贈 心

イラスト  宗教家として政治家として場を彩る麗華として。カテリーナは己がいくつもの仮面をかぶっては脱ぎまたかぶり・・・心の中の芯以外の諸々を消費し続けている 気分だった。鉄の女としての容赦ない決定、降誕祭を挟んでつづく儀式への参列、ミサ等へ参加するために諸外国から訪れた貴人との会食、時によってはダン ス・・・・・。何かがずれている、と思う。世界の敵と戦う準備を進めているはずなのに、彼女の忠実な部下たちはそれぞれの任務先で命さえも顧みないでそれ ぞれの役割を果たしているというのに。自分の顔に張り付いてしまったようなこの微笑は何だ。醜悪で浅はかで鏡に映るそれはひどく滑稽だ。

<お茶をお淹れしましょうか、カテリーナ様?少しでもお休みになったほうがよろしいですわ>

 忠実で大切な友の姿がふわりと目の前に現れたその時、カテリーナの心に浮かんだのは灰色の感情だった。己への焦燥と倦怠を隠し切れないこの気持ちはこの 友人を信頼して心の一部を預けているからこそだとわかっていた。わかっていたが、あまりに無様ではないか。カテリーナは零れかけた言葉を飲み込んで軽く唇 を噛んだ。
 ふと、執務卓の上に置かれた箱に気がついた。大きいと小さいのちょうど中間くらいに感じられる白い箱。白いリボンをかけられて静かにそこにある姿はなぜ か不思議なものに思えた。不意にどこからか現れた贈り物。本当ならば時期的にテロリストによる爆弾の類である可能性を警戒しなければならないのだが。
 カテリーナは箱に手を伸ばし、リボンの間から見えているカードに気がついた。白い無地の上に書かれたひとつひとつの角度さえも『精密』という印象を与え る活字のような文字。そこにあったのは今なぜかとても懐かしい感じがする名前だった。

<それは・・・・カテリーナ様?>

「・・・今年はちょっと違うようですね」

 唇に淡い笑みを浮かべながらカテリーナはリボンをほどいて箱をあけた。途端に室内にかすかな香りが広がった。決して強くはないが自然と柔らかに広がって そこにあるものを包み込んでいく芳香。カテリーナは静かに指先を箱に沈めて美しい形をひとつ取り出した。

<まあ、薔薇ですね。とても綺麗ですけれでも・・・・なにか見覚えがあるような・・・・>

 首を傾げたケイトは視線をずらした瞬間、自分の友人でもあり今は主人でもある麗人の顔に見とれた。疲労に沈み込みかけていた顔色も張り付いたような艶美 の仮面も・・・カテリーナに似合わないすべてが削ぎ落とされていた。その下から現れたのは真の美・・・・ケイトは言葉を忘れてその一枚の絵に見とれた。

「・・・お茶を淹れてくれますか?あと15分くらいは休んでいても大丈夫でしょう」

<わかりました。新しいブレンドを差し上げようと思っていたんですけれど、やっぱりちょっと懐かしい薔薇とカモミールのお茶をお淹れしますね>

 ケイトはふわりと姿を消した。
 そこへノックの音が響いた、と思う間もなく扉が開いた。仮面を脱ぎ捨てていたカテリーナは無防備な視線を戸口に向けた。

「カテリーナさん、あのですね、毎年そうなんですけどね、やっぱり少しは気持ちをほぐしてちゃんと休まないと・・・・・・あれ?」

 飛び込んできたアベルは言葉を切ってカテリーナを見つめた。手に白い薔薇を持って唇には微笑みの名残のようなやわらかさを浮かべて。純粋に美を賛美して いるようなその顔は。アベルはそこについこの間まで眺めていたと錯覚しそうな少女の面影を見た。守ることを誓ってそっと腕の中に包み込んだことがある一人 の少女。彼の前ではあまりに早く過ぎていく月日が幼さを奪った代わりに美しい曲線と至美の極致を与えた姿。それでも心の中にはずっとずっとあのときの少女 がいるのだと時にはその姿を記憶の中に探すこともあったのだが。

「あなたもお茶を一緒にどうぞ、アベル。どうしました?わたしはまたそんなに疲れた顔になってあなたに心配をかけているのかしら」

 アベルはゆっくりと首を横に振った。その彼の口もとにも微笑が浮かび上がった。

「いえ、たしかに心配だったんですけど・・・・。どうしたんです?カテリーナさん。何かいいことでもあったんですか?その薔薇は?カテリーナさんのお城に 咲いていたのと同じ薔薇ですよね?」

 カテリーナの微笑が深くなった。二人が共有をはじめたばかりの時に出会った薔薇の花たち。硬かった蕾はいったん膨らみ始めるとあとは魔法のようにさまざ まな色を予感させる存在になる。長い季節を順番に咲き続く美華たちのひとつひとつを追って二人で庭を歩いたこともあった。

「神父トレスから贈られたのです」

「へえ〜、トレス君が、ですか」

 無表情な殺戮人形。硝煙の香りが漂うカテリーナの銃。機械として生きることを望んだ彼に彼女のモノとして生きることを命じたカテリーナは、今この瞬間に 彼女の機械化歩兵に対して深い想いを持っていた。時折訪れる迷い・・・彼女がトレスに対して命じたことはすべてが彼女自身の都合のためで、優秀で魂を汚す ことを恐れずに彼女のために発砲する武器を得るためだったのではないかと己を省みる何ともいえない思い・・・をすべて打ち消されたような、彼女自身の心ま で浄化されたような気持ち。それはトレスの無垢な魂のみに可能な業なのかもしれなかった。

「さすがです、トレス君。きっとこの花のことを覚えていたんですね」

「それに、切り方もね」

 普通は茎を長く切って見栄えがする花束に整えられるはずの白薔薇は一輪ずつほんの10センチほどの茎を残すように切りそろえられて箱の中に立体的に詰め られていた。それはまるで幼い少女が籠を手にはさみでひとつひとつを切って集めたような印象を与えた。
 二人はトレスを思いながら微笑を交わした。

「わたしも本当はカテリーナさんに何か幸せなものを贈りたかったんです。・・・・でも、どうしてだかお財布の中がほとんど空っぽで・・・・。いや、でも、 これだけあれば、表通りでちょっと評判のあのお店のクッキーを何枚か・・・くらいならきっと買えますよね!待っててくださいね、すぐに行って・・・・」

 言いかけたアベルは言葉をきって目の前にすっと差し出された薔薇を見た。

「いいんです、アベル・・・・あなたがここにいてくれるだけで。・・・・神父トレスがいない間、ずっと私を護ってくれているのですから」

 人間を守る、と決めているこの一見細長くて頼りにならないような大きな存在をすぐ傍らに感じることができるのだから。天真爛漫に見える笑顔ととぼけた失 敗、ふと泣きたくなるほどあたたかく包み込んでくれる声を全身で感じることが。彼の心の深淵を時々ふと思いながら。

「一緒にいますよ、トレス君がいても。任務でどこへ行ったとしてもいつだってちゃんとカテリーナさんのところに帰ってきますから。そうでしょう?」

 アベルの瞳に見えているのは生真面目な顔をした幼い少女と生真面目さを鉄の仮面に変えた麗人・・・交互に見えているその姿のどちらもが彼が守りたいと願 う傷ついた魂だった。

「そうね、アベル。・・・・そうだといいわ」

「うわ、カテリーナさんってば!もしかしてわたしが大怪我して帰れないときだとか死んじゃったときのことを想像しちゃってませんか?ひどいですよ〜。これ でもわたし、派遣執行官としてはすご腕だと自負してるんですからね!」

 帰ってきて欲しいのは身体はもちろんだが魂そのものなのだ。カテリーナは思った。『人間』の中のただ一人に過ぎない自分。復讐を決意して心の中に暗い焔 を燃やしている自分。その彼女にこの光の魂はいつまで視線を向けてくれるだろう。時を越えているように見えるこの存在は。

「ケイトにお菓子も頼みましょうか。私は今とてもあなたの笑顔が見たいようです」

 一瞬心配そうに眉を寄せたアベルはすぐに笑顔になった。

「カテリーナさんだって笑った顔が一番素敵ですよ。いつだってちゃんと見ていますから」

 とらえようによってはこの上なく甘い響きを持ったアベルの言葉を。カテリーナの唇が曲線を描いた。戦いの場に出て行く前のひと時、この甘さを心に許すの も悪くはない。何も知らない優しいアベル。出会えたことは奇跡にも思える。

<さあ、この小さなケーキも召し上がってくださいね。アルビオンでよく作ったものを思い出してみましたの。オレンジピールとチョコレートが合いますのよ>

 お茶の香りとトレイの上の彩り。嬉しそうに輝いたアベルの顔を見たカテリーナの顔にはその瞬間だけ気持ちを覆い隠すためのベールがなかった。今の幸せの 性質を正確に受け止めそこにはない先を願う気持ち。カテリーナの顔の清冽な美しさを見たケイトはそっと目を伏せた。

「カテリーナさん、ほら、こっちこっち!ケイトさんのケーキ、おいしそうですよ〜。何だかすごく幸せになっちゃいます。ケイトさんもさすがですね。トレス 君に負けませんよ」

<ああ、その薔薇は神父トレスからだったのですね。ふふ、思い出しますわね、去年神父トレスがカテリーナ様に贈ったもの・・・・>

「そういえば・・・そうですね」

 女二人は顔を見合わせて笑った。

「ええ?トレス君、去年もカテリーナさんに贈り物を?何ですか?カテリーナさん、何をもらったんですか?気になります〜」

 ケーキを口いっぱいに頬張ったままで叫ぶアベルの前でカテリーナは静かに一口紅茶を飲んだ。

「これには・・・・“教授”も絡んでいたようなのですが・・・・」

「はいはい!早く教えてくださいよ〜」

「神父トレスにとっては誰かに何かを贈るというのは初めてのことだったようで・・・・」

「うもう〜〜〜、カテリーナさん!」

「神父トレスはどうやら毎日の私の身支度にかかる時間を心配してくれたようなのです。とても非能率的に見えていたのでしょうね。それで・・・・彼は私の髪 を巻くための道具をくれたのです・・・“教授”に作成を依頼して」

「はあ?・・・髪・・・・ですか?」

 目を丸くしたアベルに女たちは苦笑した。

<でもですね、思いつきはよかったと思うんですのよ。軽い金属でできていて髪を巻いてちょっとそのままにしておくと自然と綺麗な巻きがついて・・・・・。 でも・・・・それを9本も10本も巻いたままで着替えたりなさるでしょう?ですので・・・その・・・金属同士がぶつかって・・・それはにぎやかな音をたて ましたの。それに、1本ずつは軽くても本数がまとまると・・・・・・。カテリーナ様、一生懸命に首で頭を支えていらしたのですけれど・・・・・>

「『卿の巻き髪の直径に合わせて2種類のサイズを用意した』と言ってくれたのですけれど・・・・」

「は、はぁ・・・・」

 それぞれにため息をついた三人は互いに目を合わせないように努力していたが、やがて視線が合うと同時に吹き出した。

「いやぁ、見たかったです〜、ゴンゴン頭の周りで鐘を鳴らしてるみたいなカテリーナさん」

<気楽におっしゃいますけれどね、神父トレスがいつもの真面目なお顔で見ていらっしゃるからわたしたちも笑うわけにもいかず、大変だったんですよ!神父ア ベル>

 笑い続けている二人を見ていたカテリーナはふと視線を落とした。

「でも。神父トレスがどうして私に何かを贈ってくれようと思ったのか・・・・そのことが今も不思議です。“教授”が入れ知恵をしたのではないんですよ。他 のAXメンバーも知らないことですし。あなたも今まで知らなかったのですよね、アベル」

 カテリーナの口もとから溢れる優しさを見て取ったアベルの瞳が丸眼鏡の奥で輝いた。

「トレス君は毎日物凄い勢いでいろいろな物事を学んでいるんだと思うんです。たいていのものは『機械には不要だ』とか何とか言って切り捨てちゃうみたいで すが、それでも彼の中にはカテリーナさんに贈り物をしたいという気持ちが残ったんですね。あ、『気持ち』なんて言ったら怒られちゃいますね・・・機械には 気持ちはないって」

「そうね」

 トレスがそう言う時の口調を恐らく三人ともが正確に頭の中で想像できた。その無表情な顔と直立不動の姿勢も。

「何だか早くトレス君に会いたくなっちゃいました。いつ帰る予定なんですか?」

<任務は無事に終了しています。明日の朝の特急で戻る予定ですわ>

「じゃあ、カテリーナさんのそばにいれば一番最初に会えますね。トレス君は真っ直ぐカテリーナさんのところに帰ってきますから」

「・・・そうね」

 カテリーナの短い声の中に普段は見せない表情があった。もしかしたら自分はあの機械化歩兵がいないことを思ったよりも寂しく感じていたのだろうか。それ を認めたカテリーナはほんのりとあたたまった心を再びゆっくりと閉ざした。

「先に行っています、神父アベル。それを食べてしまったら追いついてください」

「あ、は、はい!カテリーナさん」

<ご苦労様ですわ。次のお茶を考えておきますね。神父トレスのお花もちゃんと飾っておきますから>

 衣擦れの音とともにカテリーナは歩きはじめた。扉に手を伸ばしたとき、控えめで馨しい香りをかいだ。まっすぐに頭を上げて油断なく。少女の頃から自分に 言い続けてきた言葉を心の中で呟いてカテリーナは扉を開けた。

2005.12.20

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