異 魂 5

 トレスのガラスの瞳は喧騒の中ですでに外観が形になり始めている建物を無音のままサーチした。一階に一部屋と浴室等の水回り、二階に二部屋。重厚な石とコ ンクリート造りの建造物の隣りにその小さな外観と新しい木材の香りと塗料の匂いが釣り合いを欠いて存在している。
 ほとんど傾斜のない緩やかな屋根は明るいカドミウム・オレンジ、外壁はオリーブ・ドラブ、扉はコーヒー・ブラウン。カーブを描いた窓枠は彩色されずにそ のまま元の木の色を呈している。
 『家』。カテリーナの声で再生されるその言葉が持つ意味は何か。トレスの瞳は建物に向いたまま動かなかった。求める答えをそこに見出そうとしているよう に。『家』『共同生活』『兄弟』『家族』。言葉の連鎖が行きつく先は到底HCシリーズの機械化歩兵と縁があるようには・・・そして必要なものにも思えない 言葉である。
 その時トレスの瞳が捉えたのは建物の内部に使うらしい多量の板を抱えた筋肉質の初老の男がバランスを崩してよろめいた姿だった。片方の膝をついて肩で息 をしていたその男は無表情に近づく小柄な神父の意図が読めないままにその姿を見上げていたが、やがて十字を染め抜いた白い手袋をはめた手が伸びると口角を 上げて首を横に振った。

「ああ、ダメダメ、構わないでくれていいんですよ、神父さん。ちと小腹がすいて足元が狂っちまっただけだから。あんたにこの荷は無理・・・」

「明日までの突貫工事と聞いているが、作業の合間に筋肉に蓄積された疲労を解消する休憩時間をとることを推奨する」

 抑揚のない声の調子と投げかけられた聞きなれない言葉に目を丸くした大工は、トレスが片腕で軽々と板を持ち上げる様子にさらに目を見開いた。

「神父さん、あんた・・・すげェな」

「目的地を指示することを要求する」

「へぇ?」

 口を半分開いたままトレスを眺めていた大工は耳に入ってきた言葉よりもトレスの視線の動きで質問の内容を理解した。

「ああ、そいつは家の中に運んでもらえるとありがてェです。いや、何だかね、恐ろしく床や壁を頑丈に作れっていう注文なもんで板切れがうんといるんです よ」

 トレスは自分の足元に視線を落とした。

「・・・入り口まで運んでおく。他に運ぶものがあればサポートする」

「え・・・・?いや、それは神父さんに迷惑をかけちまいますよ」

「否定。俺はここの状況を確認するように命令されている。迅速に作業を進めるためのサポートは命令の範囲内に含まれると考えることができる」

「・・・なんだかよくわからねェんですが、ご迷惑じゃないっていうことなら少しだけお頼みしましょうか」

「了解した」

 こうしてトレスは自分よりも背が高く体格も大きな大工と並んで歩きながら指示に従って木材を運びはじめた。一度に軽く男の数倍の量を運ぶトレスの後ろを 大工は頭を掻き掻き苦笑しながらついていく。

「見たまえ、アベル君。何だか愉快な光景じゃないか」

 ウィリアムとアベルは少し離れた場所からその光景を眺めていた。

「トレス君らしいですよね。いつだって一生懸命で優しいんです。言ったら『否定』って怒られちゃいますけどね」

「このまま彼が大工仕事を手伝ったらきっとすぐに技術を学習して自分のものにしてしまうだろうねえ。ふぅむ、そうなったらこれまた便利ということか」

「あれ、“教授”。あなた、この前はトレス君に庭師の技術を覚えてもらいたいとか何とかおっしゃってませんでしたか?」

「ああ、それもあったねえ」

 二人はそれからしばらくの間のんびりと会話を交わしながら労働するトレスを見守っていた。すぐに実力を認められて次々に声を掛けられる場面、そして律儀 にそのひとつひとつの要求をかなえる姿を。




「国務聖省に出かけたと聞きましたが、どうでした?無事任務終了ですか?ブラザー・バルトロマイ」

 いつもどこからともなく近づくその同僚が背後から投げ掛ける声は響きがとても柔らかい。振り向くと真っ直ぐに切りそろえられた前髪の下で微笑を含む細い 瞳が彼の答えを待っていた。

「否定。命令の遂行はこれからだ、ブラザー・マタイ」

 ドゥオが言葉少なに与えた回答にマタイの唇がわずかに歪み温和な表情が乱れた。

「あなたは明日から向こうの連中のところへ行くというのは本当ですか?」

「所属という観点では否定だ。異端審問官という身分に変更はない」

「ああ、それを聞いて安心しましたよ。君は貴重な人材ですからね。前回の敗北から復旧してすぐに向こうへ行ったと聞いたのでまさか・・・・と少し心配して しまいました」

「敗北?否定だ、ブラザー・マタイ。俺の損傷は敗北ではなくて任務の失敗と認識するべきだ」

 マタイの柔らかな中の意味ありげな物言いは機械化歩兵には通用しない。しかしマタイへ言葉を切り返す前のコンマ数秒の間・・・それはこの機械にとっては 人間で言う困惑に等しいものではないのか。
 おさまりの悪い髪に手をやって微笑したマタイの顔にはどこか満足そうな色があった。

「失礼しました。君は敗北というものについてくる堪えるのが難しい感情から開放されている存在でしたね。うらやましい限りです。でも・・・・身分は変わら ないということは身体だけ向こうへ移るということですか?・・・トレス・イクス神父と顔を合わせる可能性があると?」

 顔を合わせるどころではない。一瞬中央演算機構をよぎった言葉の羅列はドゥオの感情的要因に対するリミッターが若干緩めであることを証明しているかもし れなかった。しかしそれはすぐに記憶されることなく思考の中を流されて消えて行った。

「おかえりなさい、ブラザー・バルトロマイ。失礼しますよ、ブラザー・マタイ。ブラザー・バルトロマイは再起動後のチェックを行う必要があります」

 マタイの後ろから姿を現したのは白の尼僧服に身を包んだ小柄な姿だった。澄んだ琥珀色の瞳は静かな力を秘め、そこにはさらに何か人を圧する光があった。

「お出迎えですか、シスター・ヨハンナ。秘蔵っ子が無事に戻って何よりでしたね。ご心配されていたのではないですか?」

 マタイの感情を読み取りにくい細い瞳から白衣のシスターは何を読みとったのか。微笑を向けた口元には皮肉の色が浮かんでいた。

「あなたの好奇心を満たす必要は感じません。無駄なことですよ」

 同じような微笑を返して一礼したマタイを残して尼僧は先に立って歩きはじめた。

「どうでした、ブラザー・バルトロマイ。ミラノ公と・・・それからHC-IIIXに会えましたか?」

「肯定。明朝より宿舎を国務聖省内に移す。・・・・IIIXと共同生活を行うようにという命令を受けた」

 尼僧はドゥオの顔を見上げた。心持ち視線を下げたドゥオは尼僧の顔に浮かぶ表情を見下ろした。無表情というよりは静かにセンサーを働かせている無機質な その視線を尼僧は微笑とともに受け止めた。その微笑は先刻マタイに向けられたものとはどこか感じが違っていた。

「わかりました。他に何かありますか?」

「今後IIIXのことを『トレス』という呼称で認識することを命令された」

「・・・・そしてIIIXはあなたを『ドゥオ』と?」

「肯定」

 尼僧は微笑を大きくした。

「それは・・・・思いがけない展開になったものですね。でも、結果を楽しみにしていますよ、ブラザー・バルトロマイ」

「結果とは何だ?卿の発言意図が不明だ」

「結果はこれからあなたが・・・・あなたたちが出すものなのですよ」

 再び顔を前に向けて歩きはじめた尼僧の声は静かに廊下の先の空間に吸い込まれていった。

2005.11.14

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