異 魂 6

 ごくわずかに白みはじめた空と大気の色は機械の目にははっきりとした数値とともに認識されていた。冷えた空気と静寂の中で哨戒を終えて“剣の館”の門に続 く道に規則正しい靴音を響かせながらトレスは時間を計算した。このまま歩けば門への到達予想時刻は0429プラス30〜35秒。ドゥオとの合流予定時刻に 対して適当な時刻であると判断できる。
 しかし。
 トレスは足を止めてセンサーの感度を高め、彼のものに似たもう一つの靴音を拾い上げた。後方から響くそれの正体は容易に推測できた。
 1秒足らずの思考の後に再び歩きはじめたトレスの目はまっすぐ前を向いていた。ドゥオと合流する場所は門でありそれは昨日彼が決めた。ならばここで待っ ている必要もない。トレスの歩調は恐らく彼だけがセンサーで拾い上げている後ろのそれとぴったり重なっていた。ちらりと動く己の足先に視線を落とした後、 トレスはそのまま歩き続けた。

 衛兵たちは戻ってきたトレスに短い挨拶を言ったが、それを受けたトレスがそのまま門の中に入っていかずにクルリと身体の向きを変えて彼らの間に立つのを 見て、顔に浮かべていた仮面のような表情をわずかに崩した。

「・・・ドゥオを待っている」

 言っても理解されないだろうと推測しながら口にした短い言葉はコンマ何秒かの逡巡の後に発せられたようにも聞こえた。『待ち人がいる』『人を待ってい る』と言った方が状況的には通じる事は確実だったが。HC-IIXは『人』ではない。外見よりも何よりもその事実がトレスと同等だった。
 己の口から出た『ドゥオ』という呼称の響きは彼を取り巻く外部の他の微音とともにセンサーを通して認識された。薄闇の中に次第に大きくなる姿が近づいて くる様とともにメモリーに書き込まれたその音の記録。過去において己に迫り来る弾丸を見ていた時と同じ無に等しい表情がその時のトレスの顔にあった。

「・・・トレス」

 まっすぐトレスに向かって歩いてきた姿は二人の間の距離が1.5メートルになった時点でぴたりと足を止めた。この場合機械の間に人に似た挨拶めいたもの は必要ない。それでもドゥオが呼んだトレスの名は聞く者に様々な意味を想像させた。衛兵たちは今や完全に仮面を剥がされて口を半開きにしていた。

「ミラノ公の命令により異端審問官ドゥオ・イクスの宿舎を“剣の館”敷地内に移動した。期間は未定。これは伝達事項だ。同僚の全員に情報を伝える事を要求 する」

 トレスの視線からその言葉が自分たちに向けられていることを知った衛兵たちは首をカクカクと上下させた。そうしながらも目はただトレスとドゥオを交互に 見比べている。その姿の上に無機質な視線を落とした機械科歩兵たちは無言で門を通り抜けた。

 ドゥオは肩から大きめのバッグを提げていた。それが揺れ動く様子を見ながらトレスは中味を推測した。制服の替え、修理用の工具、日常携帯している武器に 関するスペアやパーツ、洗浄用具。恐らく今朝哨戒に出る前にトレスが自室から運び込んだ物と大差ないだろう。そしてそれを推測する事に意味はない。常に データを蓄積し分析推測する己の性質。それが原因だとトレスは思った。メモリーに記録された『トレス』というドゥオが発した音の響きとそれをふと再生して いる己の行動も。

「お前は昨夜その『家』で生体部品を休息させたのか?・・・トレス」

 ドゥオはトレスに視線を向けた。

「否定。お前が存在していない状況で『家』で休息することは命令に含まれていないと判断した。命令はあくまでお前が宿舎を移動した時点から有効にな る。・・・ドゥオ」

 もしかしたらこの時の抑揚のない声のやりとりは、ただ互いの呼称を相手に向かって口にすることが目的だったのかもしれない。アベル・ナイトロードの思わ ぬ介入で命令に追加された一事項。トレスはそれを追加した主人の声に聞いたやわらかな響きを思い出していた。カテリーナが命令し彼に望む事を彼は忠実に遂 行する。それを確認した。それだけだ。
 トレスはドゥオに顔を向けて視線を合わせた。
 カテリーナの命にトレスが従うのは当然の事だ。しかし傍らにいるドゥオは。彼がカテリーナの命令に従っている理由は何だろう・・・昨日の予想よりも積極 的に。勿論、カテリーナは『異端審問局側の依頼』を受けたという形で代表してトレスとドゥオに命令を伝えたのだ。当然ドゥオもそれに従う。ただ、昨日は必 要に迫られない限り新しい呼称を使う必要はないと判断していたはずのドゥオに変化があった。トレスは再びカテリーナの声を思い出した。トレスにとってのカ テリーナ・・・もしかしたらそれと同等の、或いは類似した存在がドゥオにもいるのだろうか。

「これが『家』か」

「肯定」

 短いやり取りを交わした二人の前に建っているその家は人の目にはひどく可愛らしいものに映っただろう。こじんまりした大きさに明るい色の屋根、飾り物の ような煙突、落ち着いた色の壁と扉、曲線を含んだガラス窓。二組のガラスの瞳は無感情に1秒ほど『家』を眺めた。それからほぼ同時に動いた二人だが、先に 手を伸ばしたのはドゥオだった。

「蝶番は特に補強されていな・・・」

 言いかけたトレスの前でドゥオの右手がノブを掴んで動いた。メリッという音が小さく響き何か小さなものが宙を飛んで落ちた。

「人間用の木造家屋と同じ水準であることを認識した」

 そう言ったドゥオの手は釘が抜けて外れてしまった珈琲色の扉を地面から30センチの高さで持ち上げていた。

「・・・釘のサイズを長い物に変更する」

 ポケットから銀色の釘と鉄製のハンマーを取り出すトレスの手をドゥオはじっと見つめた。

「お前が修理するのか?」

「肯定。扉を持って支える事を要求する」

 無駄のない動きでトントンと釘を叩きこんでいくトレスの手の動きをドゥオの目がトレースした。次に同様の損傷があった場合には彼自身で修復する事が可能 だということを確認しながら。
 修理が終わった扉を閉めて鍵がかかる事を確認したトレスはポケットから彼のものと同じ形の鍵を出した。

「動作確認を」

 受け取ったドゥオは一歩横に避けたトレスの前で鍵穴に鍵を差込んで回し慎重に扉を開けた。

「戦域確保」

 この場合には不適当な用語ではないのか。
 呟いた声に思わず一言を口から出しそうになったトレスだったが、結局黙ったままドゥオの後ろについて『家』の中に入った。

2005.11.29

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