異 魂 4

「え、トレス君とドゥオ君、一緒に生活するんですか?」

 来客用のソファから二体の機械化歩兵を見上げるアベルは喜色満面、紅茶の湯気の奥の青い瞳が温かみを帯びる。

「これはぜひお二人のおうちにお邪魔してご近所づきあいとかしちゃいたいですね〜。ほら、いただきもののおすそ分けとか熱が出た時なんかにこっそり看病し ちゃうとか。それにしても一戸建ての小さなおうちですか。何だかバラ色の生活のはじまりみたいで微笑ましいですね。わたし、どんどん応援しますから!」

 アベル・ナイトロードの口から出る言葉を聞いているとカテリーナ・スフォルツァから下されたオーダーが何か別のものに変換されていく気がする。恐らくこ の思考形態こそがやはりこの人物の危険要素なのだ。およそ常識が通じない。バルトロマイがそう結論付けた時、その危険要素を日常として受け入れている他の 顔は微笑、ため息、同意、冷ややかな視線というそれぞれの反応を見せていた。

「共同生活を営むだけならばブラザー・バルトロマイが俺の部屋で生体部品の休息を行うことにすれば済むのではないか?その『家』を建設する必要性は低く、 支出は無駄と考えられる、ミラノ公」

 トレスは滅多にカテリーナの命令に反論、疑問を唱えることはない。あったとしてもそれは作戦上の不備についての疑問や補足がほとんどの場合だった。今の 言葉も支出面からの疑問を呈したものとは言えるのだが、その無表情な声の裏側に困惑と不安が隠されているように想像するのは不当なことであろうか。トレス の顔を見ながらカテリーナは己が何か幼い者と向きあっているような気持ちを感じていた。ふと見ればアベルの口元が微笑を浮かべ小さく頷いている。

「いや、その心配はないんだよ、トレス君。君たちの『家』は必要がなくなったらそのまま僕の保管庫として利用することになっているんだ。手狭で仕方がなく なってきていたからねえ、嬉しい限りだよ」

「・・・了解した」

 残念ながら、と・・・なぜか機械にあるはずがない感情の存在をわずかに聞きとることが出来る声だった。ウィリアムはニコニコと次を待ち構える余裕の笑み を浮かべた。

「他にまだ質問はありますか?神父トレス、ブラザー・バルトロマイ」

「「否定」」

 カテリーナに対して声を揃えた二人の横でハイ!と元気よく手を上げたのはアベルだった。バルトロマイはそっちへ視線を向けたがトレスの目はカテリーナに 向いたまま動かない。

「どうしました?ナイトロード神父」

 カテリーナが答えるとアベルはすっくと立ち上がった。

「あのですね、トレス君とドゥオ君は兄弟と言っていい間柄なんでしょう?なのに互いに『ブラザー・バルトロマイ』『IIIX』な〜んて呼び合うのってなん だかおかしいじゃないですか」

「「ネガ・・」」

 感情のない音声はこの際無視してアベルは声に力を込める。

「せっかく一緒に暮らすことになったんですから、ぜひここは兄弟らしく・・・そうですねぇ・・・やっぱり『トレス』『ドゥオ』とか呼びあっちゃった方が絶 対に自然ですよ!」

「「ネガ・・・」」

 左手に強く握った拳、右手に砂糖が満ち満ちたティーカップ。目の前にはまだ手をつけていないケイト手製のクッキーの皿。今のアベルの全身にはカロリーを 消費することを恐れない気持ちに押された熱い血が駆け巡っていた。負ける気がしない、というのはもしかしたらこの時のアベルの心境を言うのかもしれなかっ た。
 心持ち目を丸くしているようにも見えるカテリーナと面白がるように機械化歩兵に観察眼を向けるウィリアム、なぜかハラハラしているように見えるケイト。 三人の視線はアベルにとっては無言の応援にしか感じられない。

「いいですか、別に敵性体と戦闘中もそうしろとかそういうことを言ってるわけじゃないんです・・・でもでも、そういえば呼び名が短い方がトレス君たちのい つものコンマ○秒を節約することにはなりますね!とにかく、そういうわけでお二人にはぜひトレスとドゥオでお願いします。ね、カテリーナさんもそう思いま すよね?」

 上手い。ウィリアムは思わずパイプを手の中で一回転させた。ここでカテリーナの名前を出したおかげでトレスは開きかけていた口を閉じ、バルトロマイもカ テリーナを注視している。アベルの本能は実力を発揮しているようだ。
 カテリーナは勝手に動き出そうとする唇の両端を懸命に引き締めていた。そこへアベルが張り切って棒の片方を投げ渡してきたのだから堪らない。顔の筋肉に 加えて腹筋を総動員して世界で最も美しい枢機卿としての表情を保ち、静かにその片棒を担ぎ上げた。

「そうですね。確かに神父トレスとブラザー・バルトロマイは一見した者が即座に『兄弟』等の血縁関係を推測する外見を持っています。その状態で互いを呼ぶ 呼称として『ブラザー・バルトロマイ』『IIIX』を使用することは聞く者に違和感を与え、不要な興味をひいてしまうことにつながる可能性も出てきます。 今回の任務は特に秘密にする必要はないものですが、できれば注目をされたくないものでもあります。ですから、神父トレス、ブラザー・バルトロマイ、ここは ナイトロード神父の提案を認め任務の間は互いの呼称と認識名を変更してください。いいですね?」

「・・・了解した」
「肯定」

 アベルが作り出した言葉の渦とカテリーナの論理。そのどちらかに果たして納得できた上での返事だったのかはわからなかったが、トレスとドゥオは短く答え アベルに目を向けた。

「大丈夫です。今すぐここで呼んでみろ!なんて意地悪はいいません。照れくさいでしょう?わかってます。・・・いや〜、ケイトさん、クッキー今日もものす ごく美味しいです〜」

 ようやく落ち着いて座ったアベルがすばやく焼き菓子を口に放り込みながら笑顔を向ける。

「否定。機械である俺にはそのような感情はない。『ブラザー・バルトロマイ』を『ドゥオ』として認識変更完了。今後必要ができたときには呼称にもこれを使 用する」

 トレスが言った横でドゥオも数秒の間を置いて口を開いた。

「項目を追加した。他に追加命令がなければ俺は教理聖省に戻り明日の準備をする」

「わかりました。神父トレス、ブラザー・バルトロマイを外まで送るついでに『家』の建設現場を確認してきてください」

「了解した」

 並んで歩いて行く後姿を見送る四人の顔にそれぞれの想いが通り過ぎた。

「・・・何だか思っていたのとは違う雰囲気で話が終わってしまいましたが・・・。これはあなたのおかげですね。お礼を言うべきなのかしら?アベル」

 この人はいつもそうだ。ダメ神父の烙印の下の無意識に見える言動さえも自然と誰かを守ることにつながる。この場合、恐らく守られたのはカテリーナとそし てあの機械化歩兵たち・・・・・その両方なのだろう。カテリーナは胸の中に湧きあがる気持ちを押し殺して小さく微笑んだ。

「いやだな〜、カテリーナさん、どうしたんです?兄弟はできれば仲良くして欲しいじゃないですか。ああ〜、あとはトレス君とドゥオ君しだいなんですよね。 兄弟喧嘩とかしたらすごそうですね〜〜〜〜。想像するだけで恐ろしいです」

 アベルはズルズルと音を立てて紅茶を飲み干すと静かにカップを置いた。

「兄弟の話については私は余りものを言える立場ではありませんが」

 己の望みのために弟を犠牲にし、陰の駆け引きと時には実力を持って兄とやりあう身としては。そんなカテリーナの想いを読み取ったようにアベルは微笑を返 した。それからやはり心の中で己を振り返った。

「・・・・もしも何かがあって兄弟の心が離れても・・・やっぱりほら、他人行儀な呼び方なんて似合いませんし、できませんよね?」

 微笑む白い顔の中で瞳が光を吸い込むように蒼く沈んだ。

「私の我侭もお聞き入れいただいて感謝しています、猊下。それにアベル君、君はもしかしたらとてもありがたい事をしてくれたのかもしれないね」

「いいのですよ、“教授”。あなたの立場も少々複雑ですね」

「え・・・それってどういうことです?“教授”、カテリーナさん」

 二人の顔を交互に眺めながらアベルは首を傾げた。

<もしかしたら、そのうち、きっとお分かりになりますわ、神父アベル>

 やわらかく言ったケイトの顔にはどこか寂しげな表情が浮かんでいた。



「アベル・ナイトロード神父に対してミラノ公は『アベル』と『ナイトロード神父』の二種類の呼称を使用していた。あれはなぜだ?・・・・・」

 場に存在するのが己とトレスの二体のみの場合は特に呼称を付加する必要はない。そう判断して口を閉じたドゥオをトレスは短く一瞥した。

「人間がひとりの相手に対して複数の呼称を使用することは珍しくない。ミラノ公とナイトロード神父は彼が神父になる前から面識があったと聞いている。なら ばそれは尚更あり得ることだ」

 ドゥオの判断は正しい。この場合すでに互いに相手を認識して会話を交わしているのだから名前を呼ぶ必要はない。トレスも口を閉じた。

「理解した。明日、起動後に国務聖省に出向する」

「了解した。哨戒終了後0430に門にいる」

 自分と違う形に整えられた髪が風を受けてふわふわと揺れながら離れて行った。予想外の任務を与えられた二人の表情にも声にも普段と変わったところは皆無 だった。ただ、互いについて思考を展開して判断を下す過程の中でそれぞれに相手に対して初めて使った新しい呼称。0と1の世界ではそれはあくまで文字コー ドと音声変換データ面での追加項目が増えたに過ぎず、他に変わったものは何もない。ただひとつ。なぜそのことを今己の中枢演算機構が必要以上に強く認識し ているのか。トレスにはそれがわからなかった。

2005.11.10

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