど、神父トレスと同じで『飲料を経口摂取する必要はない』なのですよね>

 白い僧衣のシスターは姿は立体映像、声は無線を通して発せられている。これが巨大戦艦の艦長なのだ。データを確認しながらバルトロマイはトレスの隣りに 立った。

「そうだ、トレス君。後でドゥオ君と身長、体重、体格なんかをちゃんと測定して比べさせてくれないかね?準備に備えて必要なデータとも言えるからね」

「準備とは何だ?“教授”」

「ああ、それはこれから猊下がお話になることなんだけどね。僕は君の身体については誰より詳しいつもりだがドゥオ君については全く未知と言っていい状態だ からねえ」

<今にも舌なめずりしそうなお顔はやめてくださいまし、ウィリアム。カテリーナ様がお話をはじめられないじゃありませんか>

「肯定。ミラノ公から説明を受けた上で卿に補足事項があれば追加することを推奨する」

「ああ・・・また怒られてしまったね」

 『悪びれない』を絵に描いたようなウィリアムの笑顔にため息をつくシスターとその二人を見守るカテリーナ、そして三人それぞれに視線を送った後それをカ テリーナに向けるトレスの横顔。そのすべてをセンサーで捉えたバルトロマイはデータを記録して処理を保留した。恐らく残す必要があるものはほとんどないと わかっていた。しかし判断はこれからの事態の展開が見えるまで待った方がいい。

「神父トレス、異端審問官シスター・ヨハンナを知っていますか?」

 トレスに問いかけるカテリーナの瞳はなぜかバルトロマイに向けられていた。まるでその名前が機械であるバルトロマイの顔に浮かぶはずのない揺らぎを確認 するためのように。

「否定。面識及びメモリーに保存してあるデータの中にその名と一致するものはない。データの補充が必要か?ミラノ公」

「いいえ。シスター・ヨハンナはブラザー・バルトロマイのメンテナンスを担当している人で、あなたにとっての“教授”のような存在です。・・・・そうです ね?ブラザー・バルトロマイ」

「肯定」

 短く答えたバルトロマイの顔に鋭い一瞥を送ったカテリーナはやがて薄く微笑んだ。

「前回あなたがたは5年ぶりに再会し結果としてブラザー・バルトロマイは破損、神父トレスもそれよりは軽度ですが損傷を負いました。それは偶然とタイミン グに支配された不幸な出来事といえますが、互いの存在を認識する機会であったともいえるのです」

 言葉を切ったカテリーナは前に立つ機械化歩兵の顔を静かに見つめた。黒の僧衣を纏った見慣れた姿は彼女にとって間違いなく最も忠実な部下であり、どのよ うなときも信頼をおける、そしてある意味一番ありのままの姿を見せている相手である。そのガラスの瞳は様々なものを映し出して彼女に示してくれる鏡であ り、表情のないはずの両眼の奥に常に至誠の色を見ることができる。
 そのトレスの隣にあるそっくりな一対の瞳。ブラザー・バルトロマイという名を与えられた殺人人形HC-IIX。外見的に全く同じ作りでありながらそこか ら受ける印象が異なるのは特務警察の制服のためか、髪型の違いとバルトロマイの片目を覆うシェードのせいか。それとも・・・5年前の記憶の中から拾い上げ ることができるいくつかの断片のせいか。

「今は事情も変わりあなたたちが互いを狙って銃を向ける必要はなくなりました。・・・事情はまた変わる可能性もありますが。今回、その事情が変わる前に一 つの試みを行うことを異端審問局側から要請され、先ほどそれを受けることを決定しました。あなたたち二人に関する決定です」

 己に向けられたあまりに相似な二組の瞳はカテリーナの気持ちの底になぜか憐憫に近いものを湧き上がらせる。己を機械だと、人ではなく人によって作られた マシーンなのだと繰り返し主張し続けるトレス。そして心の中でそれ以外の可能性を信じる者たち。カテリーナは常にその間に身を置いていた。トレスを『モ ノ』として生きる道を示した彼女はトレスに対しては己が言った言葉を守る責任があった。そしてその一方で、人間として生きることを知らずそれは何だと彼女 に問いかけたあの無垢な生まれたばかりの者のように見えた表情を思い出してその魂が人として成長していくことを願う気持ちが生まれた。どちらが正しいか、 そしてどちらがトレスにとって幸福と言えるのかカテリーナにはわからない。彼女の銃としてのトレスとトレス個人としての生き方の間にもしも距離が出来たと したら・・・・。己が下した決断は所詮己に都合がいいものを選んだにすぎないのではないか。結果として彼女を守り彼女の代わりに多くの血を流す猟犬を得る 事ができたのだから。結局思いはいつもその結論に行きつく。
 でも、もしかしたら今回の試みは。
 カテリーナとともに歩んできたトレスの生き方を・・・変えるものになるかもしれない。
 カテリーナはトレスとバルトロマイに微笑を向けた。

「神父トレス、ブラザー・バルトロマイ。翌日準備が整い次第、あなたたちの宿舎をこの国務聖省の敷地内に準備中の建物に移しなさい。そこからそれぞれの職 場に通い任務が終了したらまたそこに戻るのです。また、場合によってはあなたたち共同で任務にあたってもらうこともあります。それから、呼ばれたらワーズ ワース神父とシスター・ヨハンナの研究室に通う必要もあります。つまり、期限内の共同生活と互いに関する情報提供・・・それが今回あなたたちに与えられる 任務です」

 トレスとバルトロマイは全く同じタイミングで相手の顔を見た。
 カテリーナの命令はトレスにとって絶対であり、局長からミラノ公の命令に従うことを命じられたバルトロマイにとってもこの場合はトレスと同じであるとい えた。
 しかし。

「共同生活。それによって得られることが期待されているモノは何だ?命令の意図が理解不能だ」

 抑揚のないバルトロマイの声にわずかに含まれる当惑。
 トレスは開きかけた口を閉じた。語られることがなかったその言葉はカテリーナが下した命令に反論するバルトロマイを非難する言葉だったのか、それとも彼 への同意だったのか。トレスを見るカテリーナの顔にやわらかな表情が浮かんだ。

「これはますますトレス君にそっくりだねえ。いやぁ、楽しみになってきたよ。ついさっきから司祭寮のそばに君たちの家を作らせているんだがね、明日までと なると突貫工事だ。で、何せ君達は少々人間離れした体重の持ち主だからねえ。すごく頑丈な建物を作る必要があるんだよ。特に床がね。ベッドやら何やらもそ うだ。それでデータが欲しいわけなんだが、理解できたかね?」

 それについては理解できる。同時に首を縦に振った機械化歩兵の顔には納得し切れない気持ちの気配があった。

「ミラノ公。俺にはミラノ公を護衛する任務がある。その『家』に滞在する時間は極めて短時間になると・・・・」

 トレスの言葉を中断させたのは勢いよく開いた扉の音と頭から部屋に倒れこんできた背が高い神父の姿だった。

「「・・・・ナイトロード神父」」

 またお前か。そう言いたげな二重奏が倒れた神父に向けて放たれた。
 歩いて行き再び倒れていた身体を抱え起こしたトレスに向かってアベルはペコペコ頭を下げた。

「いつもすいません、トレス君。あのですね、ロレッタさんがいなかったので・・・・いえ、ちゃんとノックして入ろうとしたんですよ!でもなぜだか足元に何 かが絡まってしまいましてね、それで・・・・」

「人は通常身体が転倒しそうになった場合反射で両手が出て身体を支える機構になっている。卿にはその機構部分の機能の異常または欠落があると推測される」

 顔面を床にぶつける可能性が高すぎる。縮めるとそういうことになるのだろう。赤くなった鼻をこするアベルに白いハンカチを差し出しながら・・・アベル自 身のものはさっき使ってしまったことを知っているので・・・トレスは一瞥して相手の損害を評価した。

「急ぎの用向きですか?アベル」

「君、意外と頑丈だね、アベル君。でも気をつけたまえ。若い頃には平気なつもりでも年をとってから思いがけなく尾を引くことがあるそうだからね」

<・・・仕方ないですわ、やっぱりお茶を淹れてまいります。今日は珍しくカテリーナ様もまだお時間がおありですからね>

「わ、ありがとうございます〜〜〜〜、ケイトさん!できれば何かお茶菓子もお願いしますね!」

 見慣れた光景、聞き慣れた会話を当たり前のものとして認識するトレス。
 トレスを囲む人々の顔と声の表情を記録して評価するバルトロマイ。
 奥で全く異なる作業を展開する二組のガラスの瞳は受けた光を同じ色に反射した。

2005.11.9

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