焔 星

イラスト  ここはまったく似ていない。
 懐かしいという言葉を使うほどそこに自分が属していた確信がないあの場所に、あの日々に。
 今現在の文字通りの世界の果て。それは思い描いていた地獄そのものよりも冷たく殺伐としていた。



 酸素濃度はまだまだ目標値に届かず極めて短時間を超えて外へ出る事も許されない。命を持たない機械たちが組み上げてくれたドームの中に移住者たちは安息 を見出す。そして束の間の休息の後に広がる荒野に記憶の中にある懐かしい大地の風景を映しとり実現する事を要求される。
 まったく異なる惑星に仮住まいの地を作ろうという試み。そこはまるで壮大な規模の野外演習場にも思え、ここで過ごす時間が限られているからこそ人は己の 指で緑を増やし、後続の者たちの暮らしをわずかでも満たすべくささやかに前進し続ける。時に余りに過酷な原初の星に絶望する者が現れるが、彼らの前には四 つの姿が常にありそれは彼らを導くためだけに存在する者たちだった。
 ひとつは金色の髪を持ちその髪の輝きに負けない知性と聞くものを魅了する柔らかな声、穏やかさを与える立ち居振る舞いを持っていた。
 もうひとつ、髪に抱く白銀の色が異なるだけでその肌も瞳も唇に差す色も先の者とほとんど同じに見える姿があった。ただ、同じなのは色彩と造りのみ。湖を 思わせる蒼い瞳には燻り続ける煙のような焦燥があり、声には嫌悪と絶望、動作には怒りが含まれていた。
 金と銀のふたつの姿。その傍らにある背の高い姿は赤みを帯びた髪を垂らしたすべてを見通すような瞳の持ち主だった。性別が女であるところから生まれた包 容力と強さ。静かさと優しさに包まれた姿は常に視線を人と同じ高さに合わせた。
 最後のひとつは小さな身体に理知と分別を持ち、常に物事を冷静に判断する最年少の者。その瞳に映る現実と理想の狭間で唇に微笑を絶やさない。その微笑の 意味を人は時として解釈できない。幼い外見と心の深淵。清美なアンバランス。
 指導者として生産された四つの者たち。懐かしい大地の別々の国で産みだされた彼らのうち一人は試みの先駆者として、三人は完成された兄弟としてそこにあ り、未知の惑星で生を終えるべく産みだされた者たちだった。それゆえ他の大勢にとっては少々長期なサバイバルの実践の場であるそこは、四人にとっては約束 された埋め墓だった。
 この地。故郷から遥かな惑星、火星。



「また誰かを殴ったんだね、アベル?」

 未だ生を育むには足りない大気を隔て安全を約束する透明なガラス。己の身長を超えたそのガラス窓に両手をついて赤い色をした大地を見下ろしていた銀色の 髪の青年は、片手で唇を拭い、手の甲についた赤い色にちらりと目をやった。

「そんなことで自分が痛い思いをしたってつまらないよ、アベル」

 静かに傍らに歩み寄った金色の髪の青年は穏やかな声で囁き、弟の手をとった。

「僕たちはここへ来た・・・ここは僕たちが産みだされた目的そのものだ。この眺め、どう見える?アベル。朝、リリスは言っていたよ。いつかこの赤い大地に 木々や草花が生え、その光景をみるために僕たちはここへ来たんだ・・・・ってさ」

 己の手に触れるその手を握り返した青年の心の中に一本の木が浮かんだ。彼が生まれた国で見かけたはずのその木はただの街路樹の一本だった。人工的な場所 を彩り大気を浄化するために人の手で不自然に掘り起こされて移しかえられた木々のうちのひとつ。幼木のうちに移されてそこで育ったものなのか、見上げるほ どの高さになってから植えられたのかはわからない。それはただそこにあり、人はそれを含んだ景色を美しいと言ったが彼にはそうは思えなかった。だから、そ れを倒そうと思った。不自然な生を終わらせようと・・・自分のこの手で。しかし、何度両手で突いても木は枝を揺らすばかりで倒れはせず、傷ついたのは彼 の・・・まだ幼さが残る少年の手だけだった。大小の先が尖った棘に傷ついたその手を、流れる血をそっと拭って包みこんでくれたのは金髪の少年だった。一言 も咎めずに温かな湯の中で傷口を洗って癒してくれた。何も語らずとも彼がそれをした理由を恐らく知っていた。同じ遺伝子を持つ身体に宿る心で。

「もしも木が育っても俺はもうそれを折ったりしない・・・・その下にお前がいれば・・・カイン」

 小さな呟きを聞き取った金髪の青年は笑みを浮かべた。

「わかってるさ、アベル。君が折りたいのはその木を植えた手の方なんだ。僕にはよくわかってるよ」

 知ってなお微笑みながらそこにいてくれる存在を。銀髪の青年は静かに振り向くと思いがけない激しさで兄の身体に腕を回した。
 人でありながら科学の力により神の役割に近いものを演じなければならない彼らを人がその手で裁くことはできない。道具として生まれながら感情を持たされ たことに意味があるとしたなら。

「俺は守る・・・・お前とセスを」

 現実では逆に兄と妹の庇護のおかげで日々を無事につないできた青年は、喉から振り絞るように低く囁いた。

「信じてるよ、アベル。君はいつだって僕の・・・僕たちの事を想ってる。ちゃんと知っているよ」

 彼の言葉を受け止めて返される声はたとえようもなく優しく温かい。その肩に顔をうずめた銀髪の青年は身体を小さく震わせた。

「ここに来て君は、どんな未来を望む?アベル」

 指先で銀色の髪をすいた金髪の青年の瞳はガラスの向こうの風景を映し、唇には美しい笑みがあった。

2005.11.14

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